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暁降ちを望む  作者: コウ
ゆるい特訓、きつい戦闘
54/333

 踏み込んだ右足に違和感。バランスが崩れる。蹴り出すはずだった足が地面から離れない。そのイメージと現実との差に体が硬直する。そう、全身もまた、硬直してしまう。


(動かなっ……凍ってる!?)


 右足が凍結している。先程とは違って全体的にではない。まるで罠にかかったかのように、地面と足を氷が繋いでいた。


「ふっ」

「あ、がっ……」


 そこからはもう静かなものだ。小さな吐息と共に繰り出された男の蹴りが真田の腹にめり込む。肋骨、内蔵、あらゆるものを傷付けて真田は大きく飛ばされた。右足もその勢いで氷が砕け散り地面から離れる。


 派手な悲鳴もない。胃の方から何かがこみ上げてきて声を上げるどころではないのだ。それは嘔吐物かと思っていっそ吐いた方が楽になると判断したが、口から吐き出されたのは大量の血液。完全に体の内部までやられていると妙に冷静に判断しているのは死の恐怖か、それとも頭から血の気が引いているからか。


 痛みを本格的に感じる前に回復は済んでいる。怪我の一つもない体。もう立ち上がれない事はないだろうが、その体がどうしても動かなかった。


(駄目だ、負ける……動かないと……立たないと……)


 動きたいのだ。今すぐにでも立ち上がって再び殴りかかりたい。そう思っているはず。

 それなのにどうして魔法はこの体を動かさないのか。心の底では既に折れているとでも言うのか。

 仰向けに倒れ、ブルブルと震える右手を僅かに上げる。その動きも魔法の力を使ったものではない。自分の意志とはまた関係のないささやかな動き。


 しかし、それもどこまでも続くようなものではない。この手もすぐに地球に引かれて地面に落下する運命なのだ。十年以上も付き合ってきたはずの体なのに、この腕一本が堪らなく重い。


 フッと、その腕が引力に逆らうのを止めた瞬間。再びその腕が軽くなった。別の何かに引かれる力が発生。そのまま引っ張られるようにして上半身も起き上がる。


「立てるかい?」

「……え?」


 ついさっきまで戦っていたはずの男だった。男は真田の手を掴み、引き上げようとしている。枯れているようだが力強い大きな手が真田の妙に細く女々しい手を包む。この体を引っ張り上げている力は魔法によるものだろうが、これが男の持つ本来の力だと言われても納得してしまいそうになるほどに頼りになる手だ。


 状況が掴めない。けれどその手に逆らう事もできずゆっくりと立ち上がる。驚くほど、足はしっかりと地面を踏み締める事ができた。何と言うべきか、場から緊張感のようなものがなくなっている。戦っていた時とは違って何となく胸の辺りが楽だ。

 これはつまり、男が戦う意志を消したという事なのだろうか。


「ほら、制服も。また明後日、同じ時間にここに来る。その時まで勝負はお預けだ。楽しみにしているよ」

「え、なん……で……」


 既に解凍状態の詰襟を差し出して男は笑った。いや、今までも笑っていたが、戦いの中でのものとはやはり違う。

 そして口から出てきたのは新たな約束。何を言っているのか分からない。わざわざ予告する意味も、その戦いを楽しみにする意味も、何よりわざわざこの場で見逃すその意味も。


「ああ、手が濡れているよ。これで拭くと良い」

「は、はい。ありがとうございます……」


 真田の左手をチラリと一瞥し、胸のポケットチーフを差し出した。振る舞いがいちいち紳士的だ。両手で恭しく受け取るものの、その真意は掴みかねる。


「それでは、また明後日。お休み、あまり遅くならないようにしなさい」


 チーフを返そうとするよりも先に、男は用件は済んだとばかりに話を打ち切って踵を返し、さっさと歩き出した。質問も何も、少なくとも今は聞く気がないといったところだろうか。

 その背中を呆然と見守る事しかできず、それが闇に消えるまでは胸の前で手を拭く行為以外は微動だにする事すら出来はしなかった。



「真田!」

「……」


 二人だけが残されて、宮村が駆け寄って来る。そう言えば、日下との戦いが負けに等しい状況で持ち越しになった彼もこのようなよく分からない気分だったのだろうか。

 呼びかけにも答えられない。頭の中はボンヤリとした言葉になりそうでならない微妙な感情が渦を巻いては消えていく。


「あのオッサン、何で見逃したんだ……」

「…………」


 宮村の疑問はもっともだ。自分だって同じ事を思っている。それでもやはり口は開かない。しかし、頭の中のモヤモヤは少しずつではあるが合流して固まり、一つの強い意志に変わりつつある。


「お、おい。聞いてるか?」

「…………勝てませんでした」

「ん、まあ、そうだな」


 悔しかった。調子に乗っていたのか変に自信を付けていた自分がだろうか。相手の行動を読んで動いたはずが更に上を行かれた事がだろうか。負けたはずだったのに明らかに温情で生き残った事がだろうか。


 もう分からない。ただひたすらに、悔しい。


「――修行だ」

「ああ?」


 そう、これしかない。全てを解消する。

 実力に裏打ちされた自信を身に付ければ良い。

 上を行かれようとそれをねじ伏せる力を付ければ良い。

 もう負けないような強い自分に、変われば良い。


「僕も修行します! 見逃されて黙ってられますか! やりますよ、必殺技だ!」

「ちょおっ! 落ち着け、今日は帰って休もう。そんで明日ゆっくり考えようぜ? な? なっ?」


 決意を固めたら何だかやたらと力が湧いてきた。この力を先程の戦いの中で出せたら良かったのにとは思ったが後の祭り。この力を再戦まで持ち越す事ができるだろうか。恐らく不可能だ。


 生まれてこの方、初めてだ。体を動かしたくて仕方ない。今すぐに走り出したい、飛び跳ねたい、何なら暴れ回りたい。精神的には疲労が積もりに積もっているはずなのに、これまでの人生でもトップクラスで元気だ。

 両手を振り上げてギャーギャーと騒ぐ真田の体にしがみついて必死に落ち着かせようとしている宮村の存在も僅かほども気にならない。


 戦いに敗れた二人だったが、その心境はリベンジに向けて、異様なまでに盛り上がっていたのだった。


 再戦の日まで、あと二日と三日。



「ぶっ飛ばぁぁぁす!」

「落ち着けぇぇぇぇ!」


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