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「ッ、シャァァッ!」
「ぐっ……重い、急に……!?」
日下、ここで防御に徹する。自分の中で目覚めた新たな感覚を確かなものとするため一度攻撃は完全に捨てる。体が動き出すのを感じながら同時にまったく同じ動作をしようと頭の中で思い描く、それによって速度も力も格段に増すのだ。だからもう簡単には押し込まれない。攻撃を仕掛けたはずの貴春の方が重さに驚く事となったのがその証。
頭の中の動作は実際の動作と同じでなくてはならない。だからこそきちんと理解して頭に叩き込んだ技術でしかこの奥義は使えない。通常は。
一般的に頭の中のイメージと実際の体の動きは一致しない。脳内ではどれだけ華麗に宙返りをしたとしても実際に出来るかと言えば別の話となるはずだ。しかし、日下は自らの身体能力をよく理解している。理解しすぎていると言っても良いほどだ。日下は宙返りが出来る。実際に試したことは一度も無いが、可能だ。何故ならイメージが出来るから。そして空中で五回転ほどする姿はイメージ出来ない。何故なら実現不可能だから。
身体とイメージの完全なる一致、これは日下が身に着けたとても非常に大きな力だ。それ故、本来は頭で覚えた動作を反復稽古の積み重ねで体に刻み込み、その果てに一つの動作を奥義に変える事が出来る所を日下は逆に、体が主導で頭がその動きを理解して追い掛けるという流れで奥義化させる事が可能となる。
つまり、稽古を必要とせずに全ての動作を奥義化、二重思考化させる事が出来るのだ。ゲーム的に表現するならば全ての攻撃がクリティカルヒット、全ての防御がジャストガードになるといった具合か。
「――えぇぇぇぇぇ!」
「よし……軽いっ!」
貴春の渾身の一撃に対し、竹刀を合わせて防ぐのではなく振り抜くことで弾き返す攻撃的防御。相手の力を明確に上回っていなければ不可能な芸当だが、日下はそれが出来ると確信していた。そして当然のように実現する。奥義を使った日下の一撃は貴春のそれを受け止め、軽々と吹き飛ばす!
「う、ぐ……クソ、クソッ……!」
貴春の口から零れた声は、静かな道場だからこそ聞こえてきたような小ささだった。彼の気性はまぁそれなりに荒い。このような状況では叫んでいてもおかしくはないだろう。だからこそ、この小声の奥にどれだけの感情の死体が転がっているのか、想像すると身震いしそうなほどだ。
怒りか、悔しさか。そんな負の感情が積み上がり過ぎて反転したように貴春は一気に静まり返った。小さな声で感情の発露すらしなくなって、ただひたすらに目の色が変わった。
日下も武の道に居た、人と向かい合って戦ってきた身だ。だからよく分かる、この手の相手はヤバい。完全にキレて訳も分からず攻めてくるか。あるいは、より冷静な攻め手を思い付くようになるか。
「行くぞ……オォォォ!」
少なくとも叫びながら突進してきたこの段階ではどちらになったのかはよく分からない。より荒々しくなったようだが、何か考えがあるのかもしれない。分からないから、とにかくまずは受けてみるしかない。
(! 重さが増した! 踏み込みの質が違う……っ)
防御自体は問題なく成功した、弾かれるどころか押される事も無い。だが、確実に先程までよりも重い。そしてその重さは貴春の能力が働いたものであるとは思えない。竹刀がぶつかり合った最接近のタイミングでも自分の体に何か影響があったようには感じられなかったのだ。
(つまり……足だ。貴春は自分の足と床に磁力を発生させて踏み込みを強化してるんだ!)
確信する、貴春は後者のタイプだ。乱暴なようでありながらキレた時ほど頭が回り始める。ここで何より厄介なのは彼が能力に頼っているのではなく、能力を活用して自分の正当なスタイルを強化している点だ。何が変わるって、気持ちの入り方が違う。気持ちの入り方が変われば、間違いなく威力にも違いが現れる。今がまさにそれだ。
(これ以上ノッてくる前に終わらせた方が良い、絶対に。一度何かを掴んで強くなったつもりなのにまだ足りないなんて……まったく貴春のヤツ、強過ぎる!)
貴春は今でこそ敵として戦っているが、本来的には仲間だ。剣道部を託しても良いと思えるほどの信頼もしていた。そんな男がこれほどまでの強さを見せ付けてくれたとなると、こんな状況にも関わらずつい笑ってしまいそうになる。
だが、そんな様子を見た貴春は怒りを更に燃え上がらせた。戦闘中に笑い出した事を不誠実だと思ったからか? いや違う。その理由はある種、日下が笑った事と少し似ていた。
「お前はいつもそうだ……いつもいつも、自分が強いと思って俺を見下して……!」
「うん?」
おかしな話だ。日下が貴春の事を強いと思って笑ったのと同時に、貴春もまた日下を強いと思って怒っている。しかも日下自身は自分の事を強いなどと思ってはいない。完全に筋違いというものである。
自分は弱い。それなのに何故か強いと思われている。それは真田からもそうだった。あの時はつい機嫌を損ねてしまったのだが、真田 優介は露悪的に振る舞う時はあってもあの場面で日下を煽りはしない。そういう人間性だからと言うべきか、あるいはそこまで頭と舌が回る人間ではないからと言うべきか。
つまり、少なくとも真田からはただ強いとだけ思われている理由があるのだ。
(理由……そうだ。何でそう思われてるかなんて、当然かもしれない。真田先輩は素人で、俺はずっと剣道をやってきた、経験が違う。それに俺は変に弱さを見せようとはせず、まるでプロか何かみたいに振る舞ってた。俺は……弱いつもりで、弱くなりきれてない)
見付けた。きっとこれが最後のピース。勝利するための。そしてスランプを抜け出すための。




