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(間合いを見切られた!?)
遠くに立っていても分かる。夜の森の獣のように、ギラリと光る二つの目が日下を睨みつけていた。「お前は獲物だ」と告げる、捕食者の目だ。
最大で十五メートル(刀身の長さによって僅かに増減)が日下の間合いだ。そこから縮める事は出来るが、目に見えて長くする事は出来ない。それより遠くを斬らんとする時は、より深く踏み込まねばならない。
日下の間合いを真田は詳しい数字で把握はしていないが、客観的な視点で見て把握はしている。だが、自分自身が正面から相手をするとなると同じ感覚という訳にはいかない。どれだけ情報を得ていたとしても実際に戦わなければ感覚が掴めない。日下の能力はそれだけ強力で凶悪なのである。
しかし真田、諸問題を解決。日下がたった一度だけ放った攻撃だけで、強力だったはずの能力はものの見事に看破されてしまった。たった一度だ。まず最初の牽制として打ったジャブ、ただそれ一つだけ。それだけで、今や日下の刃は見えているも同然。真田は先程の攻撃の光景を記憶に刻み込む。そして次からはちょっとした踏み込みの深さの違いから攻撃の間合いを割り出して対応できる。
もはや日下は取り回しの悪い武器を振り回しているだけの男になってしまっていた。対して真田は圧倒的に身軽。接近戦に持ち込まれると不利なんて言葉では済まない。懐まで入られたらもう日下の強みを活かす事は出来ない。少しばかり腕が立つ竹刀を持った男だ。
(そんな事になった自分に価値は……させる訳には!)
日下の持つ手段の中で、最小の動作で最速の攻撃となるのが小手である。しかも日下が今手にしているのは真剣も同然。直撃して手を落とせれば大打撃、狙い通りに当てられなかったとしてもその先には完全回避の難しい胴体が存在してしまっている。対応は極めて困難。
この時、無意識ではあるが、日下は寸止めをしなければならないという意識を完全に失っていた。ただ全力で斬り捨てようとしたその刃。だがそれも――
「よっ……とぉ」
不発。ポンと後ろに飛んで間合いから外れる事で完全に避けてしまった。
真田は日下の手の内を全てとは言わないが多くを把握している。日下の間合いを見切って神経を尖らせている真田に対して大振りの攻撃はただの隙だ。だからここは速さ、そして動きの小ささを重要視する場面。そんな考えによって、真田の頭の中にはここで小手を打つという選択肢はかなり有力な可能性として浮かんでいた。ならば、その動き出しは捉える事が出来て当然だ。捉える事が出来たなら、足の位置から間合いは完全に読み取れる。経験を積み、命の遣り取りをするでもないリラックスした精神状態の真田にはそれをするだけの実力が備わっていた。
(くっ……なんで届かないんだ! なんで!)
動揺はしながらも日下は間違った行動はしない。真田が勝負を決めるためには接近が必要だ。同時に接近される事は日下にとっての弱点でもある。故に、それを阻止するための手を打たねばならない。
後方にステップしながら引き胴の形で竹刀を振るう。これで接近への対策となる。そして横に振るう攻撃は回避が難しい。日下の行動はどこまでも真っ当だ。自分に出来る、考えられる最善を尽くしている。だが、それが上手くいくとは限らないのが戦いというものだ。
(来……ないっ! 見極められた!?)
真田、前進せず。むしろその身は僅かに後方へと退いているほどだった。真田は可能な限り早く前進して日下との距離を詰めなければならない。そうしなければお話にならないのだから当然だ。故に、ここで下がる意味が分からない。いや、たった一つ・
(俺の動きは完全に読まれてる……どうすれば……っ!)
日下は最善を尽くす。しかし、その動きが精彩を欠いていないとは言えない。本来の日下の戦闘スタイルは、たとえ攻撃を回避されたとしてもすぐさま次の攻撃へと移る流れるような動作が物を言う。それが今は出来ていない。迷い、悩み、そんな動作を伴わない考えに支配されて、一瞬という途方もない長さの隙を生み出してしまっている。
これまで戦い抜いてきた魔法使いとしては、それほどの隙を見逃してしまうようでは失格だ。今度こそ猛然とダッシュ。離れていた二人の距離をここで一気に詰める。
「クソッ……なんで……」
どうしてここまで追い込まれているのか分からない。思考の相性が致命的に悪いのか、真田が想定していたよりも遥かに強いのか。恐らく両方だ。真田は強い、そして相性が悪い。動揺は思考と動作の全てに悪影響を及ぼす。
日下 青葉は昔から鍛錬を積み重ねてきた。背が伸びて、筋肉が増して、出来る行動が徐々に多くなっていく。そんな中でも欠かす事無く積み重ねた。それ故に、自分の体というものがよく分かっている。自分の体がどこまで動くのか、何が出来るのか、どのように動かすのか。日下は初めての動作であっても正確に頭の中でイメージをして確実に体を動かす事が出来るのだ。
それなのに、今は自分の体がどんな動きをしているのか分からない。手の足もバラバラに動いて制御が出来ていない。ただひたすら、真田が自分のすぐそばまで接近してくる時間を引き延ばすために無茶苦茶に竹刀を振り回しながら後退するばかり。しかしそれも長くは続かないだろう。今、日下は自分の背後にどれだけ後退できるスペースがあるのかも把握していないのだ。
「っ!」
適当に放った一発を回避するのと同時に、真田の体が視界から消えた。正確に言うならば消えてはいない、視野は広くとっているので分かるのだが、真田はその体を走りながら低く沈み込ませたのだ。
そしてそのまま、体を起こしざまにダイナミックに右足で地面を蹴り抜く!
こんなものはただの子供のお遊びだ。グラウンドの砂を蹴飛ばしただけ。人によってはこのような行動を鼻で笑うなり、あるいはふざけるなと怒るだろう。
しかし、日下は違う。それは攻撃行動であると体が動く。竹刀を戻して防御の構えを取る。同時に頭は攻撃でも何でもない無意味な行動に思考が止まる。ここに完全なる隙が生まれ、地面を蹴るために少しスピードを落とした真田はそれ以上に距離を詰める。
(殺られる――)
そう認識した瞬間、日下の頭は一時的に急速に落ち着きを取り戻す。幼い頃から得物を手に戦ってきた日下は敗北、即ち死の恐怖によって思考が覚醒する。
(これが最後の攻防……)
真田は完全にスピードに乗っていた。こうなっては細かい遣り取りはもう出来ない。そんな余裕はどこにもない。日下が出来るのはあとたった一度の攻撃だけだ。その結果で全てが決まる。
後退し続けていた足に力を込めて、最後の一撃のために大きく後ろに跳ぶ。




