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暁降ちを望む  作者: コウ
買物と追跡
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 グラウンドの真ん中で立ち止まり、ブレーキを掛けるために強く踏み込んだ右足を軸にして反転する。

 ついに視界に入ったしつこい追跡者の姿、それは思っていたような恐ろしいものではなく、至って普通の男だった。普通と言っても真田のような普通さとはまた違う。坊主頭に剃りこみのラインを入れて、ストリート系とでも言うのだろうか、少しダボッとした服装やジャラジャラと身に着けているアクセサリーは間違いなく特徴である。しかし、人混みの中でその特徴はきっと埋没するのではないだろうか。その人、個人の特徴と言うのではない、探せば同じ特徴の人間がいくらでも見付かりそうな、個性的な無個性とでも言うべきか。


 だが、その普通の人間は真田を恐怖させるに充分でもあった。そもそも人付き合いが苦手な根暗な人間である真田の最も苦手とするタイプの姿だ。さらに暗闇の中で徐々に見えてくるその眼はどうやら血走っているようだ。異常な状況下、切迫した精神。その目を見た瞬間、人の目を見られない人間であるはずの真田すら離せなくなってしまう。


 その男は真田の十メートルほど手前で立ち止まった。ギラギラと狙う目だが、機を見ているのか、それとも何か話す事でもあるのか。二つしか浮かばなかった候補だが、それは的中する。しかも少し意外な事に後者が正解だったようだ。


「逃げるなよぉ……お前もなんだろぉ?」

「な、なな、何の事ですか」


 開かれた口から出てきたのは気怠さを感じさせるような間延びした低い声。それに対して真田も毅然と答えようとするのだが、一音目から躓いてしまったのでは台無しだ。


「手紙だよ、手紙の事。お前も読んだろ? だからそんなの着けてんだろぉ?」


 そう言って見せてきた男の左腕には、腕輪があった。ただの男が身に着けていたアクセサリーの一つだと思っていたが、よく見れば違う。華美なアクセサリーの中で逆に一際浮いて見える地味な腕輪は、間違いなく自分が着けているそれと同じ物だと分かる銀色の鈍い輝き。


「手紙……」


 確かにあった。腕輪と一緒に送られていた白い封筒。腕輪の存在に気をやり過ぎてすっかり忘れていた。腕輪を着けてみた事で何となく完結したような気になってしまっていた。

つまり男は真田の腕輪を見て追ってきたと言う事だ。あまりに迂闊。何か大切な事が書かれていたらしい手紙を読みもせずに腕輪を見せびらかすように歩いてしまった。手遅れとは分かりつつも思わず右腕の腕輪を左手で覆い隠すようにしてから逃げるタイミングを逃さないために腰を落とす。しかしその姿を見た男はニヤリと笑うのだった。


「おっと、お兄さんやる気になったぁ? 良いよ良いよ、かかってきなよぉ」


 どこをどう見たらやる気になったように感じたのだろうなどとは口が裂けても言えず、前髪に邪魔された目で隙が無いかと注視する。だが、隙などあるはずがなかった。相手は何故か知らないが妙にやる気になっている、素人の真田に見付けられるような隙など存在していないのだ。


(どうしよう、どっからも逃げれない……と言うか、なんでこんな目に!)


 例えば殴られて金を取られるのなら、もちろん腑には落ちないが理解はできた。しかし、それが意味も分からない謎の腕輪のせいで襲われていると言うのならそれは完全に真田の理解できる範疇を超えている。この不思議な現象は流石に理解できる現象への変換は不可能だ。何故腕輪を見て追いかけて来たのかも、何のためにこんな事をしているのかも分からない。頭の中で渦を巻く様々な思考を全て排除して逃げるために集中する。しかし、それでも目に見えるような隙は無く、動く事ができない。


「何だよ、やっぱ来ねぇの? なら、しゃーないなぁ……すぐに終わらせたくなかったんだけど、こっちから行かせてもらうぜぇ?」


 そう言った男の右手は、何のつもりかゆっくりと動き、左腕の腕輪に触れた。集中していたはずが、あまりに当たり前のように動いているので思わず目でその動きを追ってしまう。

そしてその右手の中指がデコピンでもするように弾かれると、その瞬間……。


「がっ……ゴホッ! ゲホ、ゴホッ……!」


 突然、鼻の奥がツンとするような感覚。直後に口に逆流する多量の水。まったく状況は理解できていなかった。鼻に水が、それも大量に入ってきたのだろうか。海やプールで溺れたのならまだ話は分かる。しかし近くに水など無い地上でそんな事になる意味が分からない。苦しげに咳込む最中、足音が聞こえてきた。徐々に大きくなる砂を踏む音。その音が自分のものでないのなら決まっている。男が駆け寄って来ているのだ。


「もっぱつ、オラァッ!」


 意気込むような声に反応して、涙で視界を遮られながらもこれは危険だと無理に上体を反らす。拳か何かが顔の前を通り過ぎたような風を切る感覚が襲い、その直後。


「うぷっ……」


 鉄砲水が横っ面を狙ってピンポイントに襲ってきたかのようだった。どこからか現れた大量の水が左頬を叩く。重量のある水の圧倒的な勢いに真田の体は容易に右方向へと吹っ飛ばされた。


「な、何? 何が……な、な……ええっ?」


 地面を転がされ、ひとしきり咳込んで水を吐き出し、涙や鼻水や唾液、そして頬を叩いた謎の水でグチャグチャの顔ではあるが疑問を口にする事ができた。しかし、地面に叩き付けられ転がり回った全身に痛みが走り、冷静な思考は失われてその疑問も要領を得ない。もっとも、冷静だったとしても状況は少したりとも理解できなかっただろうが。


「あっちゃー、パンチ外しちゃったから落とせなかったなぁ」


 などと飄々と言って右手首をブンブンと振る姿には理解のできない存在への恐怖しか感じられない。動物は危機を感じると身を隠そうとする。手遅れではあるかもしれないが、真田にもその本能は残っていた。一も二も無く背を向けて逃げ出す。まさに脱兎の如くと言ったところか。もはや隙などを探しすらもしない。無事に逃げられるかも分からない僅かな可能性に縋るほど、真田は追い込まれている。

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