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「ぐぅっ……くはっ!」
左の脇腹にいきなり訪れた鈍い痛み。肺の中身を全て吐き出したのではないかと思うほどの窒息感。視界が白くなったかと思えば黒く変わり、それを幾度も繰り返す。風弾が完璧に入った証拠だ。恐れていた通り、真田の動きは止まる。
「貰った!」
もう姿も見えないが、宮村の声が聞こえてくる。そして微かに聞こえる風の音。真田の体はまたくの字に曲がっていた。聞こえてくる風の音から察するにストレート。それも低い位置にある顔を狙うために中段。
「う、あああっ! あぁっ!」
冷静さなどは無い。中段に飛んで来ていると考える余裕も無い。ただ普通に、反射的に顔を守ろうと両腕を気合で上げる。そして衝撃。だが攻撃はまだ終わらない。ここからトドメのラッシュのつもりなのだろう、既に次の攻撃の音が右側から聞こえていた。それも恥を捨てた掛け声と共に右腕に力を込めてダメージを軽減する。
「うわぁぁぁぁ!」
だが、飛ぶ。真田の体が左側からの攻撃によって右へと、とうとう飛ばされた。地面を転がりながら死の訪れを感じ取る。しかし、追撃は無かった。立っていた場所から動いたせいもあっただろうが、それだけではないようだった。ジタバタと醜く起き上がった真田に少し大きな声が掛けられた。
「……俺が戦ってきた奴らはみんな、音で当たるタイミングを計って来た! 真田! お前も多分そうなんだろ? そんで、あのー……もしかして、お前……」
そこまで言って宮村は言葉が続かずに口をパクパクとさせている。何を言いたいのかは大体分かっていた。まさかこんな事に気付かれるとは思っていなかったが。
腕輪によって向上する能力はいくつかあると、実際に体験する事で理解した。まずは視力。これは視力が回復するであるとか向上すると言うよりかは、目を凝らすように集中すればカメラのピントを合わせるように遠くがハッキリと見えるようになるものである。
次に動体視力。これも集中が必要だが、動く物の速度が緩やかに見える。もちろん、そう見えるだけであって実際の速度は変わっていないのだが、見えればそれに対応出来るだけ身体能力、瞬発力も向上している。例えば、顔面に迫ってきたボールの姿を捉えたならば常人離れしたスピードで動く事ができるので回避は容易なのだ。その常人から見たならば時間の流れが違うとすら感じるかもしれない。
脳から筋肉、筋肉から実際の動作と移っていくのだが、この時に魔法が筋肉をアシストする事によってそのスピードは生み出される。それによって疲労も極端に減り、体力の温存と言う形で持久力も向上する。電動アシスト付きの自転車のようなものだ。最低限の負担で常人離れしたスピードへと持っていく。
だが、向上しないものもある。まずは嗅覚。そして味覚、触覚。これらは戦闘に大きな影響を及ぼさない能力だ。もちろん、それは人によるだろうが。目が見えなければ嗅覚や触覚は大きな情報になりうる。しかし、この腕輪はそこまではサポート対象外らしい。
そして五感となればもう一つ。戦う相手を目視する事を重要視しているためか視覚の強化は行なわれているが、もう一つの戦闘に影響を及ぼす感覚は強化がされていないのだ。
即ち。
「……ぜ、全然、って訳じゃないです。でも、えっと、左は……はい、あまり、聞こえは悪いです」
今、この瞬間も。左側の音はあまり聞こえていない。低音域は特に。だから教室の自分の席は聖域だった。廊下側、つまりは一番右端の列にいる間はほとんど全員が左側に位置する。その場所にいると少しだけ音が遠くなって聞こえるのだ。左側の攻撃への対応が遅れるのもこのためだ。風の音などろくに聞こえるはずもない。相手が腕を振っているのが見えていたなら、無意識下で覚えていた風弾の到達するタイミングや右耳に微かに聞こえてくる音によって防御ができる。しかし、見えていないならそんな芸当できるはずがなかった。
原因はハッキリとしない。しかしある日、突然左耳が閉ざされたような感覚があった。特に何かがあったのではない。他人と同じ空間にいるだけで強いストレスを感じる真田の事だ、恐らく原因はそんな所なのだろう。
病院には行かなかった。面倒で、嫌いで、金もかかり、何よりもすぐに治ると思っていたからだ。そう思っていたが、かれこれ三年ほどの付き合いになる。いい加減に慣れてその事を忘れたように自然体にもなるというものだ。
「やっぱりか……お前、当たったの両方そっちだもんよ」
「僕も、その、ちょっと忘れてました。この腕輪、耳は治してくれないんですね。今気付きましたよ」
そう言って腕輪を着けた右手を軽く振る。戦う流れから話をする流れに変わったのは幸いだった。可能ならば、腕の痺れが抜けるまで会話を長引かせたい。そんな生存本能が真田の口をスムーズに動かし始める。
「お前、そんなんで戦えんのか? それじゃ危ないだろ、何でそんな事で戦うつもりなんだよ!」
「別に、腕輪を持ってるって事は色々と思う所があるんじゃないですか? 戦う理由は人それぞれって事ですよ。宮村君だってそうなんでしょう?」
これには少し嘘があった。真田に戦う理由など特に無い。強いて言うならば戦いの中で何かが見付かるのではないかと言うのが理由だ。大きな理由ではないが、自分を変えていくきっかけがそこにあるのではないかとも思っている。
また、真田の言葉には問い掛けで発言を終える事によって会話を続行させようとする思惑があった。質問と言うのは会話を続けるための基本だと何かで聞いたような気がしたためである。
人と話す事が苦手な真田の欠点の一つとして、話す時はそちらに集中しなければできないというものが挙げられる。つまり、こうして会話を続けようとしている真田は戦闘の面において大いに油断している事となる。
そう、ゆっくりと動いている宮村の右腕が攻撃の意図を含んでいると気付かないほどに。