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第三種目、綱引き
クジ引きで決定された組み合わせによるトーナメント制で行なわれる。まあ、トーナメントと言うほど大層なものではないが。たったの二戦だ。両チームの選手がスタートラインに立ち、合図と共に中央に置かれた綱に駆け寄り自陣に引き込む。速く綱に辿り着いた方が有利で、そこから味方は到着順に並んで引っ張るのだ。慌ただしい事この上ない。だが、参加する真田としては人混みに紛れるので悪くない。
(おや……)
参加選手の集合場所に向かうと、そこには縮こまって何かを下がるように周囲に忙しなく視線をやっているショーゴの姿があった。明らかに不審者の様相。しかし、そんな様子を見せている理由も分からないではない。
「んんっ…………あれー、ショーゴさぁん! どうかしたんですかショーゴさぁん!」
「バッ……ちょっ……シー! 静かにっ」
ちゃんと声が届くように大きな声で呼びかけただけなのに怒られた。不思議な話だなぁ。
「あのね? 俺は今、できるだけ人に見付からないようにしたいの。真田君、分かる?」
「そうなんですか? アカネさんなら競技終わったトモヤ君やミサキさんと話してましたよ? 今は警戒薄いタイミングじゃないかなぁ」
「……そういうのは先に教えてくれない?」
何だか恨みがましい目で見られた。不思議な話だなぁ。
これから全校生徒の前に姿を晒すのだからそれまでの短い延命措置に過ぎないのだが、とりあえずは気を取り直したようで咳払いをしてから真田の方に向き直る。
「割とさ、リアクションに困るんだ。グイグイ来られるのもそうだし、その前の状況を知ってからはもっと」
「へぇ……や、僕に言われても何も出来ませんが」
「見ず知らずの他人の相談には乗ったくせに……」
「ほらほら、逃げる算段を立てながら綱を引きましょうよ。はっはっは」
笑いながら誤魔化すようにショーゴの背中を押す。現状、ショーゴが少し困っているだけであって誰も不幸な状況ではないのだ。本当にどうにもならない状況に陥ったら話は別だが、まだ口を挟む段階ではない。と、そんな考えを持ってはいる。けれどそれを素直に口に出せないのが真田 優介という人間なのである。なんて面倒。
始まる綱引きトーナメント。第一試合は青組と赤組の因縁の対決! いや、因縁とかは知らないけれども。
(おっ、黒瀬君)
青組の選手の中に黒瀬の姿があった。何が楽しいのやら、やる気満々と言った様子だ。真田が冷めすぎているという見方もあるが。ともあれ、あそこまで入り込んで体育祭に挑めるあたり、なかなか悪い人物ではないのかもしれない。いや、決して性格は良くなさそうだが。それを言えば真田も性格は良くないので、同条件なら黒瀬の方がこういう場で頑張れる分だけ好人物である。
スターターピストルが高らかに鳴り響いた。地響きのような足音と、腹に響く怒号のような声。一瞬にして学校のグラウンドは戦場へと変化した。
他に知っている人物は居ないので、自然と真田の目は黒瀨を追う。先手を取ったのは青組だ。一足先に綱を握った男が一気呵成に自陣に引き込もうとした所を赤組の選手が追い付いて食い止める。しかし青組もまた直後に人数を増やして、やや優勢といった状態から引き合いが開始された。黒瀬は先頭から三番目に位置して思い切り後ろに倒れ込まんばかりに綱を引いている。なるほど、足は速い部類らしい。
こうなったらもう少し中心からズレた地点で開始されたただの綱引きだ。一度崩れた均衡はそう簡単に立て直せる事はなく、そしてその均衡は最初から崩れた状態でスタートさせられる。大きな力の差がある訳ではなければ、赤組に出来るのは少し敗北までの時間を引き延ばす事だけ。
《青組の勝利でぇす!》
少し気の抜けたアナウンスと共に大歓声が沸き起こった。凄まじい盛り上がりだ。色々と要素は足されているものの基本的には単純な競争よりも、こうした野郎共の力のぶつけ合いの方が盛り上がりやすいのかもしれない。無論、体育祭の終盤である二人三脚やリレーともなれば話は別だろうが。
