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「いや、まさか……いつも情報をくれていたのが先生だったとは……」
正体を明かされて呆然とする一同(主に真田と宮村)を前にして、安本は満足そうに椅子に腰かけて出されたコーヒーを啜っている。随分とサプライズの成功が嬉しそうだ。
その姿を見れば見るほど、まるで疑う気持ちがなくなっていく。何故かって、あまりにも見慣れたいつも通りの様子だからだ。ジャージ履きにウインドブレーカーを羽織った、ついさっきまで学校で授業をしていたと言われても生徒の立場からしてみればまるで疑問を抱かないその姿。担任の安本であるとどうしようもなく頭が理解をする。
「つーかセンセ、俺らのコト知ってたんなら言ってくれりゃ良かったのに……」
「そういう訳にもいかんだろ。仮にも情報集めて流そうって言ってるんだ、人に知られずが基本だろ? それに、これでも自分で許せるギリギリで肩入れはしたつもりなんだぞ? なぁ、真田」
「あー……そういう……」
思い出されるのは以前、宮村と仲違い(仮)をしていた時の事だ。仲直り(的な何か)をするきっかけとなったのは確かに安本だった。
(と言う事は……いや、教えてもらうまでは気にしなくて良いか)
あの時はもう一人関係していた人物も居たが、彼の正体についてはこの場では気にしない事に決める。だが、これで警備員不信は解消できそうだ。
「少し良いかな?」
「ええ、もちろんですよ梶谷さん。お会いできて光栄です」
相手に合わせて居住まいを正した安本であったが、その礼儀は梶谷の存在に対してまるで反応を示さず、当然知っていましたとばかりの返事をした事についてあまり良いものではなかった梶谷の第一印象を和らげるほどの効果はなかった。
気分が良くないのは理解できる。だが、話が早いのもまた事実だ。わざわざ説明や紹介をする必要も無く、情報の共有は完璧に済んでいると考えて良い。
「貴方が二人の担任である事は分かった。私としても信用している、なるほど優秀な二人に指導していると納得に足る実に立派な方だ」
(一人称変わってるもん、めっちゃ心にもない事言ってるじゃん)
歯の浮くような見事なお世辞だ。手に取るように分かる。
「しかし、私以外のみんなも信用できるように教えてもらいたい。どうやって入ってきたのかな? 扉は開いていなかった、それでも入ってきたという事は何らかの能力が働いているはずだ。それを教えてもらえないのでは不安だと思わないかい?」
まず間違いなく一番信用していないのは梶谷自身だ。むしろ、梶谷一人だけが少しも信用していないと言える。
とはいえ安本の能力は確かに気になるところだ。不意を突く事も容易である可能性が高い能力、聞いておいた方が安心なのは間違いない。その考えは全員が一致したようで、返答を求めるように安本へいくつもの視線が向けられる。
「まぁ、簡単に言えば……」
口を開きながら立ち上がった安本は視線を周囲に向けて少し考えた後に、その姿をフッと消した。消えた時間はおよそ一秒。再び姿を現した時、その体はカウンターの向こう側に存在していた。高速で移動したのではない、それらしき空気の動きはまるで感じられなかった。安本は真っ直ぐ、最短距離でカウンターの向こうまで歩いたのだ。
「すり抜けられる。なのでこう、壁をスッと」
またしても姿を消して、現れたのは椅子に座り直すその直前の事だった。姿を消して壁であろうとすり抜けられる能力。何とも便利なものだ。そんな能力を手に入れたならどうするかと言うと、確かに情報収集はかなり有力な候補となるだろう。
だが、魔法を手に入れたという事は情報を集めているだけでは自分としては前に進めない。戦わなければライバルは減らないのだから。
「安本先生……でしたっけ? いつも情報提供に感謝しています。伺いたいんですけど、ご自身で戦おうとは? その能力があればわざわざ情報を流す必要なんてどこにも……」
メンバーの中で情報屋としての安本と最も付き合いがあったのが篁だ。だからこそ、どれだけの正確な情報が与えられていたのかを一番よく知っている。その情報と姿を消す能力が合わさればかなり有利に戦えるのではないか、というのは当然の疑問だろう。
