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(やっぱりカウンター主体。こっちが攻めるまでは動く気なしだ……よし、冷静に考えながら動こう。わざわざ待ってくれるんだ、いくらでも時間を無駄にしよう)
その場から動く様子のない男、その口から出た言葉。まず間違いなく攻めてくるつもりはない。こちらの攻撃に合わせて水滴を放って凍らせる、能力的にも年齢的にも恐らくはベストな戦術だろう。何より、待ち構えられていると思うだけで足が前に出ない。
「ふふ……」
(基本は横だ、それを防げば良い。縦は避けられるんだ。それで、あの人の回りにはどこでも罠があると考えて動く。これだけで良い、簡単な仕事だ……行けるか、行ける、行こう)
一つ一つの行動の危険度はそう高くない。少し冷静になれば対処できる。問題は危険度の高い行動だけ、それだけ注意すれば充分に戦える。そう考える事で自分を奮い立たせた。もちろん油断をする訳ではないが、時にはそんな勢いも必要だろう。
前回の戦いと同じように詰襟を脱いで左手に持つ。それは一目見ただけで盾以外の何物でもありはしない。
「よし……っ!」
「まさか、同じ手じゃないだろう!?」
意気込んで駆け出す真田、そしてそれを迎撃する男。放たれた水滴は真横に並ぶ。それは真田のスピードを最も落とす事ができる攻撃、それはスピードを落とさずに防御するためには手にした盾を犠牲にしなければならない攻撃。
あちらも横薙ぎの攻撃ならば盾を使うしかないと分かっているからこその初撃という事か。それに対して別のアプローチをするつもりはない。どうせ最初に使ってしまうつもりだった盾なのだ。
水滴を全て吸い尽くしてやろうかと言わんばかりに同じように横に振られた詰襟、直後に凍結し、ズシリと重量の増したそれを捨てる。前回は振り抜くと同時に横に投げ捨てたが、今回はそのまま宙に置くように。
バサリと広がったまま凍てついて僅かに白くなった詰襟が真田の体を後ろに隠した。ここからの手は一つ、あるいは二つ。つまりは隠れた状態から左右のどちらかに姿を現すという事。
どちらにでも対応できるよう男が素早く眼球を動かす。右、左、右、左……詰襟が地面に落下するまでの実に短い時間とはいえ、意識すればゆっくりとその時間を感じ取る事ができる。見付けて攻撃するのは簡単なはず。しかし……。
「何、消えたっ!」
真田はどちらからも現れない。その姿は詰襟に守られたまま。男が視線を下げ、真田の足を見る。広がった詰襟と言えども全身は隠せない。左右のどちらでもないならば、詰襟の後ろに今もいるはずだ。
しかし、見えない。真田の足はそこにはない。
正確に言えば見えないのでも消えたのでもない。ただそこにないだけなのだ。真田は詰襟のさらに後方、戦闘開始位置まで戻っている。
(撹乱。こっちはわんぱく相撲じゃなければ、あっちだって横綱じゃない。あの余裕ぶった感じが駄目なんだ……稽古じゃなくて同じ土俵の上での取組だって思い知らせてやる!)
敵からわざわざ離れるのだ。それも犠牲を払った上で。常識の外。よもや男も離れた場所にいるなどとは思っていない。
詰襟が本格的に落下を始める。そうなれば白日の下(夜ではあるが)に真田の姿が晒される、その直前に次なる動作が開始される。直線で走ればおよそ十メートルのその距離を、左に大きくカーブを描くようにして走り始めたのだ。
困惑している状況、そして突然現れた遠近感の掴めない想像よりも小さな姿。それがが重なる事で男の動作を一瞬止める。そしてその隙さえあれば、真田はいくらでも接近できる。
「そこか!」
自身の右手側に向かってくる相手、恐らく利き腕なのだろう、男が思考よりも先に反射的にその腕を振るった。発射される水滴。しかしそれは次撃も何も考えていない単純なもの。そして、そんな程度の攻撃ならば相手に接近しなければならないという制約から解放された真田にとっては容易に回避できるものだ。
足でブレーキをかけた反動でバックステップ。距離が離れてしまえばもはや回避なんて言葉すらもったいない。今度は右へ走る。曲線を描きながら男の左手側へ。
それに合わせるように男の手も動く。飛来する水滴、再びステップで距離を取るとまた右へ。最初の正面を向いていた状況から見れば背後の方へと走る。
そしてまた、それを男が振り返りながら攻撃するのだが真田はいとも簡単に回避してしまった。
気付けば、カウンター攻撃を常としていた男の方が攻撃を仕掛けている。それも敵のいる所に向けてただ放つという信じられないくらいのシンプルさで。
真田は地面に撒かれた水滴を踏まぬよう必要以上に距離を詰める事をせず、同時に距離を開きすぎる事もしない。今や放たれた水滴が離れた場所で落下して罠と化し、男を中心とした同心円の間を周囲をグルグルと走り回ている。そして男はその場に釘付けになったまま回転して何とか対応。踊らされていると言っても良い。
(焦るな。焦って一気に決めようとしたから罠にかかったんだ。今回はじっくり攻めろ。まだ勝負を焦ってもねじ伏せられるくらい強くはない)
どこまでも撹乱を続ける事はできない。精神疲労は積み重なるし、そもそも自分は攻撃するためには接近するしかないのだ。反射で確実に真田を狙って攻撃してくる男だ、ここまでやってきた曲がるという形で死角を突こうにも反応されてしまう。どこかで一気に真っ直ぐ接近するしかないのだ。結局は真っ直ぐ。今はまだ、そのためのタイミングを窺う時間。
(良い感じだ。僕のいる所に反射的に攻撃してくる……どんどん次の動きを考えない単純な攻撃になってきてる。行ける、今っ!)
窺っていたのは相手が現状に慣れるタイミング。真田が動き、男がそれに合わせて一撃、それを回避して移動……このテンポが染みついた瞬間。それを崩す。
左足を軸にして時計回りに回転しながら右腕を振るう。それをやはりバックステップで距離を取って回避してから、右手側へと飛ぶ。ワンパターンな行動も一定のテンポにするための布石の一つだ。
着地後、すぐに再び右へ飛ぶ。そしてある程度離れた場所から勢いを付けて直線的に駆け出す真田。男は既にその位置を把握していて相対する――!