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「さて、方針ですけど……」
「必殺技!」
「……はぁ?」
お互いに冷静になった所で話を再開する。議題はと言えばどうやって戦うのか作戦を立てようというものだったのだが、間髪入れずに宮村がビシッと右手を挙げながら口を挟んだ。
しかし、それはやはりフワッとしていると言うべきか荒唐無稽と言うべきか。普段はあまり変わらない真田の表情もグッと苦々しく変化する。
「アレに対抗するには技を覚えるしかない。俺の魔法をもっと活かして、アイツに一発くらわしてやる……!」
「…………」
「だから、そのためにまずはどうやって当てるのか。不意を突くのか防御されてもぶち抜くのか。あ、追尾なんかできたら……」
「あっまーい!」
「っ!」
真田がキレた。両手を高々と挙げて、そこにちゃぶ台でもあろうものなら確実にひっくり返して食卓は大参事だ。そうして人差し指を顔に向けて突き付けるのだが、やはり失礼かとその指を向ける先を腹の辺りまで下ろして、そんな心の動きなど何もなかったかのように再び怒り始めた。
「甘いですよ、宮村君。砂糖醤油くらい」
「い、いや、それはもう良いから」
いつぞやも言ったような例えは別に二度も聞きたくはないようだ。怒っている事は分かりつつもツッコミが入る。
「む。では続きを……良いですか、必殺技なんて存在しません! 強いて技と言うならば、それはパスやトラップ、ドリブルにシュートと言った基礎的な技術の事を言うんです。コンクリ壁にめり込むようなシュートや足の上に乗って飛ぶようなヘディングがなくても試合は成立するんです!」
「……でも、あっちは使ってくるんだから対抗するには……」
「アレは魔法で派手派手しくなってるだけで、ザックリ言うと竹刀振ってるだけです。日下君がやってるのはVフォーメーションだとかWMだとかって呼んでいるだけだ!」
「む、ぐぅ……」
勢いに乗っかって妙に饒舌になった真田の論に宮村もぐうの音も出ない。ぐぅの声は出ているが。ともかく、論争は真田の圧勝だ。よもやあの真田が口で誰かに勝つ事があろうとは。これも進歩だろうか。
肩を縮めて背中を丸め、どちらかと言えば普段は真田がやっているような姿勢になった宮村の前に、これまた普段は宮村の方がやっていそうな腕組み仁王立ちの真田。
「さあ良いですか、宮村君。必殺技なんて?」
「……存在しません」
「技とは?」
「基礎の技術です」
「よろしい。分かってもらえましたね?」
二人の間に交わされた謎のコール&レスポンス、それに満足したのか真田が大きく頷く。そうして攻勢が終わり、再び対等な会話が始まる。そんな殴っては逃げるような微妙なテンポの会話が二人の常だ。
叱られている人間の役を無事に降りた宮村が不満全開の様子で問う。
「けどさぁ、じゃあどうやってアイツに勝つんだ? 何か方法とか考えてあるのかよ?」
「ふふん、当然じゃないですか。――見よ、これが虎の巻です!」
勝算ありとばかりに不敵に笑った真田は、背負っていたリュックから図書室で借りたばかりの一冊の本を取り出し、自信満々に見せるのだった。
「はい、ワン・ツー、ワン・ツー、ワンツー!」
「シッ、シッ、シュッ、シッ、シュッシュッ」
あれから三十分ほど経過。グラウンドには覇気のない声でのカウントと口から洩れるような呼吸音、そして風を切る音だけが聞こえていた。
そう、真田が借りた本とは『今日から始めるボクシング入門』というタイトル。別にボクシング部がある訳でもなく、どうしてわざわざこんな本が図書室に置かれていたのかよく分からないが、とりあえずありがたいと思っておこう。
「はぁい、良いですねー。体に叩き込んでくださーい」
カウントの代わりに手を叩いて乾いた音を響かせる。その音に合わせて左でジャブ。打ったらすぐに引いてガード。ワンツーの指示にはジャブに続いて腰を回して強く右。
形を真似する程度ではあるが、素人がパッと見た感じでボクシングをやっていると思わせられる程度には仕上がっていると感じる。これを三十分ほどでやるのだからこの男、なかなか覚えが良い。
「――なあ、真田ぁ。シッシュッ。……カウントとワンツーが、シッ、分かりにくいんだけど。シュッ」
シャドー(っぽく見える何か)を続けながら、流石に少しダレてきたのか話が始まった。もちろん喋っている間にも呼吸はするので、何らかの新しい語尾でキャラ付けしようとしているのかなどと考えてしまう。日下 青葉の属性の豊富さに焦ったのか……などと、もちろん暇にあかして思い付いた冗談なので口が裂けても言わないが。
「仕方ないじゃないですか、ボクシングの教え方とか何も知らないんですもん。はい休憩でーす」
割と無茶な事を言っているようだが、事実なので仕方がない。真田がボクシングなど教えるどころかかじった事すらありはしない。知識など本をザッと読んで覚えたもの程度だ。
手拍子を止めて休憩を告げる。ダレてきた所で無理に続けても効率が落ちるだけだ。まだ無理に続けさせるような段階でもない、今はやる気のあるタイミングに楽しく続けさせるのが一番だと考える。
「あー、つっかれた……。なあ、じゃあさ、なーんでわざわざボクシングの練習してんの?」
「ボクシングの練習をしてるんじゃないですよ。フォームを体に覚え込ませてるんです」
「フォーム、ねぇ……」
やってる事はボクシングの練習のようだが、ボクシングの練習をしているのではない。サッパリ何を言っているやら訳が分からない発言だ。三十分間も黙々と忠実に従っていた宮村も訝しげ。
意図を知っているのと知っていないのとではまた効率が変わるかもしれないと考えて、頭の中で説明のための台本を急ピッチで作成する。
「魔法はイメージの物ですから。――そうですね、宮村君は自分のパンチとボクサーのパンチ、どっちが強いと思います? ただし、腕輪の効力は考えないものとする」
「そりゃ……ボクサーだろうな」
「はい。もちろん鍛えてるのもあるでしょうけど。で、宮村君のパンチと比べてボクサーのパンチはバタバタしてませんよね?」
「バタバタ……」
自分が必死にやっている事を妙に馬鹿っぽく表現されたので流石のポジティブシンキング宮村も少し落ち込み気味。
「なので、宮村君にはできるだけノーモーションのパンチを打てるようになってもらいたいと思います。今まで宮村君が思いっきりパンチ打とうとしてたのは分かります。でも、その上で、小さいモーションでもちゃんと強いパンチが打てるんだって事を理解してもらいたい」
「で、こんな練習してるって訳か」
極めて端的ではあるが、とりあえず今、何故こんな特訓をしているのかは理解したようだ。考えをまだ全て伝えてはいないが、これ以上は面倒なので割愛してしまう。宮村もダラダラ説明されたって頭が追い付かないだろう。
「はい。こうシパッ、シパッと打てるようにしましょう。期間は短いですけど、宮村君の運動神経と覚えの良さ、期待してますからね?」
「ほっほーう、期待か。任しとけ、カンッペキなパンチ見してやっからよ」
この男は褒めれば乗ってくる。単純だ。非常にありがたい。その単純さこそ、この時間が切迫した状況においては原動力になるのだ。実際に、既に疲れも忘れたのか軽くフォームを確かめるようにパンチを打っている。
その姿を何となく微笑ましく見守っていたその時、真田の背後から聞いた事のない第三者の声が唐突に聞こえてくるのであった。