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相性。戦う上でとても大切な要素の一つだ。能力や技術がどれだけ高くとも、相性一つでそんな優位性は引っ繰り返される。
そして、相性にも二つある。一つは能力的な相性。接近戦しか攻撃手段を持たない相手に対して距離を取って戦える日下は能力的な相性が良いと言うべきだ。荒木よりもずっと。
しかしもう一つ、性格的相性がより肝心だ。高い戦闘能力を持ち、さらに自分の殻も破った日下であるが、まだ未熟な子供である事とそれでもなお長いと言って良い年月を経て構築した根本の性格は簡単に変わるものではない。日下の苦手な相手、それは力押しや駆け引きを得意とするタイプだ。ただの一撃で主導権を握る攻撃力、全身の躍動で攻め手を見極めにくくする駆け引きの妙。即ち、今戦っている相手は日下にとって非常に相性の悪い人間なのだ。良いようにやられている荒木の方が余程マシだと言えるほどに。
荒木の能力は片手につき一つだけストックが出来る。つまり、能力を発動待機状態にしてしまっていると地面を叩いて衝撃を消す事が出来なくなる。だから不用意に能力を使えない状況に陥っているのだ。投げられる時にどちらの手が空いているか分からない、投げられる直前に時間を止めると危険な受けになってしまう。結果、互いに能力を使わない格闘戦となる。
(傍から冷静に観察すると分かる……あのステップ、不規則だけどリズムは一定だ。そして完全なランダムのようで同じステップを連続しては踏まない。足を交差させた後は絶対にそれを戻す、ある程度は同じ場所に足を置きに来るんだ)
まるで勝ち目の見えない強敵のように見えていた。実際にかなりの強敵だ。しかし、冷静になってみればこれが意外と完全無欠という訳ではない事がよく分かる。相手も人間だ、結局は。
そして日下よりもさらに冷静な荒木は戦いの中でも敵の特徴を見極めている。
(足を下ろすタイミングを見計らってロー、上手い!)
敵の最も注意すべき点、それは足だ。足にダメージを蓄積させて潰す事が出来ればステップは緩やかになり、踏み込みも弱化する。無論、ダメージ自体は回復されてしまうが、その痛みと経験を脳に刻み込めればそれだけで充分に意義がある。投げを繰り出す手や短期決戦を狙った急所などに攻撃するのはこの場においては安直な発想と言わざるを得ない。より確実に戦うならば狙いは足なのだ。
だが、上手いのは相手もまた同じ。下段蹴りが来ると見て即座に反応、足を下ろし切らずそのままカットの形に持っていく。想定外の痛みを感じて、荒木の顔が少し歪んだ。
男は柔道を攻め手の主体としながらも全体としては打撃系の格闘技の動きを取り入れている。ここまで磨き上げている技術は確かに立派なものだ。けれど技術を磨いてきたのは荒木もまた同じ。魔法などと言う突飛なものも無い徒手空拳での戦いは荒木にとっても馴染みのある洗浄なのだ。
(フック、速い!)
目にも留まらぬ速度の鉤突き。それでも命懸けで相対している相手からすれば決して追い切れないスピードではない。素早くガード、そしてそのまま腕を掴みにかかる。しかし防がれる事も荒木の想定内、寸前で拳を引く。この瞬間、意識して拳で対象に触れるという条件が成立した。
「ここ……ッ」
触れた時間はほんの一瞬。しかし魔法使いが一瞬でどれだけの行動が出来るのか、そんな事はもはや語る必要もない。とはいえ迷う時間が無いのも事実。持っている中で最も破壊力のある一撃、それは当然、正拳突きだ。
確実に一撃入れる事が出来る今、ならば狙うのは足などではなく急所だ。顔面を叩き割らんと突き出される拳、到達する前に時間が動き始める。これで一瞬。実際に拳が叩き込まれるまでもう一瞬。それで充分。本来ならば。
「だぁから甘いんだよォ!」
攻撃が当たるまで一瞬。その時間で出来る事は多いが、状況把握をするには圧倒的に時間が足りない。ならば状況を把握する必要が無ければ? それは時間を極めて有意義に使えるという事。
(時間を止めての正拳……読まれてた!?)
対象に触れて時間停止、そして確実に大打撃を与えるために狙うのは顔面。ここまでの戦いで看破されていた。いや、正確には間違っていればそのまま敗れるだけの賭けに打って出たのだろう。
そしてその賭けには見事に勝った。寸前で、かつ一切の接触をしない完全回避という形で。
(腕がガラ空き、投げられる!)
伸び切った腕を男が捉える。そのまま投げられる、それが頭に浮かんだイメージだ。当然だろう、それだけのインパクトが最初の一撃にはあった。文字通りに天と地が引っ繰り返るのだから。だが、戦いの中では敵のイメージを上回る、裏切る事も大切だ。
男の右足は反転するために交差するのではなく、荒木の足の間に伸ばされてきた。そして荒木の右足を刈り取り倒す。まるで意識の外から、小内刈りが見事に決まった。
「ぐっ……」
無抵抗に倒されるしかない荒木だが、何とか地面を叩く事には成功した。崩される形なので叩き付けられるほどの攻撃ではないためダメージ軽微。まだ頭は半分ほど崩された驚きで白いままだが、本能がまるで藻掻くように素早く立ち上がらせた。
「そこだ!」
立ち上がる判断は間違っていなかった。しかし、すぐに戦闘態勢に入れないのであれば、むしろ転がったままの方が良かったという見方も出来る。立ち上がってから構えるまでの短い時間、そこを隙として相手はまるでタックルのように突っ込んで荒木の膝を両手で刈った。双手刈り。
「っ……がぁっ!」
今度こそ、完全に隙を突かれ完全に無抵抗なまま攻撃を受ける事となった。完全な無抵抗、それは即ち受け身を取る事も出来ずに硬いアスファルトに背中から倒れるという事。もはや痛みではない、肺から空気が片っ端から押し出される苦しみ。
ここから決して下手な追撃をしないのが相手の男だ。すぐに離れる事で反撃を許さない。ダメージを脳に刻み込ませる事が出来れば、息苦しくさせて思考能力や動きを鈍らせる事が出来ればそれで良いのだ。それを繰り返してジワジワと敵を殺す。派手な投げ技を見せておきながら、こちらが男の編み出した本当の戦術なのだろう。
「さあ、来なよ。次はどうされたい?」
ニヤリといやらしく笑ってみせながら男は言う。煽っているのだ。そんな言葉が聞こえているのかいないのか、荒木は力の抜けた様子でふらつきながらも何とか立ち上がって男を見据える。
完全に追い詰められている、そう言わざるを得ない。息も絶え絶え、勝ち筋は見えない。そんな状況の中で、荒木は――
「!?」
降参とばかりに両手を肩の高さまで上げてみせた。




