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真田 優介は辟易していた。
時は昼。所は職員室。真田の隣には友人が一人とクラスメイトが一人。そして目の前には、担任教師が一人。
「あのな……俺もこの学校のOBだ、特に真面目じゃなかったが、これで職員室に呼ばれた事は無かったよ」
怒っているような呆れているような、どちらとも取れる微妙な声色。とりあえず気怠さだけはハッキリと感じ取れる。チラリと視線を上げれば、その担任、安本は手で顔を覆い隠して深い深い溜め息を吐き出していた。
「良いか? この伝統は柔軟性を養うためにあるんだ。いつも真面目なのは良い事だが、気を抜くのも必要。普段はどんな格好をしてても良いけど、正さないといけない時は正す。TPOに合わせた格好ができるように、服装指導の時だけしっかりしていれば不問にするって暗黙の了解がある」
そう言って、安本は三人の姿を下から上から眺め、再び溜め息。
「何でウチのクラスから三人も違反者が出るんだ! 今日だけちゃんとしてればセーフだぞ? 昨日の段階で服装指導するって告知もしたぞ? なのに何で三人! 良いか、全校生徒で今回の違反者は三人だけ、つまりお前らだけなんだよ!」
声を荒げられた時の反応は三者三様。一人はどこ吹く風、一人は苦笑い、一人は少しだけ半身に構えてあまり聞こえない左耳を向けて抵抗。
少なくとも一人として真面目に話を聞こうとしていないという事は伝わったらしく、ガックリと肩を落とす。しかし、何を言っても無駄だろうと思ってはいても一応指導をしない訳にはいかないのだ。
「特に吉井、お前だ。このルールができてからは史上初だと思うよ、毎回違反してる生徒は。流石にこれは情状酌量の余地は無いぞ?」
吉井と呼ばれたのは、先程からどこ吹く風で聞き流していた女子生徒。短いスカート、小さなリボンの形のイヤーカフ、控えめな物ではあるがピンキーリング、明るい茶色い髪。これを少しも正そうとしていないのだから良い度胸だ。
そこで、茶化すようにもう一人の男子生徒が口を挟む。
「おっ、じゃあ俺達は前科が無いから見逃してもらえたり?」
「……お前に無いのは前科じゃなくて服装指導の日の出席だよ。二年になって初めて服装指導を受けるってのも史上初だろうな」
「へっへっへ……まぁ、今後の俺をお楽しみって事で」
「アホ、そんな前科がある奴の今後なんか楽しみにできるかっつーの」
「どうやら、行動で示すしかないみたいだぜ……」
「示せ示せ、俺はこれに関しちゃ結果でしか判断せんぞ。……だが、確かに今回の件は初犯だ。それに、真田にお揃いのアクセサリーをするような相手ができたってのは喜んでやらんとな。まあそんな訳で、お前ら二人は釈放だ」
「へ?」
「おお、マジっすか。やすもっせんせー超太っ腹じゃん、有酸素運動がオススメだぜ?」
「何の話だ、馬鹿。俺は走ったり歩いたり時には山に登ってしっかりと……ってそんな話はどうでも良いんだよ」
注意を受けるために職員室に呼ばれているとは到底思えないような緊張感のない会話。これも親しみやすい雰囲気の安本だからこそできる事だろうか。説教をしようと言うのにこんな対応をされるのだから必ずしも良い事ではないだろうが……もっとも、こちらが変わり者過ぎる可能性も否定できない。
「……あ、あの、僕達はもう行って良いんですか?」
「ん? おお良いぞ、行け行け。むしろ三人も注意してるって方が肩身が狭いんだよ。……良いか、今度からはちゃんと上手くやれ。それと、友達付き合いもな、上手くやってけ」
声を落として言った言葉は次は上手く隠蔽しろという無茶苦茶なものだが、この学校においては一応は正しい。そして、真田の目を見ながらそれに続けて言うとニカッと笑ってみせる。
本当にこの教師はただただひたすらに良い人なのだと、ハッキリと理解させられる。
「あ……ありがとうございます! し、失礼しました!」
「押忍、しっつれいしましたッス」
二人で同時に頭を下げ、そそくさとその場を立ち去る。離れられるならばさっさと職員室から離れてしまいたいというのが、学生の共通と言っても過言ではない習性だ。
扉を開けて、一応室内に向き直って一礼。一人残された吉井はと言えば、それまでのやりとりなど興味がないと言ったような様子で爪を見たり髪に触れたり。実にマイペースだ。
