3
「何だよー、逃げんな、よ!」
ドドドドドッと聞こえてくる音はやはり、意味は理解できないものの予想は出来た。水流だ。何故か、水流が背中に向けて襲って来ているのだろう。
「う、わぁっ!」
先程の横っ面への一撃に比べると威力はずっと低い。それでも平均的な体重の持ち主である真田を再び、今度は顔から地面へと吹っ飛ばすには充分な勢いだった。しかし、予想ができていたという事は覚悟もできていたという事だ。
訪れる痛みに対しての覚悟が決まっていれば、まだ余裕を持って次の行動に移る事ができる。即座に立ち上がり再び走り出す。他の事を考えてしまっていたつい先程までとは違い、今は完全に逃げる事だけに集中している。体は最も良いと思うフォームを模索し、足を上げ腕を振り、前に行こうとする気持ちの表れか前傾姿勢になる。少なくとも気持ちだけはスプリンターだ。そして頭は逃げるために何が起きているのか把握しようと無理矢理ではあるが高速で回転を始めた。
(水だ。何でかは分からないけど水を出せるんだ……最初は鼻に、次は殴りながら! でもどうやって? それに何でそれを使って僕を襲ってるんだ?)
再び追いかけて来る足音。そして時々水流が背中を襲う。飛ばされ、転がされ、その度にすぐ立ち上がり少しだけ進行方向を変える。何も考えずに背を向けて走り出したため、校門とは反対方向に向かってしまっているのだ。しかしUターンして校門に向かうのでは相手との距離が縮まってしまう。なので気付かれないように、転がされて立ち上がる度に少しずつ右へと方向転換をして近付こうとしているのだが、それもすぐに終わってしまう事となるだろう。何故ならば、校門に辿り着くより先にグラウンドの端に追い詰められてしまうからだ。
Uターンするならばそれほどのスペースは必要としない。だが、この場合は前に進むという要素が加わっている。水が襲って来る間隔で数メートル、下手をすれば十メートル以上も前進してしまうのだ。頭の中で思い描いたプランでは大きく角ばった『U』の字を書くように曲がるつもりだったが、そう上手くはいかない。気付かれないほど少しずつというのは想像以上に難しい。本当に少しずつしか曲がれないのだ。そこに前進するという要素が加わってしまうと、カーブして隅にわざと逃げ込むような軌道になる。
このままでは一瞬だけとは言え戦わなければならないかもしれない。《戦う》という言葉が再び頭をよぎった時、真田の頭には点と点が繋がるように一つの仮説が浮かび上がる。
(あの人、そういえば僕と戦おうとしてた……でも僕が戦えない事を知らない、つまり今でも僕が戦えると思ってるんだ。僕と戦おうとした上であの水を出す力を使ってる、じゃあ僕なんかが相手でも水を使わないと戦えないんだ。どうして? 僕にも同じ事が……できる?)
とうとう追い詰められた。彼の背にグラウンドを区切るフェンスが当たる。行く手は三方向。右に行くと元の木阿弥、校門から離れてしまう。左に行けば校門に近付くが下手をすれば致命的なまでに距離を詰められるだろう。そして、前には男がいる。追い詰めたと分かってニヤニヤと笑いながら、余裕ぶって歩いて来ている。
(僕にもできる? どうやって? もっと考えろ……もし同じ事ができるとして、他に共通点……決まってる、腕輪だ。そう言えば鼻に水を飛ばされる前に腕輪を触ってた、僕がやる気になったと勘違いされた時、僕も腕輪に触ってた……じゃあもし、あの腕輪が電源ボタンみたいな物なんだとしたら……。だったら、今は……僕にも、電源が、入ってる?)
「ざーんねん、追い詰めちゃったぁ。この距離なら……一撃でドカンっしょぉ!」
「う……あああああああ!っ」
男が右手を振り上げる。このまま何もしなければやられる。そんな最悪の状況でもはや迷いは無かった。何かが吹っ切れたように両手を前に突き出して叫ぶ。
頭の中にはただ一つ、この状況を切り抜けたい。真田は力を入れるあまりに目を閉じていた。