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日下 青葉は沈黙していた。
どんな気分の時であっても、いつものように溜まり場のカフェには訪れる。一人で悩み考える時間も必要だが、この場所で騒がしい空気に身を浸して何となく気を紛らわす事も大切だ。精神的な健康のためにはこちらの方が更に必要だろう。
そして、今日はほんの少しだけ様子が違う。この数日、どうやら篁は相当に忙しかったらしい。インターネットで資料を漁り、書店や図書館で本を集め必死に課題と格闘していたとの事である。そのため、招集を掛けて会議を開く事もままならず、こうして開けたかと思うと集まれたのは真田と日下の二人だけという散々な結末だ。
しかも散々なのはこれだけでは済まない。
「えっと、こうして集まってから言うのも何なんですけど……辻斬り、倒されたらしいですよ?」
「は、マジで!?」
「へぇ、そうなんだ」
これが日下が沈黙を守っていた理由である。集合の連絡が来た時は何のための集合かすっかり忘れていて、こうして訪れてみたら既に解決した件についての話し合いが始まろうとしていたのだ。微妙に気まずくて黙ってしまうのも仕方のない事ではないだろうか。
「たった数日バタバタしてただけなのに、あたし浦島太郎みたいな気分……流行に乗り遅れてる」
篁は拗ねたようにカウンターに突っ伏してしまった。彼女としては割とやる気があったのだろう、それがとっくに終わった話だと言われてしまうと気持ちの置き場がどこにもない。ただ額をグリグリと押し付けるばかりだ。
それに対して真田はどうやら面倒事がなくなってラッキーとばかりにまるで辻斬りについて執着の欠片も見せる事なくスマートフォンを取り出して触り始める。そもそも別に戦いたい訳ではないけれど状況的に自分達が動いた方が良いから仕方ないくらいのスタンスだったのだ、こんな反応にもなるだろう。
対照的な二人の様子に日下は思わず苦笑いを浮かべるのだが、その顔に真田が目線だけを向けていた。そして数秒間ほどジッと見ていたかと思うと、画面に目線を戻しながらポツリを問いを零す。
「……その辻斬り、どうなったんだろうね、日下君」
「さあ? 俺にはどうなったかなんて――」
※
「……よう」
「ん? ああ、おはよう、貴春」
朝の学校、自分の席に座って一息ついていた日下に貴春が不愛想に声を掛けてくる。こんな事、普段はまずありえないのだが、今日ばかりは話が別だ。約束した訳ではないが、貴春にはこうして話をする義務がある。
「取り敢えず、不問だってよ」
「そっか」
二人で戦った夜が明けて、貴春は自首するために警察署へ向かった。その結果がこの通り、どうやら不問に終わったらしい。
無論、捕まえる事などいくらでも出来る。しかし自首しに来たという事実、犯人がまだ若い少年である事、民間人に一切の被害が無い事、誰一人として怪我を負っていない事などから総合的に判断した結果として厳しい説教は受けたものの、それだけで済ませてもらえたらしい。学校にも連絡をしない破格の大サービスだ。これでも受験生の身、涙が出るほどありがたい最高の結末と言っても良いだろう。
だが、それなのに貴春の機嫌があまり良くないのは嫌々ながら日下に話し掛けなければならなかったからというだけではない。
「もうマジどうすんだよ……帰る時、かなり強めに肩グッて掴まれて『三年後、楽しみにしてるよ』って言われたんだが。いやマジで……」
貴春の手首にもう腕輪は存在していない。その体にはもはや魔力の欠片も流れてはおらず、魔法を使うどころか身体能力もすっかり元通り。焦りや不安、必要以上の開き直り。あらゆるものから解放された、ただ人並みよりかは強い程度の男だ。警察官と戦って一度も触れさせず完勝を続けるなど、とてもとても。
けれど、実際にそれだけの実力がある以外に説明のしようがない。剣道で圧倒して倒したのだ、この説明に魔法の介在する余地がどこにもない。自首してきた少年は間違いなく将来有望、いや、今すぐにでも警察官にしたいほどの逸材なのである。
「ふっ……ふふふ……いやぁ、たった数ヶ月であれだけ強くなった我らが主将なんだから、三年もあったら余裕だって。そうだろ?」
「クッソ、お前、他人事だと思いやがって……や、俺が悪いのはそうなんだが……ああ、もう!」
「あっはっはっはっは! 頑張れよ、貴春。応援してるからさ、いつでも」
※
「まあ、そうですね……今頃、凄く後悔しながら竹刀でも振り続けてるんじゃないですか?」
そう言って笑う日下の顔にはもはや、迷いはあれど悩みは完全に消え去っていたのだった。




