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「――スミス銀行風見支店に強盗が潜入するという情報が入った。さあ、みんな! 準備して!」
手を叩きながら篁がそんな事を言い出したのはあまりに突然であった。つい先程までは相変わらず使い慣れないような様子でパソコンを睨み付けていたというのに、急にスイッチが入ったように立ち上がって威勢よく言い放ったものだから、その場にいる全員が訝しげに彼女の方を見ている。
ちなみに場所はいつも通り。木戸は奥に引っ込んでいて、面子はチームの魔法使いだけが勢揃い。
この困惑に満ちた何とも言い難い空気の中、メンバーは無言で素早く視線を交わし合い、結局は真田が他の面々の圧に押し負けて口を開かざるを得ない事となってしまった。向いていないのに。
「あー……色々と、あるんですけど。そりゃ大変だ、とか……急にどうしたんですか? とか。その中で敢えてまず言うなら、僕らはいつからヴィジランテになったんです?」
「びじ……?」
宮村がよく分かっていない様子で首を捻りながら繰り返す。別に一般的な言葉でもないから知らなくても当然なのだが、それともマリアと繰り広げている将棋の熱戦に思考リソースが費やされているのか。ちなみにマリアが連勝中。一局ごとに駒を落としていって、現在は飛香落ち。マリアが強いのは確かだが、宮村も攻め気が先行しすぎてわざわざハンデの差を埋めようとしているようなレベル。そこが良い所でもあるのだが。
なお、宮村にわざわざ説明するような事でもないのでこの場ではスルーしたが、ヴィジランテとは端的に訳せば自警団。この場においては街に蔓延る悪を退治する私設組織くらいの感覚だろうか。多くの場合はスーパーパワーを持ったヒーローとその協力者で構成されている。
そういう意味では確かに素養はあるのかもしれないが、問題は素養や要素などではなく精神の方。
「悪ぶりたいワケじゃないですけど、僕は魔法使いと戦うのは別に良いと思っても悪と戦う気はさらさらありませんよ。情報が入ったって言うなら警察にどうぞ。よっぽど頼りになります」
敢えて少し悪人ぶって話す事がある真田だが、これはシンプルに本心だ。無論、倫理や道徳の問題として悪を野放しにするのが褒められた事ではないというのは分かっている。だから他のメンバーの反応次第の面もあるのだが、全体的に否定的な雰囲気ではない。
「まあ、うちの銀行の支店の話となると他人事ではないが……僕の意見は真田君と同じだな。単純な殴り合いや機動力なら警察よりも僕達の方が上かもしれないが、正当な手段というものが持つ力は何より強大だ」
真田達に出来る事と言えば犯人をタコ殴りにして縛り上げるくらいだろう。連続犯ならば警察署の前にでも放置すれば捕まえてくれるかもしれないが、近頃は近隣で未解決の強盗事件があったという話は聞かない。強盗を企んでいるという犯人に現時点では犯罪歴が無い可能性も高いだろう。どんな凶悪犯にでも初犯の時はあるし、初犯の大きさに天井がある訳でもない。
現実の問題として考えて、最悪の場合はむしろ道行く一般人に暴行を働いた上に縛り上げて警察署の前に放置した犯罪者の捜索が始まるだけだ。
「二人が言うんならその方が良いんだろうな。俺としてはとりあえず攻めちまえば良いと思うんだけ……どぁぁぁあ!」
今まさに戦場を踊ろうとしていた宮村の龍王が遠くから睨みを利かせていた角の射線上である事に気付かず簡単に奪い去られてしまった。やはり攻め気が過ぎるのは良くないらしい。それでも懲りずにほぼノータイムで駒を進めているが。攻めあるのみである。
「そうね……準備してとか何とか言っておいてなんだけど、あたしも同じ気持ち。ただの悪人相手に自警団を気取るつもりなんて無い。けど……相手が魔法使いだとしたら? 敵の数は減らしたい、他の誰かが手を出すとは限らない。それに、悪い事は駄目だって価値観は共有できてる。どう? あたしは……まぁ、正直悩んでる、まだね」
「ちょ、ちょっと……魔法を使って犯罪をしようとしてる人が居るって言うんですか?」
「いえ、驚くべきはむしろ、これまでそういった話を聞かなかった事の方ですよ。悪事を考えても実行に移せる人間は少ない。けど、魔法が浸透して悪用する事を考える人間が増えてきた……魔法を使って、別のルートで願いを叶えようとしたり。辻斬り事件はただの氷山の一角という訳です」
「日下君……」