「いやー、やっぱ話分かるぜ、やすもっちゃん」
「……」
空腹を抱えて教室へ戻る廊下。カラカラ笑いながら気楽に話している宮村とは対照的に一言も喋らないのが真田だ。何も空腹だからというのが理由ではない。かと言って性格上の問題でポンポンと話す事ができないというのも今回に関しては理由ではない。
「どしたん? 何か元気ないじゃん」
「……はあ」
「おいおい、マジで大丈夫か? ね、寝不足か? 腹が痛いとか……頭か。それとも……まさか、説教くらってトラウマ的な……」
「流石にアレでトラウマになるほどナイーブじゃないですよ。馬鹿にしてんですか」
「だわなぁ」
心から心配してもらっている相手に対する対応ではない気がする。しかし、実際問題、眠くはあるが体調を崩すほどではない。腹痛や頭痛にも悩まされてはいない。左耳の調子はイマイチだが、気分が悪くなるような酷い状態ではない。
最初から元気いっぱいなんてキャラではないが、それでもこれほど元気が出ないのにはまた別の理由がある。
「……この腕輪、外れないんでしたね。そう言えば」
そう、腕輪だ。真田を不思議な戦いの世界に引き込んだキッカケ。真田と宮村を引き合わせたキッカケ。そしてこれは先程、職員室に呼び出されてしまったキッカケでもある。
「あー、はっはっは。マジで誤算だったなー、半袖だと思いっきり見えるんだもんよ」
二人が出会い、友人となってから約一ヶ月が過ぎた。
今は六月。衣替えシーズン。特別に目立たないよう、移行期間の中盤から学ランを脱いで半袖で登校しようとした真田だったが、その時になってようやく思い出した事がある。
そう、腕輪は外す事ができないのだ。もっと深く嵌めたりする事はできるが、抜く事は不可能。つまり、この時期は隠せない。
こうして悩みに悩んだ結果、堂々としながら腕輪は隠すという相反する行動によって特に誰かに気にされる事なく過ごしていた真田。しかし、移行期間が終了して全員が夏服に着替えたその時、服装指導が決行されたのであった。
「で、結局俺達は二人ともアクセサリーを付けてたから呼び出し注意。……いや、参った参った」
「参った参った、なはは……じゃないですよ」
「なははとは言ってねぇよ、相田みつをかよ」
「せんだみつおですよ。……いや、せんだみつおのつもりもなかったんですけど!」
真田が会話をするような他人がいるという事は本当に素晴らしい事だ。ただ少々、相手が自由と言うべきか。二人で話していると非常に話が脱線しやすいのだ。
もっとも、その脱線した話に何となく乗っかってしまう程度に会話に浮かれている真田にも問題があるのだが。
「はぁ……僕、明日から長袖のシャツ着て来ます」
「お、隠していくパターン。でもそれ目立たね? お前だけ長袖」
「馴染ませりゃ良いんですよ。呼び出されるよりよっぽど目立ちません」
そんな特に何か得る事もない無駄な(真田にとっては非常に有意義でもある)会話をしながら切り出すタイミングを計っていたかのように、唐突に真田が別の話を始めた。
「――他にいなかったですね」
「ん? 何が?」
「指導に引っ掛かったのが三人、吉井さんは腕輪を着けてなかった……生徒の中に他の魔法使いがいる可能性は低くなりました」
「あー、そうだな。じゃあ学校の中では安心、って事で良いのか?」
「一応ですけど。先生の中にいるかもしれないですし、それこそ何とかして隠してる人もいるかもしれません」
他にはいないと判断したものの、油断して良い訳ではない。存在していないものを存在しないと断じる事は非常に難しい。その上、まだ魔法について知らなさ過ぎるのだ。手紙では外せないと書いてあったが、何かしらの方法で外せるのかもしれない。
怪我を治せるという事も直接的には書いていなかった。まだ他にも知らされていないルールがあるかもしれないのだ。
(この戦いは結構、情報が少ない……どうやって情報を得るのかってのも戦いの内か。だったら手が多い方が良いな。コミュ力高めの協力者ができて良かった……)
最終的な勝者は一人。しかし、一人で戦い抜くのは難しい。敵を見付けるために網を張り、強力な敵を確実に倒すためにも協力者は必要不可欠だ。
こうして交流を深められたのは偶然だが、その偶然には感謝したい。そう思っていると、二人はようやく教室へと辿り着いた。