「もっとひっそり人混みに紛れたかったのに、かなりドッカンドッカンだなぁ……」
「まあ、そう言うなって。俺は色々と覚悟を決めたよ……さー行こーか」
何かを悟ったような、あるいは諦めたような輝きを失った瞳で真っ直ぐに前を見詰めながら、彼はそう言った。何とも物悲しい、一切の手が思い浮かばなかった人間の逆に完全に覚悟の決まりきった境地だ。彼は勇者。
(さてさて、相手は白組か……)
白組と言えばトモヤ達。順位で言えば同率の二位。率直に言って、何と言う事もない相手だ。勝とうが負けようが戦況が傾くほどの影響は与えられない。まあつまり、どっちでも良い。
真田は比較的、自分の力の制御は得意、と言うより出来ている方だと自負している。人並み、それより少し弱めの真田並み、あるいは魔法使いの平均レベルよりも低い……言うなれば前髪並み。それらを割と自由に調節して体を操れるつもりだ。だから、一人で大きな力の差を見せる事も出来れば手を添えるだけのような感覚で普通に貢献する事も出来る。勝敗は真田の考え一つに左右されるのである。実は。
(ふぅむ……他のチームが相手ならアレだけど、白組だからなぁ……)
スタートラインに集合した緑組の選手達、その中央辺りに隠れるように佇む真田は、首元のハチマキを額まで持ち上げて髪型を整えながらぼんやりと考え事をしていた。真田としても別に力を出さないよう楽にやって、負けてもどうでも良いと思っている訳ではない。何だったら、勝てるもんなら勝ちたい。暴力を伴わない闘争、大いに結構。
ただ、勝利を手にするためだけに魔法使いはその力を発揮すべきではない。一般的な人々の中では明らかにバランスを崩す存在であり、その存在を知られるのも避ける必要がある。リスクを負うには、勝利以外にも何か得られるものがあり、それでいて可能な限りリスクを低減できる自信がある時だけでないといけない。
などとウダウダ考えている内にピストルが鳴る。反射的に走り出した真田であったが、そのスピードは本人の基準においてハエが止まるほど極めて遅い。つまりは真田並みだ。観戦している生徒達の方を見ながら走るショーゴの背を追うようにして綱へと辿り着き、掴み上げてから握る力を緩める。感覚としてはもう手のひらの上に綱を置いてる状態に等しい。いや、もちろん握ってかるーく引っ張ってはいるのだが。ちなみに、全力でやってる風な感じを出すのは結構得意である。バレないバレない。
先手は文字通りのタッチの差で緑組の方。一歩か、それに満たない程度ではあるが引き込んだところで拮抗が始まる。その程度では大きな優位性とはならない。が、先手にはもう一つメリットが存在する。正確には後手番のデメリットか。先手を取る事によって、逆に先手を取られそうになった側が焦るのだ。それによって万全な体勢で勝負を始められなくなる。しかも今回はタッチの差、綱を掴もうとした瞬間に、それが動き出したようなものなので、少し掴み損ねたりもするだろう。そこからの立て直しも勝負の駆け引きだが、それでも先手の二つの優位性を得る最初の競走は非常に重要だった。少しずつ、ほんの少しずつ緑組の選手達の足が後方へと進み出す。
「ぇいしゃぁぁぁ! せぇぇぇのっ!」
勝てると踏んだ事でこのまま一気に仕掛けようと、先頭に立って綱を引いている三年生が絞り出したようなガラガラの声で号令をかける。それによって、緑組はまるで一つの生き物のように連動して攻め始めた。まあ、そんな中で真田は極めて貢献度の低い盲腸的な存在だったのだが。そんな存在を抱えてなお、緑組は止まらない。必死に抵抗を試みていた白組であったが、先頭集団の一部が重心を後ろに置き過ぎるあまりに遂に足を取られてしまった事をキッカケに、勝敗は完全に決した。一人だけとんでもなく冷静な精神状態でちょっと首を横に出して戦況を眺めていた真田にはその様子がよく見えていた。
《みどぉりぃぐみぃっ!》
何故か行事スタイルで勝利を告げたアナウンス。そして巻き起こる鬨の声。まだ初戦とは思えない熱量だった。そう、まだこれは初戦。もう一つ戦いが待っている。
綱引きトーナメント決勝、まずはここで青組の黒瀬と最初の勝負があるのだ……。