ほんの少し前に世間を騒がせた辻斬り事件。被害に遭った人間はそれなりに多いが、正式に大きな事件化はする事なく終息を迎えたその一件は、細かい話こそ聞きはしなかったものの魔法使いとなった日下の友人が犯人であった事、それを察した日下が一人で立ち向かった事については説明を受けていた。
これまでは善人に思える人間も悪人のように感じる人間も、誰もが定められたルールを中心に真っ向から戦ったり搦め手を使ったりしていた。どれだけ殴られようと、それも相手が戦闘に勝つための行為の一つだ。しかし今、ルールとは関係のない所で魔法が使われようとしている。これが、魔法の存在が当たり前になるという事。
それがちょっとした事ならば別に構いはしないだろう。例えばスピードを活かして遠くまで移動してみたり、重い物でも簡単に持ち上げて部屋の模様替えをしてみたり。それくらいならば普通にやる。いわば切れ味の鋭い包丁だ。便利な道具。そうしていつの日か気付く。これを使えば人なんか簡単に殺せちゃうぞ、なんて。
普通はしない。けれど、魔法使いは分からない。強い者はより強くなって全能感を覚え、弱い者は突如として手に入った力によってコンプレックスやルサンチマンを反転させる。そして常に殺し殺されの世界に身を置く事であらゆる罪に対するハードルが大きく下がる。
敢えて極端な物言いをすれば、魔法使いなんて人種は揃いも揃って犯罪予備軍なのだ。
一度も考えてこなかったかと言うと決してそうではない。だが、自分の中の規範に従って考えないようにしてきた。ハードルは下がっているが、その前に自分自身で壁を作って越えないようにするのだ。誰もがそれをやっていると、出来ていると思っていた。時にその壁に手を掛ける事はあっても、決定的に越えてしまう事はないものだと思っていた。
口を閉ざして静まり返る。倒すべき相手と倒すべきでない相手が完全に一致してしまった。その場合、どちらを優先させるべきなのか。大前提にあるのは法ではないか。辻斬り事件は法律と魔法の完全な中間地点であり、その先の悪には手を出すべきではないのではないか。そんな中、一人だけ何も気にせず口を開く者。
「悪いコトしてる人がいるんでしょ? じゃあダメじゃん。ちゃんと叱らないと!」
マリアはいつでもマイペースだ。話の中の何となく分かる部分だけを切り出してとても端的な結論を出してくれる。
「悪いコトしたら怒られる、小学生だって分かってるもん」
パチンと良い音を立てながら飛車を打ち、宮村の玉将に対する包囲網が完成を遂げる。もしかすると、これくらいで良かったのかもしれない。何となく話を聞いて、片手間に考えて。難しく考える必要はない。魔法を使って何をしようが、魔法使いでなくたって、気に入らなければブッ飛ばす、それくらいで充分だ。
加害者の側に回るかもしれなくとも、そもそも犯罪予備軍なのだ。悪が悪を征するのも良いだろう。法に拠らない正義を為す、それもまたヴィジランテ。素養や要素ではなく精神なのだ。悪い奴は許せない、その精神だけあれば良い。後は一線を越えないギリギリの自制心。
「よぉし!」
宮村がテーブルを思い切り叩いて勢い良く立ち上がった。
「やってやろうじゃねぇか! その悪りぃヤツのタマとってやろうぜ!」
その場の全員の気持ちを代弁するかのように、玉将を掴んで高らかに宣言する。いや、全員の気持ちとは少し違うだろうか。真田は別にまだ悪人を許さないというほどの大層な気持ちは持てていない。それでも、このモヤモヤとした気持ちを悪人にぶつけたいという気持ちは湧き上がってきていた。お前が馬鹿な事を考えたせいでこんな思いをしているんだと、とにかく鬱憤を叩きつけてやりたい。そんなものでもきっと正義の第一歩。
「まあ、玉を取られるのは宮村君の方なんだがね」
「あ、ちょっ……!」
テーブルを叩いた勢いで動いた駒を、盤面を暗記していたらしい梶谷が直している。どうやら宮村の反応からしてわざと勝負を有耶無耶にしようとしていたようだ。どうしてそんなセコい方向に頭を使ってしまうのか。
「何やってるんだか……そういや、情報が入ったって言ってましたけど、他に詳しい情報とかはないんですか?」
「ああ、それなら――」
「それなら! 俺が直接教えよう。いつもの授業みたいに、な」
篁の言葉を遮って発せられたその言葉は、つい数秒前までには絶対にこの場に存在していなかった男のものであった。
ここに居なかったのに、何となく聞き覚えがあるようなその声。毎日のように聞いている声とそっくり。いや、まったく同じだ。
「せ……先生!?」
「よう、お邪魔させてもらうぜ」




