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暁降ちを望む  作者: コウ
風は何処へ
314/333

 これには日下も困惑するばかり。日下一刀流の技を教えるとでも言うのならば話は分かるのだが、そんな次元の話などでは決してない。


「え……っと……いや、最後の奥義? 僕、まだ奥義も何も教えてもらってもないけど……」


「まあまあ、そう言うな。今から教えるのは日下の剣の核心、あらゆる技術を身に着けていった先に至るものだから最後の奥義と言ってはいるが、最後に教えなけりゃならんとは伝わってない。むしろ、それが必要になったと思ったら修行の途中だろうといつでも教えろと伝わっとる。まっ、俺ァ最後に教えてもらったし、青葉ちゃんの親父にも最後に教えたんだけどな」


 そういう言い方をされると何となく今教わっても良いような気はしてくるのだが、冷静に考えてみると最後だとか途中だとか以前にまだ何も教わっていないのだ。剣の核心など明らかにこの段階で教わって良いものではない。祖父も父も真っ当に稽古を積んで最後に教わったらしいのに、自分だけそのレールから外れるというのもあまり気分が良くない。同じように稽古の果てに最後に学びたい。歳相応に作られた道を進む事だけを良しとはしない意思はあるが、それでもこれは話が別だ。ここまで歩んできた道、急に近道のようなものを教えられるのは少し納得がいかない。


「気持ちは分からんでもないがな。だが気にせんでも良い、日下一刀流ってものは進歩を続ける流派だ。そして、前に進めてきたのはいつだって、道の途中で核心を求めた者だけ……らしいぞ?」

「…………」


「では、稽古を始める。――立てっ!」


 何を思ったか黙りこくっていた日下だったが、弾かれたように立ち上がる。培われてきた習慣というものだ。稽古となると反射的にこうなってしまう、何を考えていようと問答無用だ。だからこそ、一旦すべてをリセットする事が出来る。


「目を閉じろ」

「はい」


「そして聞け」

「はい」


 道場の中央で目を閉じて、言われるまでもなく全身の力を抜く。両足の裏に等しく体重を感じる。体の中心を貫くような一本の柱をイメージして、まるでそびえる巨木のように揺らぐ事なく立つ。ここまでは基本中の基本、ほとんど無意識に行なっている行動だ。この間も話を聞く体勢は充分に整っている。


「最後の奥義とは動作を伴うものではない、技の核心となる言葉だ。それを今から教える。まだ理解までは出来なくとも、自分の中で噛み砕いたら目を開け。その時点で稽古は終了とする」

「……はい」


 果たしてどんな言葉が投げ掛けられてくるのか、少しばかり不安に思って緊張しながら、それでも可能な限り心は平静を保って耳を傾ける。暗闇のその向こうから聞こえてきたのは三つの言葉であった。



 その胸に剣を持って共に振れ。

 その頭に剣を持って共に振れ。

 その手に剣を持って共に振れ。



「――以上だ」


 その声の後には床板の軋む音が聞こえた。どうやら道場を後にしたらしい。日下はたった一人、この空間に残される。三つの言葉を持たされて。


(理解は出来なくとも、噛み砕く。聞かされた言葉から、一歩だけでも自分なりに前に進む)


 伝授された奥義をこの場で身に着けなければならない訳ではない。この言葉を聞いた瞬間から、今まで迷い歩いてきた道の終点に辿り着いたのだ。望んだか望んでいないかは別として。そこから自分の道を踏み出す、それが与えられた稽古。


 手に剣を持って振るなんて当たり前だ。それ以外ではどうしようもない。いや、口に咥える選択肢も無くはないのだが、現実的ではない。剣は手に持って振るものだ。そんな考えるまでもない当然の事を改まって言うのだから、そこには何か意味があるのだろうか。

 そもそも、どうしてそんな事を最後にもったいぶって言うのか。三つ言った内の一番最初で良いのではないか。むしろ、前置きの段階で言ってくれても良いほどだ。


 胸に持つとはなんだ。心に常に一振りの刀を持てと、そういう心構えの話か。常在戦場、あるいは武士は食わねど高楊枝的な、そのような心意気の話だろうか。ただ果たしてそれは流派の核心なのだろうか。武士の生き様をそんなタイミングで説かれても困るのだが。


 その上で頭に持つときたものだ。これに関してはもう意味が分からない。意味が分からな過ぎてもう何も掘り下げる気が起きない。頭に刀を括り付けた間抜けな絵を想像した程度だ。


 そしてそれを共に振る。共にとはどのような意味なのか。何かと共に振るのか、それともそれらを同時に振るのか。

 胸と頭と手。手の順番が最後にあったのが気になりすぎて言われた順番が妙に覚えやすい。手に持った刀と、頭の中に持った刀と、心に持った刀を振る。


(……心の刀?)


 自然と頭の中で言い換えてしまったのだが、それが引っ掛かる。胸に刀を持つという事はつまり心に持つという事でもある。


(心。そして、最後に手。頭……)


 疑問を並べる。それらを繋げて、噛み砕く。そうして見えてきたものは輪郭だけ。けれど、その輪郭はなんだかとても見覚えがあるような気がして、頭の中でその姿が補完されていくようなそんな感覚。


(手とはつまり体。胸にあるのが心なら、頭にあるのは知識、技術。即ち……心技体)


 その姿が見えてきた時、何だか笑ってしまいそうになった。


 何が流派の剣の核心だ。何が最後の奥義だ。いや、ある意味で確かに正しい。これは最後の最後に改めて行きつかねばならない場所かもしれない。心技体、剣道を習ってからというもの何度も何度も何度も何度も聞いてきた言葉。剣道だけではない。全ての道の、これは基礎だ。


 剣道の試合において、気剣体の三つが備わっていなければ有効打突とは認められない。気合と竹刀の扱いと体捌き。後は残心もだが。似ているようで少し違うこれらだが、気剣体の更に根本にあるのが心技体だと理解、認識している。


 いやまったく、これを最後に至る奥義だと言われたら納得せざるを得ない。必要となったら教えるべきだとも思う。これを今教えられてどうしたら良いのだろうという気持ちもなくはないのだが、それでも今ハッキリと、自分がやりたい事だけは定まったような気がする。

 ゆっくりと目を開くと、まるで変らぬ真っ暗闇の中。稽古の終わり、そして自分の道の始まり。一礼して道場を後にする。


 日下 青葉には、今やらなければならない事がある。

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