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先程から変化は無く、否、先程よりも明らかにしっかりと真田は立っていた。巨大な風弾による被害も、その他の攻撃で負った傷も、その全てが完璧に消えている。
今ある怪我の痕跡と言えば、感情の昂ぶりによって噛み締めた唇から流れる赤い血だけだ。
「は……はぁ?」
「良いですか、変わるってのは重いんです! そんな簡単に変われたら苦労なんてしないんです! 今まで喧嘩ばかりしてきたから次は喧嘩しない人間になる? そんなの別人じゃないですか、そんな一気に変われるわけないじゃないですか、馬鹿なんじゃないですか?」
「お、おい……どうしたんだよ」
「うっさい! ちょっと黙ってて下さい! 良いですか、僕は暴力は嫌いですけど、暴力は絶対に駄目だとか、そんな事を言う人間はもっと嫌いです。もう正直かなり気持ち悪いです。人間はどっかで戦う機会、戦わないといけない時ってのがあるんです。でも暴力は良いものじゃないです。だから、人間ってのは最低限の暴力を振るって生きてくんです!」
もはや魔法など存在していない。そこにはただただ説教をする男と困惑する男がいるだけだ。説教されているのが適当に明るく口数も多い側で、説教しているのが誰とも話さない根暗と言うのが実にアンバランスでシュールに見える。
「それなのに暴力振るわない人間になってどうするんです! そんな極論で考えるのは、《変わる》って事を勘違いしてるからに違いないです! 《変わる》ってのは急に正反対になる事じゃないんですよ! 少しずつ少しずつ! 違う自分になってく事を《変わる》って言うんです!」
「少しずつ、《変わる》……」
「別に一歩一歩とも言いませんよ。昨日は足に力入れて、今日は足を上げて、明日はその足を下ろすくらいのペースでも良いんです。そうして少しずつ方向転換していったら最終的には……何かこう、違う自分になれてるんです!」
そうして真田は思い出す。腕輪を手に入れる前の十数年を。腕輪を手に入れてからの数日間を。本当に短い間ではあったが、少しずつ少しずつ、これまでの人生で一番進歩した数日間だ。
「僕は、人と話すのが嫌でした。誰とも話さずに一日終わるのなんてよくある事で、声出そうとしたら久し振り過ぎて出なかった事もあります。……一昨日は、知らない人に声を掛けて道案内をしました。ちょっと、その後に面倒な事がありましたけど……その人と話した事はきっと忘れません、大切な事を学べました。
昨日はクラスメイトに自分から声を掛けて話しました。凄い短い時間でしたが、その人の目を見て話してみました。なんか、凄く恥ずかしいような緊張するような感じでしたけど、悪くない気がしました」
人と接する事の無い、十年選手の筋金入りの根暗男が、たった数日で自分から声を掛けるようになったのだ。これを進歩と呼ばずに何が進歩だろう。もちろん真田にとっては大きな進歩だが、これはきっと他人から見れば小さな進歩なのだろう。それこそ、足に力を入れて上げた程度だ。だから、次はその足を下ろして一歩目を踏み出さねばならない。
「小さいと思いましたか? でも、僕はそんな小さい進歩に凄く満足してるんです。自分が昨日より成長できてるんじゃないかと思うと、安心します。嬉しいんです。だから……今日も僕は進歩します」
そこまで言って、鼻から大きく息を吸う。次の言葉に全ての想いを込めるために。次の言葉で自分を奮い立たせるために。きつく結んだ唇が痛い。
「宮村君と対等な目線で! 《変わる》ってのがどんな事か分からせる! これが、今日の僕の進歩だ!」
自分を卑下して相手に遠慮する。もうそんな気持ちは存在していない。そこには、目の前にいる苦手な人間にも屈する事無く、対等な人間として立っている男、《真田 優介》がいた。汗に濡れる前髪を上げれば、普段は覇気の無い目が力強く開かれ、宮村を見据える。前髪に隠れなくとも臆さない。
「何が分からせるだよ……こっちはもう引けねぇんだ! 勝つしかねぇんだよ!」
先程のような高威力の攻撃が再び飛ぶ。その姿こそ見えないが、ここまで受け続けた甲斐もあってか、その位置は手に取るように分かる。放たれたタイミングとスピードから位置の把握は可能だ。
その一撃を真正面から受け止める。高威力ではあっても流石に先程の渾身の一撃よりも少し落ちていた。濃い砂煙は巻き起こらず、真田の姿は鮮明に見えたままだ。だからこそ、真田が先程の攻撃をどうやって切り抜けたのかがよく見える。
「お、まえ……マジかよ……」
真田の取った行動。そんなものは無い。完全なるノーガード。ただその場に立って、全身を襲う攻撃を受け止めたのだ。だが無傷。怪我の一つも存在せず、膝を折る事無く立ち続けている。




