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「ど、どうして……」
「担任と名乗る方がいらっしゃいまして。半信半疑ではありましたが」
自分から言い出した事ではあるが戦闘向きでなさすぎるため参加は見送った安本であったが、このような形で貢献しようとしているらしい。姿を現した途端に誰からも信用を失っているのは何故なのだろう。
「チッ……二人相手か」
時間が動き出した背広を投げ捨て、男は状況を理解して舌打ちをする。先程までは一応ではあるものの数的有利だったはずが今では逆転。それどころか挟み撃ちの状態だ。気持ちはよく分かる。
ただ、これは戦いなのだ。甘い事は言っていられない。日下が刀を構え直してすぐにでも始まるであろう戦闘に備えたその時、荒木が口を開く。
「いえ、戦うのは僕だけです。とりあえず今は、ではありますが。なので刀を下ろしてください」
「どうしてです!」
男は何を言っているんだとばかりに目を見開いているが、日下もまたまるで同じ気持ちで問いを投げ掛ける。状況が状況だ、確実に勝ちを拾うためには協力すべきだという思いからつい声も大きくなってしまった。しかし、荒木は事も無げに返す。
「我々が二人で力を合わせても一人以下の力にしかならないからです。僕達に満足な連係は出来ない」
「む……」
そう言われると一瞬にして熱が引いてしまう。感情論の一切が排除された極めてシンプルで確実な答えであった。
日下の能力は遠隔攻撃、日下自身は確かに距離を取った状態で戦えるのだが、実際に能力が作用するのは結局のところ敵の存在している位置だ。そこに完全なるインファイターの荒木が戦っていたとしたらどうだろう。非常に殺傷性の高い日下の能力は間違いなく荒木にも牙を剥く。
また、荒木の能力によって敵の時間を止めたとする。そうなると日下の攻撃を当てる事が難しくなってしまう。再定義によって接近戦を挑んだとしても、だ。荒木と連携をするにはとても高度な意思の疎通が必要となってくるのである。それを考えると、確かにこの二人で付け焼刃にも劣るような連携をしたところで足を引っ張り合うばかりかもしれない。
「つまり? 俺はアンタだけに集中すりゃ良いワケだ」
「その通りです。もっとも、僕に勝ったら続けてもう一戦してもらう事となるでしょうが」
これで相手の男は連戦を考えなければならなくなる。荒木の策略が光る。
「そういう事でしたら……けど、逃げ道はしっかり塞がせてもらいます」
「けど、俺はこのオッサンの方を倒せば逃げれる可能性が出てくる、と。良いじゃん、面白くなってきた」
日下が刀を下ろす様子を横目で確認してから、男は完全に荒木の方に向き直った。とりあえず今は日下の方を気にする必要がなくなったという事だろう。こうしてハッキリと切り替えられるのは優れた魔法使いであると言えるかもしれない。
そして日下は日下でするべき事をする。万が一、荒木が負けた場合に備えるのだ。敵がどんな能力を使って戦うのか、それをよく見て理解する。向こうは日下の戦闘を既に見ていて、荒木の能力についても体感してヒントを掴んでいるかもしれない。相手がどんな魔法を使うのか把握しておかなければいざ戦う時に一方的に不利になる。
「では、いざ尋常に」
荒木が静かな声で言いながら半身に構える。それに呼応するように男も戦うための動きを始めた。両手を顔の辺りで構えた、荒木とほとんど変わらないオーソドックスなものであるが、下半身は少し様子が違う。荒木のどっしりとした構えとは比べものにならないほど、何と言うべきか落ち着きがないのだ。
まるで踊っているかのようにその両足は地面を軽やかに蹴る。その様は、実際に見た事はないがとてもよく知っている。
(アリ・シャッフル……ボクシングスタイルか?)
