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真に美しい物はそれ自体がまるで輝きを放っていると錯覚するように、優れた物は相応の風格を持つ。貴春の感じ取った圧は竹刀が放った殺気だ。触れたならば斬る、そう言わんばかりのオーラは妖刀と呼ぶに相応しい。
貴春は立ち上がり竹刀を握り直したが、恐らくその頭に防御の文字は存在していない。相当上手く受け流さなければ防御するどころか竹刀ごと斬り捨てられて終わりだ。そして、命の危機に瀕した状態で日下の速度と技術を相手に上手く受け流す事などまず不可能と言って良い。
全ての攻撃を完全に回避して、その上で自分は何度も何度も攻撃を当てる。それが今の貴春に求められる課題だ。一発当たれば重傷、下手に当たれば致命傷。そんな中で果たして出来ると言うのだろうか。
「…………お前に勝とうってんだ、ゴチャゴチャ考えてる余裕なんて最初からありゃしねぇ」
ゆっくり、竹刀を上段に。貴春は確信していた、この瞬間に必要なのは技術なんかではない。力と、そして思い切り。それだけだ。
「俺は! 迷わねぇ!」
駆け出す貴春。走って、走って、戦闘領域に入ったらとにかく竹刀を全力で振り下ろす。全身をたったそれだけを遂行するシステムに変えるのだ。体の機能、その全てを一つの目的のためだけに集中させる。
迷いの一切を捨てた剣は、強い。
(迷わない……貴春、お前は本当に凄いよ)
そんな動きを、日下はゆっくりと捉えていた。短時間で二度もの覚醒を経て、覚悟も決まった今の日下は言うなればゾーン状態。集中力はこれまでの比じゃない。常人とは比べものにならない貴春のスピードですら髪の毛一本一本の動きすら追えるほどに緩やかに見える。
(――我が剣の道に迷い有り)
迷わないなどという言葉は日下には言えそうにない。迷ってばかりだ。覚醒を果たした今この瞬間ですら迷い続けている。疑問や悩みを抱き、答えに辿り着いてもまだその答えが正しいか悩み始める。どこかで割り切る事が出来ない。ずっと迷い続ける。
だが、それの何が悪い。考えるのを止める事と、考え続ける事。その価値は等しい事はあっても、どちらかが劣っているという事があるはずない。
真っ直ぐに歩みを進める事は確かに強さだ。しかし。迷い続けながら歩く事もまた強さなのだ。
迷いを捨てて、四の五の言わずに前進を続ける貴春はいつかきっと日下を超えるほどの強さをその手にするだろう。
それでも今は絶対に追い付かせはしない。未来においても、迷いながら逃げ続けて可能な限りこの背中に届かせないよう粘り続けてみせる。
誇れ。迷い歩んだ道こそが、日下 青葉の力なのだと。
(だからこそ、歩くその道の長さだけは! 絶対に!)
もはや日下は迷い続ける事を迷わない。敗北を背負い、ぶつかった壁も引きずってほんの少しずつ未来へ進む。
日下は怪物じみた才能を持っているのではない。優れた才能を偏執的な努力によって怪物にまで育て上げるのだ。
「負けるかぁっ!」
面を、頭蓋骨を砕かんとする貴春の縦に振り下ろす一撃に対し、日下の選択もまた縦。貴春の竹刀を見切って正確に合わせて振り下ろす。するとその結果、何が起こるか。
「――っ」
貴春の頭を死が撫でた。竹刀を縦に真っ二つに斬り裂いて、握る指も落とし、妖刀はピタリと頭上、触れるか否かという地点で止められていた。どちらかがほんの少しでもその身を動かせば終わりを迎える、究極の寸止めだ。
「ぁ……」
貴春の喉の奥から裏返ったか細い悲鳴が零れ出た。指を落とされた事による無視し切れない痛み、それによって手にしていた得物を無力化された上で取り落とした絶望、そして何より頭上には殺気を放つ妖刀の存在。
それらが重なり合って恐怖を形作る。少なくとも今は越えられない高い壁に対する恐怖。そして、それが自分を殺さんとしている事に対する恐怖。意志の力でも抗い切れぬ根源的な恐怖だ。
ただ、彼の喉を詰まらせたのはそれが最も大きな理由ではない。死ではないのだ。
死ぬ事よりも敗北に対する恐怖。超えたい相手を超えられない事に対する屈辱。そして、超えたい相手を超えられない事に対する喜び。
その感傷を日下 青葉は気に留めない。横をすり抜けて反対側へ一気に距離を離して振り返る。貴春も追い掛けるように振り向くのだが、その目はまるでガラス玉のようだった。何を見ているのかは分からないが、ただ不思議とキラキラ輝いているように見える。その理由は日下にはよく分からないが、そんな事はどうだって良い。ただ見せるだけだ。自分が強いだけではないという事を。そして、だからこそより強くなった姿を。
(体重の移動、体の軸を傾ける、膝を抜く、後ろ足で蹴っても良いか? 描ける、俺には出来る!)
縮地。そんな言葉はまるで不思議な瞬間移動か何かのように使われる事もあるが、実際はただの技術だ。日下はその技術を学んだ事は無いが、聞きかじった知識と考察によってそれを再現する。
つまりは体が前に倒れる事を利用して移動の動作の起こりをキャンセルする、それによって動き出した事に相手が気付くより前に接近を済ませる。まるで瞬間移動でもしたかのように。そんな技術だろう。
そこに後ろ足で床を蹴って加速する。剣道は構えた段階で後ろに引いた足は蹴る形になっている、大きな動作は必要としない。
(イメージしろ。柔らかく、鋭く、風のように鞭のように敵を断つ。剣先に重心を置く、全身を連動させる。イメージだ!)
構えは上段、攻撃は振り下ろす事だけに集中。他の脳内リソースは全て移動に回す。だからと言って決して縮地が完璧に出来るという訳ではない。むしろ精度は低いと言って良いだろう。だが、精度が低かろうとある程度でも動作の起こりを隠す事が出来たなら。日下のスピードはまさに瞬く間に移動を果たせる。
意識の外から一瞬で眼前に迫る、急激なブレーキを強力な踏み込みへと変える、足の裏から剣の先までを一体化させる。
自分の足で前に進める、これが日下の剣の新たな一歩。
「日下一刀流……《茨風》!」
脳天から縦一閃。どんなものであろうと真っ二つにする鋭い柔の剣。
未完成だ。今のままでは他のどの技にも連携が繋がらない。まだまだ道半ば、未だ迷いの途中。それでも、もはや抵抗の意思を失った相手の命を絶つには充分過ぎる。
「ああ、そうか……」
手応えを感じる直前、そんな声が聞こえてきた気がした。その後にどんな言葉が続こうとしたのかは分からない。ただそれでも、何となく納得したような顔は視界に確かに収めていた。
「貴春、お前は色々と間違いを犯した。けど、それでも……こうして本気で戦ってよく分かった。お前に後を任せたのは間違いじゃなかったって」
全ての力を失った腕輪が光となって弾けて最後の輝きを放つ中、倒れ伏した貴春に告げる。悪い事をするなと言えるほどの人間では自分は決してない。今夜、彼に伝えたかった事は、自分が知りたかった事は一つだけ。三上 貴春という男の強さだ。
「だから改めて、安心した。優勝おめでとう、貴春」
たとえ今は敗北を喫したとしても、そこに倒れているのは迷いを捨て、冷静さを捨てず、時にはプライドを捨てる事も厭わない、間違えようもなく強い男であった。




