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「……ふふ、まぁ君には関係ない話か」
どうしてか嬉しそうに男は笑う。同時に、防がれる事など分かっていたという風な様子だ。それが何故嬉しいという気持ちに繋がるのかは分からないが。
「しかし、まだ諦める訳にはいかない……なっ!」
着地する真田、それと時を同じくして右手を下から上に向けて素早く振り抜く男。その動きだけを見れば着地に合わせて縦の攻撃を仕掛けているはずだ。が、水滴は見えない。闇に紛れたか、いや、そんな様子もない。完全に水滴はその姿を消してしまった。
「っ! ……? ――上か!」
前、横、どこを見た所で相手の攻撃は存在しない。
ならばどこに存在しているのか。相手の手の動きを思い出す。下から上に、その動きを最後まで追えば答えは一つ。
水滴はまるで雨のように上空から降り注ごうとしている。これまでと違って軌道が読めないため非常に見えにくく、反応も大いに遅れ、そしてこの攻撃は頭に当たってしまう。つまりこれは、とんでもない危機だ。地味なようであるが、間違いなく当たれば必殺の一撃。
バックステップ。いや、着弾点が分かりにくい、後退してもその場所が安全である保証などありはしない。
だとすると横か。いや、少し横に動く程度ならばやはり安全保証はなく、また一歩動作が遅れる。
もう考えている時間はない。飛べ、他に方法はあるかもしれないが今思い付いたのは消去法で一つだけ。反射的に右前方へ、思い切り飛んでは転がり込む。横に軸はずらした、距離の縮まらない無駄な動きはしていない。少なくとも今の自分にとっては最適解。
「逃げたつもりかな?」
ゴロゴロと転がって、もはや方向もよく分からないが素早く立ち上がろうとする。するとそこで男の声が聞こえてきた。笑いを含んだその声色によって相手のいる方向は何となく掴めた。左側、そちらの方を向いた時には既に男の動作は始まっている。
真田の方に体を向けつつ左手を斜めに。潜って避けるか、飛び越えて避けるか。二択のようだが、どちらも選べない。やっと立ち上がった状態で再び屈むのも、タイミングを計って飛び越えるのも両方辛すぎる。
防御はできるだろうか、いや、できはしない。確実に当てるだけの集中ができない。あまりに咄嗟すぎる。
そうしてこの場で取った行動は無駄な動きだ。右方向、真横に飛ぶ。苦し紛れに回避しただけで相手に近付けた訳でもなく、体勢を整えられるほど離れた訳でもない。しかし、この無駄な動きが功を奏す事もあるようだ。
(同じ軌道でもう一発……右手か!)
真田の真横を通り過ぎていく水の線。そしてその直後に、まったく同じ角度、軌道、スピードでもう一つの水の線が通って行った。チラリと男を見てみれば右腕までもフォロースルーの動作をしている。
冗談ではない。一瞬の勝負なのだ、一発目のタイミングで最低限の回避をしていたなら二発目に当たっている。想定より遅いタイミングで飛んで来る、ある意味でチェンジアップのようなものと言っても良いかもしれない。
そしてさらに、この攻撃にはもう一つの意味がある。これまであくまで単発の攻撃だった左右が連携を始めたのだ。左を避けても右が、右を避けても左が襲う。こんな局面で初めて出してくるような技だろうか。隠していたのならばやはりいやらしい。
(ああもう、右も左もカバーされると面倒だ! 左手側だけ狙う!)
正面切って正攻法での戦いもできるだろう。見切って防いで、もっと圧倒して勝つ方法だって存在している。だがそんな時間はない、面倒だ。それにわざわざ正面からぶつかって両手と戦う必要などないのだ。徹底的にズルく戦う。
ここで再び、真田は曲線を描いて駆け出した。逆時計回り。もう真田は男の左腕しか見えてはいない。精神的な意味でも、物理的な意味でも。
相手の全身の動作などどうだって良い。常に左腕だけを意識して動く。常に位置関係は真田・左腕。胴体・右腕だ。右腕から放とうとするであろう攻撃は全て男の胴体を壁にしてしまえば良い。
あるいは切り札だったのかもしれない両腕の連携攻撃。片方が追い込み、もう片方が仕留める、狩りのシステム。それがいとも簡単に防がれてしまっている。もっとも、正攻法でも何でもなく、小狡い頭が導き出したあまり堂々と誇る事ができる策ではなかったが。
右腕は動体に邪魔されて自由に攻撃する事ができない。左腕が動けば同じように真田も動く。腕輪によって手に入れた身体能力と動体視力、この二つがあれば誰にでもできる方法だが、想定以上に効果的だった。相手の左腕の動きは思っていたよりも制限されているのだ。
真田は常に振り抜いた腕の終点に存在している。ここからさらに真田を逃がさず当てるため腕を振るには体の向きを変えるのと同時、つまり撹乱作戦の時と同じようにワンパターンな攻撃が続く事となる。
「くっ……ぐぅ、限界か……!」
ワンパターンな攻め手、それは男にとっても分かった事。限界が近い。それを悟った男は最後の勝負に打って出る。
射線を確保できない右腕の唯一通す事が可能な場所、頭上。右腕を振り上げて男の頭の上を通過する水滴が飛ぶ。位置は確認せずとも真田はいつだって右腕の直線上にいるのだ。これほど分かりやすい事はない。
水滴は男と真田を端点とする線を地面に描くだろう。いや、正確に言うなら線の中点に真田がいるような形、前進も後退もできない。左右に回避をするかと考えても、一瞬の隙の内に真田と向き合うように立っていた男の両腕が真横に。左右も回避不可能。足を止めるとこのまま流れを持っていかれる。
だったらシンプル。殺られる前に殺るしかない。全速前進。互いに接近し合う事で倍速で水滴が迫る。それを気にする必要はない。覚悟が決まっていれば絶対に外さない、その強い意志の力こそが魔法使いの心意気だ。両手に炎を纏い、六本の指がセットされる。
しかし火の粉は同時には発射されない。まずは左手の火の粉が真田に当たる軌道だった水滴と心中して、直後に放たれた右手の火の粉は、先程の水滴の陰に隠れていた次の水滴を巻き込んで消滅した。
「消えろ……よし、行けぇっ!」
もはや真田を止めるものは何もない。頭上の水滴、そんなものは気に留める価値がない。男は何かしら次の手のために振り抜いていた両腕を挙げようとしているが、それではあまりに遅すぎる。
再び右手、もとい右腕を炎が包んだ。もう防御ではない、真田の本来のファイトスタイル。これで焼き払えば真田の勝ち――。
「っ!」
しかし、その腕は空を切った。男がバックステップで回避したのだ。
通常ならばそこで追撃を仕掛ければ良い。だが、真田はそれすら行なえない。何故なら。
「――降参だ。僕の負けだよ」