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技術は確かだ。しかしながら、それでいて有り余る力に任せたパワフル過ぎる投げだった。宙に浮かせてしまえば後はもう圧倒的な力を持った魔法使いと一般人の戦いと言っても過言ではなくなってしまう。
荒木は空中、瞬く間に地面に叩き付けられる。短い時間ではあるが、一つくらいなら抵抗する手も打てる。手首を掴まれているのだから逆に相手の手に触る事で凍結させる事も可能だ。だが、可能である事と実行する事はまったく別の話。出来ない。可能であったとしてもする訳にはいかない。
ここで相手の動きを強制的に停止してしまうと荒木の体は空中に取り残される事となる。停止しているのは相手だけだ、そうでなくては意味が無い。つまり、そのまま落下する未来が待ち構えている。今、こうして投げられている凄まじい勢いを急停止して落とされるのだ。下は畳なんかではなくアスファルト。どんな落ち方をするのかも分かったものではない。
重ねて言うが、相手の技術は確かなのだ。実に綺麗に背負ってくれている。即ち、この場は相手に任せて投げられた方が未来が正確に想定できるのである。
荒木がまだ若い頃。身分で言えば生徒と呼ばれるほどの頃。授業で柔道と剣道を選択する必要があった。どちらも別に興味は無いが、選ばない訳にもいかない。そこで彼は、手に武器を持つという状態があまり頭の中で馴染まず、消極的に柔道を選択する事にした。つまり何が言いたいかと言えば、受けの技術は持っているという事。
とはいえアスファルトに渾身の力で叩き付けられてしまえば、もうそんなのは受けなどでどうにかなるような状況ではない。受け身を取ろうとした手や足ごと体全体が潰れて死ぬだけだ。
だが一瞬なら。ほんの一瞬、地面と接するだけならばあるいは。もしその接する部位が手だけだとすれば、文句無しで生き延びる事も出来るのではないか。
決死の覚悟。引き手でしっかりと捕らえられている右手は動かせない。残るは左手。感覚を研ぎ澄ませば研ぎ澄ますほどに時間が緩やかに流れ始める。勝負は一瞬。前回りの受け身はあまり得意ではないが記憶を呼び覚まし、相手の投げの技術の流れに乗れば、出来る。はずだ。
顎を引き、前方に回転。回り切った所で地面を叩く。ここだ。このタイミングが生死を分ける。体のどの部位よりも先に左手が地面に触れる事を意識して手を伸ばす。地面に先に触れる事さえ出来れば、この男は無敵だ。
「!」
左手が地面と接する。激痛が一瞬。その直後に落下する体。衝撃は、無い。一切だ。僅かほどの衝撃も体にはやって来ない。まるでそう、地面の時間が止まって衝撃を返す事を忘れてしまっているかのよう。
そのまま素早く立ち上がってしまえば、これで終わり。死んでもおかしくないダメージのほとんどを無効にして、荒木は見事に受け切った。
「……もう少し上手く出来たら、手の痛みももっと減らせた、か……」
流石に手の方に対する痛みは無視できるようなものではなかったらしく、ひときわ元気のない声で呟く。
そんな様子を見ながら、手を放して距離を取った男は驚きを隠せない様子だ。当然だろう、会心の投げだったに違いない。手応え完璧、それなのに決まらない。これが実戦だ。戦闘経験が無いらしい相手にはそれが分かっていなかった。
「クソッ……よくは分からねぇけど、そいつがオッサンの能力ってワケだ。随分と立派なモンじゃねぇの」
憎々しいと言った様子で男が眉間に皺を寄せている。そして、手首の腕輪に触れた。腕輪に触れるのは魔法使いのスイッチだ。スイッチがオフの状態でも身体能力が向上する効果はあるが、能力は使えない。
そのはずが、男の体からまるで魔力が噴き出してくるようにも感じられた。魔法が発動している。何故か、今がオンの状態なのだ。
「俺は自分の体を石に変えられる。ガッチガチに硬くなるんだけど、代わりに動けなくなっちまうのが弱点だ。だから、いざ自分が戦うとなったらどうやって活かすか結構悩んだ」
そして唐突に自らの能力を明かし始める。率直に言ってこれは異常な行動だ。道化を演じて自らの能力を晒す事まで戦術に組み込んだ白河兄妹が特に極まった異常者なだけであって、本来は自らの能力を明かす事にまるでメリットなど無い。情報はこの戦いの中で非常に大きな要素なのだ。戦った事が無くとも考えれば分かる。自分が実際に命懸けで戦うとなるともちろん漫画とは違ってくるものだ。
そんな不可解だった男の真意は、もう一度腕輪に触れながら口を開いた事ですぐに明らかになる。
「だから俺は、そんなのに頼るのは止めにした。鍛えた体と磨いた技術、俺が頼るのはそれだけよぉ!」
腕輪による身体能力の向上は間違いなく魔法使いに与えられた力の一つだ。しかしどれだけ向上するかは数値化できる訳ではないが、ある程度は一定だ。元が強いほど小さい訳ではなければ弱いほど大きい訳でもない。一般人というピラミッドの遥か上に新しいピラミッドを作って元々いた階層と同じ所に配置されるような感覚。自分を高めてきた人間こそが上なのだ。その真理は決して崩れない。
「行くぜ!」
再びステップを踏むその足は先程よりも素早い。まさに目にも留まらぬスピードだ。踏み込む足が見えなければ対応に苦慮するのは間違いない。先手を取って戦闘をコントロール出来れば良いのだが、下手に手を出すと、文字通り手を出すとそれに合わせて返される。しかも荒木の戦闘は手を出す事が命であるにも関わらず。
ならばどうする。当然、柔道の枠組みの外で攻めるのだ。
「シッ……!」
手を出せば危ないならば足を出す、中段回し蹴り。相手のセオリーには絶対に無い攻撃には違いない。かつ、上段では相手の餌食。下段は逆に足を掛ける攻防で慣れている可能性があるので中段。さらに、相手は右組と判断して左足を出した。徹底的に相手の裏を突く。ダメージを与えて一瞬でも隙が作れたら一気に畳み掛けられるのが荒木という魔法使いだ。
「いいや甘いッ!」
男は実戦の経験が無い。しかし、それまで何をしていたのだろう。自分の中にある型を崩す時間だったのではないか。どんな相手のどんな攻め手にも柔道ではなく、柔道をベースとした自分の型で対応できるようにするための時間。
足を受け止める。両膝をつきながら力任せに背負って地面に叩き付ける。左の相四つからの背負落、のような形。
足を取られて満足な形で落ちる事が出来ない、低い軌道で落とされるためタイミングが掴みにくい。マイナス点は多いが、正式な柔道の形にあまりこだわっていない事が功を奏した。背中から落とすのではなく前面からから叩き付けようとしているのだ。普段ならばそちらの方がダメージが大きいので問題ないのだが、荒木を相手にするとむしろ地面に触れやすくなる分ダメージが抑えられてしまう。
結果としてそこまでのダメージを受ける事はなかった。だが、考えて打った手も完全に不発。何をしても通用しない、する気がしない。敵に死角なし。




