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暁降ちを望む  作者: コウ
未だ迷う剣
315/333

 日下 青葉は待ち構えていた。


 今いるのは学校の道場だ。学校と言っても、いつもの景山高校ではない。ここは日下の通う市立風見中学にある共用の柔剣道場である。共用ではあるが柔道部は日下の入学段階から既になくなってしまっていたらしく、柔道場としての働きをするのは授業の時だけ。剣道部も特別に人数が多いという訳ではないので畳のスペースも含めてそれなりにゆったりと使える専用の道場のようなものとなっている。

 この環境と、一年次に結果を残した日下が先輩も含め部員全員に指導できるようになった事が、公立である風見中が大いに飛躍した理由であると言って良いだろう。


 およそ二年と少し過ごしてきた道場だが今となってはもう無関係、顔を出す事も憚られる場所と立場だ。おまけに時刻は日付が変わったばかり。誰にも見付からぬよう道場の照明は点けず、スマートフォンのライトだけが一部を眩しいほどに明るく、全体を薄っすらと明るく照らしている。


 道場の鍵は職員が管理している物ともう一つ、こっそりと隠してある物が存在している。先輩達から代々受け継がれた秘密の鍵だ。この鍵の隠し場所さえ知っていればいつだって入り込む事が出来る。場所を教えられるのは主将と副主将の二人だけ。つまり、鍵を隠し直してから内側から施錠すれば入って来られる人間はほとんど居ない。


 ポケットから携帯電話を取り出して、時間を確認するついでに改めて送信済みのメールを読み返す。待ち人が来る予定になっていたのは九分ほど前、性格を考えるともう来るはずだ。時間を計って敢えて少し遅れてくる男なのだ。無論、その相手は選ぶのだが、中でも日下は最も待たせる相手としてカテゴライズしているようである。待ち合せる時はいつも綺麗に十分遅れる。


 その男は剣道部の元副主将にして、同時に元主将でもある。


「――なんだ、早いじゃん」

「時間通りだよ、貴春」


 三上みかみ 貴春たかはるは日下の同級生だ。共に剣道部に入り、日下が主将になった時には副主将となった。そして日下が退部した時にただの繰り上がりではなく推薦程度の受け取られ方しかしなかっただろうがきちんと考えた上で短い間とはいえ主将を任せた男である。


「で? こんな時間にこんな所に呼びやがって、くだらねぇ用なら帰るぞ」


 畳のある所まで歩いてドカッと腰を下ろしながら問い掛ける貴春。確かに、普通の視点で考えるならばあまりに遅い時間だ。その上で学校に侵入してこいなどと無茶な話である。それなりの内容を求めるのは当然だ。そんな圧に対してもまるで気にした様子もなく日下は口を開く。


「うん、全中優勝おめでとう。もちろん信じてたけど、安心した」

「チッ……お前のせいで大変な事になった上にお前のせいで勝って当たり前みたいになってんだよ」


 とは言うが、公立校が二年連続で団体戦と個人戦で完全優勝を果たしているのだ。しかも大会の前に最高戦力である日下が離脱するという大事件。客観的に誰も勝って当然などとは思っていない。むしろ、日下を欠いてもこの成績を収められた事実に驚嘆していた。


「クッソ、そんな事ならもっと早く昼間に言えよ。俺は帰るぞ、アホらしい」

「あーいや、待った待った。まだちょっと話があるんだって。この時間なのも理由があるんだよ」


「じゃあ何だってんだよ!」


「いや、今夜は警察の人を襲うのを止めさせようと思ってさ」


 勢い良く立ち上がって道場を出ようとしていた貴春の足が止まった。そして、ゆっくりと振り返る。


「……気付いてたのか」

「大会の映像、見せてもらった。気付くに決まってるだろ? 速すぎ」


 見せてもらった映像は顧問が家庭用のビデオカメラで撮影したものだ。そう新しいカメラでもないので性能はそこまで高い訳ではない。だからこそ日下の、魔法使いの目には逆に分かりやすかったのかもしれない。試合中、貴春の竹刀が中段から上段まで一瞬にして、まるで瞬間移動のように動いていた。一般人の目なら気にするほどの事でもないのだろうが、それだけの動きをカメラが捉えられない速度でするのはいくら何でも人間業じゃない。


「まあ正直、辻斬りの事はもしかしてってレベルだったんだけど。でも中途半端に日和って怪我はさせないところとかそれっぽいなぁって。自分が強いんだって、分かりたかったんだろ? 見せ付けたかったんじゃない、自分が(・・・)分かりたかったんだ」


 日下は穏やかな口調と顔のまま淡々と続ける。露骨に煽るような言い方をするのは相手に合わせての事だ。貴春は殊更に日下を意識しないようにする。だからこそ、正面から向き合わせるためには怒らせるしかない。


「じゃあ、何だってんだよ」


「まず、気持ちは分かるって話。剣道は中学までって決めてたけど、別に嫌いな訳じゃない、本当に剣道部で過ごしたのは大切な思い出なんだ。だから最後の大会は絶対にみんなで優勝したかった。こんなに何かを願った事なんてないってくらいだった。貴春だってそうだろ?」


 日下は敢えて口にはしなかったが、貴春の勝ちたいという気持ちの出処が少し違う事も察してはいた。つまりはプレッシャーだ。日下が抜けて、後を託されて、勝たなければならないという状況が残された。貴春は副主将も主将も任せられるだけの実力は充分に持っているが、自分に対して保険を掛ける癖がある。もう一歩、頑張らないようにするのだ。それが余計な緊張をほぐして良い結果に繋がる事もあるが、今回ばかりはそれでは済まない。前年優勝の肩書と、それに付随するプレッシャー。そして努力の足りていない自分が残る。


 貴春は押し潰されそうになりながら震える。そして、こんなに何かを願った事なんてないというほどに願った。絶対に勝ちたい、と。


「……で?」

「うん……」


 日下は二本の竹刀を置く。そして、どちらかを選べとでも言うように手で示してから、まるでその手首に存在する腕輪を見せ付けるかのように袖を捲り上げながら言うのだ。


「そんな風に思わせたのは俺の責任だ。剣道を汚すな、なんて責められやしない。だから俺が、今、この場で、馬鹿な真似をするお前を実力で止める。俺の引退試合……付き合ってもらうからな」


「…………くっ……ふっ、ふはははっ! そうだよなぁ、お前に責める資格なんかねぇよなぁ! お前が悪いんだ! そんで、俺は自分に出来る最善を尽くしたんだ! 文句は言わせねぇ……」


 哄笑しながらフラフラと歩み寄ってきた貴春は血走った目で日下を睨み付け、置いてある竹刀の一方を手にして軽く振る。そして、その切っ先を真っ直ぐに日下の眼前に突き付けた。


「やってやろうじゃねぇか……俺は強い! お前よりも! だから、青葉! お前になんか絶対に負けねぇんだ!」

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