伝説のボクサーが行なっていた独特のその足捌き。そこに意味があるのかと問われると率直に分からない。ただの魅せ技のような、あるいは少しくらいはフェイントであったり挑発の効果があるような。これはもう対戦相手や本人にしか分かりようがない。そして、今この場でそれを真似する意味があるのかと問われると本当に分からない。
しかしこの男、ただの真似という訳ではない。本物に比べてもっと足に落ち着きがないのである。足が横に踏み出したり、時には交差したり。高速で動く酔拳のようでもある。さらに本物は両手を下げて構えるところをこの男はしっかりと顔の辺りで構えるのだから、ただファンが形を真似しているのではない。これは間違いなく、彼のアレンジだ。いや、下手するとオリジナルの域まで達しているかもしれない。
対照的に、荒木は構えたその形を崩さない。ただ僅かに足で地面を擦ってジリジリと距離を詰めている。彼もまた経験を積み重ねてきた人間だ。自分の手足のリーチはよく把握しているだろう。互いの構えから打撃戦が予想される。間合いの読み合いが肝心。遠ければ攻撃は当たらず、近過ぎても満足な攻撃にはならない。
少しずつ少しずつ接近する。一方しか前に出ていないので接近する速度は半分だが、それでも戦闘距離に入るまでそこまでの時間は要しない。
「「!」」
二人から同時に気が立ち上る。それは日下の想定よりも少し早かった。男は荒木がもう一歩ほど接近すれば間合いに入るというタイミングで自ら接近して先手を取ったのだ。まるでその動きは察知できなかった。予備動作が無いのではなく、あまりに予備動作が多すぎて。
しかし荒木はその上をいく。動作ではない、対峙しているからこそ分かる目や雰囲気、そんな根拠の無いものに身を委ねる価値があると信じて一歩早く動き出したのだ。最高速の刻み突き、タイミングはドンピシャ。
そのはずなのに、荒木の表情は冴えない。間違いなく上回った。だが、同時に別の方向から想定外が襲ってもいた。
(あれ、あの人……リーチが……)
日下もすぐその違和感に気付く。その違いは僅かではあったが確かでもあった。間違いなくあの男のリーチは想定していたよりも少しだけ、短い。そう、短いのだ。その分だけ二人の距離は少し近い。それ故に、勝負のタイミングも少し早い。
荒木の能力は実に強力だ。けれど当てなければならないという短所がある。長い時間発動させるならば真っ当に戦闘の中で使う事はまず不可能と言える。ほんの一瞬発動させるだけでも絶対に触れる必要がある。そして必要なのは当てる事だけではなく発動させるという意思を持つ事も。
打撃戦において相手を対象に発動させようと思うと、実はかなりの覚悟が求められる。相手に攻撃を当てたり捌いたりする事に集中していては能力は発動できず、能力を使って戦うには思考の全てを集中させる事が出来ない。だから冷静に、可能ならば自分が常に優位をキープする事。
今、荒木が触れて能力をセットする事は難しい。想定外の事が複数同時に起こっているためだ。距離の近さと、そしてその近さの理由。何故リーチが短いのか、その理由は単純。
(掌底……!)
荒木もまたボクシングスタイルの相手と戦っているつもりだったのだろう。しかし飛んで来たのは掌底打ち。少なくとも冷静であると表現する事は出来ないであろう精神状態だ。
顔面を狙った掌底。冷静ではないが、それを上体を反らして回避するだけの事は出来る。ただ、相手に避けられて伸び切った右腕を引き戻す事は少し遅れてしまった。当然だ、命の危機と攻撃の遅れ、どちらを優先するかは決まり切っている。けれど、どちらを選んでも命の危機が待っているとはまるで思っていなかった。
メリットの分かりにくい掌底、不規則に踏み続けるステップ。まるで読み取れない男の戦闘スタイルは、次の瞬間にこれ以上ない形でハッキリと分かるようになる。
掌底を打つ形をしていた手はそのまま広げられて相手を掴む形へと変わる。不規則なステップはそのままながら自然な流れで右足を左足の前に、交差させるように力強く踏み込む。伸びきった荒木の右腕、その手首を左手で掴み、左足を引きながらもう一方を軸に体を反転。右腕で巻き込むようにしながら荒木の体を背負う。その形、よく見覚えがある。
(背負い投げ……柔道か!)
あまりに力強くダイナミックに、荒木の体が宙を舞う。