「はっはっは! そうしたいのは確かだけどね、篁さん。だがさっきの説明は本当に単純に言っただけで、細かく言うと話が変わってくる。俺は透明になるんじゃなくて、体を風に変えるんだ。だからすり抜けられると言うより、すり抜けてしまう。その範囲は着ている服と認識している物まで、だから武器は持てない。こんな感じで」
中身を飲み干したカップを手に取ったかと思えば、そのままその左手だけを消し去ってみせた。本人の説明によると今は左手が風に変化しているらしい。体だけではなくウインドブレーカーの袖まで見事に透明。しかし、カップだけは消えなかった。そして強制的に体をすり抜けて床に落下……するより前に右手でキャッチしてみせる。
なるほど、よく分かるデモンストレーションだ。つまり能力を発動している状態では攻撃が出来ず、姿を現さなければならない。そして姿を現したとしても武器の類は持てないので自らの体一つで戦わなければならない。そのルールに従えば、確かに思っていたよりも戦闘に向いた能力ではないようだ。実質ただの身体能力の高い人間として異能力を持った相手と戦うのは非常に辛い。
「それに……日下君、ちょっと俺の腕の辺りを斬ってみてくれるか?」
「? はい、良いですけど……っ!?」
急に話を向けられた日下は首を捻りながら手刀を構えて未だに姿を消している安本の左手を斬ろうとして、その途中で目を見開いて腕を引いた。何事かと安本の方を見ると、当の本人はニヤニヤと笑みを浮かべながら左手を元に戻してみせる。するとその手は、斬り付けられたように血を流している。
「実体が無くて壁は通れるくせに、相手側からの魔法的な干渉は受ける。厄介だろ? バレて警戒されると一方的に不利になるから自分で攻撃ができない。だから情報を流して他の連中に動いてもらってた、けどそろそろ本格的に肩入れする相手を見付けて積極的に動く事も必要かと思ったんだ。……私についての説明はこれで充分かと思いますが?」
「…………最後に一つ。どうして今なのかな? 二人の、彼女達も含めた様子を見ていればもっと早く肩入れする事を決められたのでは? 僕が居ない時であるとか、その前に強敵と戦った時であるとか」
「それは簡単です。言った通り、警戒されると近付けない。本当はもう少し早くから接触したかったんですがね、荒木さんでしたか、あの人が貴方の襲撃が無いかと警戒していたので出来ませんでした。その前は貴方が、敵の真ん中で心から寛ぐ事も出来ずに警戒心を持っていたので出来ませんでした。まぁスケジュールの問題もありますけど。教師は忙しいですから」
「なら、今こうして出てきたのは……」
「いやぁ……心を許せる相手が居るというのは良い事です。ねぇ、梶谷さん」
つまりはそう言う事だ。安本がこの場に現れる事が出来たのは、スケジュールの都合が合ったから、そして、この店の中で誰もが警戒心を抱いてはいなかったから。
「真田君、僕は彼が嫌いだ」
「真顔で言わないでくださいよ……」
梶谷は自分の気持ちであるとかそのような部分を見透かされる事が嫌いである。その割に自分の喋り方は制御し切れていないのだが。ともかく、確かにそんな梶谷とは相性の良くない相手かもしれない。情報収集と言う高い視点から物事を見て何でも知っているように振る舞われるのは好きではないだろう。
だが、嫌いである事と信用できる事は両立できる。相手の事を信用できると思えるほど知ったからこそ嫌いになれる事もあるのだ。単純な個人間の問題としてはまだ何か言いたい事がありそうであったが、今この場は決してそれをぶつける場ではない。それを分かっているが故に二歩ほど後退する。後の話は任せると言う意思の表明だ。関与しようとしていないとも言えるが、任せても問題ないと考えているとも言える。この場合はどちらなのかと問われたら、まぁ分かりやすく後者だろう。
「よぅし、それじゃあ……ちょいと話し合うとしますか。泥棒退治の始まりだ!」
今日この場に初めて姿を見せた男が、まるで今まで見てきていたかのように仕切り始めるのであった。




