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一悶着があってから仕事場を後にして、風見町へと戻った真田の姿は今、服屋にあった。服屋。ショップとでも言えば何となく格好いいが、服屋。ファストファッションブランドは何となくショップと呼ぶのを躊躇われる個人的な感覚。
何をしているのかと言えばそれは当然、一悶着の原因となったデートのための服選びである。
(予算を考えるとファストファッション……いや、そもそもショップに挑む装備品が無いから必然的にこうなるんだけど)
必要な装備品、それはお洒落な服。もしくは強引に連れてきてコーディネートしようとしてくれる異性だ。それならば無頓着な恋人にお洒落をさせようとする微笑ましい光景が完成する。まぁ、どちらも存在しないのでこうなる。話が話だけに吉井には頼めない。話が伝わりそうなのと、何となく本人も怖いので雪野も同様。と言うか、吉井による真田へのアピールを知っている人物には絶対に頼めない。必然的に一人。正確には条件に当てはまる女性が知人に居ない訳ではないが、彼女は体質の都合で太陽が出ている内はそうそう外に出られない上に、少し服装が……偏り過ぎている。いや、黒い服で全身を覆い隠すのは彼女なりに理由があるのだが、それはそれとしてアドバイスを求めるのは、ちょっと。
(だからと言って自分で選ぶとせいぜい無難オブ無難……いや、自分の中の無難が正しいかどうかも分からない。調べながら何とかするしかないなぁ……)
服は買おうとしている。が、無策。完全に無策。カーディガンやパーカーを便利に使っていたりシャツ一枚コーデだったりと基本シンプルな恰好、何だったら制服を一番便利に使っている日々は伊達じゃない。
「何かお探しですかぁ?」
「! い、いえ、そのぉ……」
背後から女性に話し掛けられて大いに驚く。動揺全開。よもやこの手の店でも店員がやって来るとは思わなかったのも理由の一つだが、勢いよく振り返ってみるとそこに立っていたのが明らかに店員といった様子ではないのが最大の理由。
「え、えっと……ぉ?」
「あっはっはっはっは! ゴメンゴメン、もう見るからに悩んでたから、ちょっとからかいたくなっちゃってさ」
そんな事を言いながら真田の肩を軽く何度か叩く女性は、まるで見覚えのない人物だった。真田が見覚えないのだから、それはもう本気で見覚えがない。完全に初対面だ。歳のほどはあまり変わらないと思われるショートボブの明るく朗らかな女性。そりゃあ明るく朗らかだろう。初対面の相手に平気で声かけて爆笑してるんだから。
「で、どうしたの? 服が欲しいの? デート?」
「そういうのではないんですけど……いや、なくはないのか? まあ、その、とりあえずそんなノリで良い感じの服を揃えようと……はい」
「そういう事ならさ、私が選んであげるよ? 参考にはなるんじゃない?」
「ええっ? やー、そんな事、お願い……は……」
しどろもどろも良いところ。まあ、当たり前と言えば当たり前。急にそのような事を言われたって「ではお願いします」なんて即答できるはずもない。それが初めて見る相手に対しての真田だったらなおさら。しかしここで真田、気が付く。自分で選ぶ事が難しいのは事実、そして彼女は店員といったような物を売りたい側の人間ではない。つまり、極めて公正な目で選んでくれる人間が、しかも向こうの方から声を掛けてくれたのだ。無論、彼女が何者かも分からないので完全に信用するべきではないのだが、大抵どんな状況になっても今の真田ならば乗り切る事が出来る。最悪、暴力系のトラブルに巻き込まれたとしても問題ない。むしろ暴力系の方が簡単に対処できる。そう考えると気持ち的に余裕が生まれるものだ。このビッグウェーブ、乗るしかないのでは?
「お願いは……出来たりしますかね?」
「おっと、乗ってきたね。良いぜ良いぜ? お姉さんに任せてみてよ。どんなのが好み?」
「そう、ですね……」
ここで顔の下半分を手で覆い隠しながら思考開始。とにかく服を求めて来たのだが、こうして信用できない自分以外の他者の力が借りられるのならばより良い装備を求めるべきだ。だから深く考える。何のために何を必要としているのか。自分が、状況が本当に求めている物とは何なのか。
「――よし、決めた。えっとですね、僕の顔とかは一切気にせず、もうちょっと背が高いと想定した上で、あとは……ハットか何かも欲しいですね。それで格好いい感じにしたいんですけど、どうでしょう」
「顔は関係なくて、背も高く……えっ、原形ない……」
「まぁまぁまぁまぁ、良いですから。お願いしたいんですが」
正直に言うと真田自身ももう自分で着る服のリクエストではないなぁと思いはした。が、止まれない。間違いなく必要な服の要素はこれなのだから仕方がないのだ。
「うーん……予算は?」
「これくらいでどうでしょう」
少しだけ身を寄せてこっそりと指で金額を示して見せる。ここに来る前にATMに寄っているので懐具合はそれなりだ。今月来月と消費は抑えつつ、それでもゲームも本も買えそうにない。経費で落ちないだろうか。経費か成功報酬、どちらかは必ずモノにしたい。
「ふむ。見た目が地味だから服は派手な感じにしようと思ったけど、そこを気にしないんだったらイケメン想定でやっぱりシンプルで綺麗めな恰好が良いかな。背を高くしてハットと合わせて……ちょっと暖かいしベストかな? 体型は悪くないし、良い感じになると思う。ダークカラーで纏めて、アイテムの数を抑えて予算内で質の方を上げたいな。結局イケメンってのは置きにいった恰好でも決まってるんだよねぇ……悪く言えばどうも選び甲斐がない。暗めの色のスキニーとか持ってる?」
「ああ、はい。そういう使いやすいのは」
「よしよし、現物見らんないのは不安だけど、とりあえずその分の予算が浮いたね。あっ、基本的に予算は使い切るつもりだから、アレだったら今の内に減らして教えてね。じゃあ行こう、欲しい物はここにはないよ。レッツゴー」
選ぶための指針を貰えればそれだけでも充分だと思っていたのだが、真田が思っていたよりも遥かに真面目に考えてくれたようで一人でドンドンと話を進めている。とはいえ、彼女が言うようにシンプルな形で纏まっているのでファッションに対するリテラシーが著しく低い真田でも何となく聞こえてくる内容だけでイメージが出来た。
そんなこんなで連行された先はなかなかオシャレ感のある服屋さん。まさに特別な装備品が前提となるタイプの店だ。そして今、最も強力な装備と共に訪れる事に成功したのだ。凄くありがたい、選んでくれるという名目だから今の自分の恰好をまるで気にする必要がない。なんということでしょう。本来ならば圧倒的なアウェー感で迎撃してくるであろう店が、こんなにも平常心で居られる穏やかな空間に。
そこから約数十分後。ちょっとお洒落っぽい真田、完成。その間の事はまるで説明は出来ない。彼女は一人で何かを呟きながら服をあてがったりしてくるばかりだったのだから。先程まではイメージも共有できていたと思うのだが、今はもう何を気にして何が気に入らなくて何を決め手に選んでいるのかは真田には分からないのである。唯一真田にも理解できた事と言えば、持っているスキニーパンツの色味を聞かれた時くらいだろうか。数少ない協力の可能なタイミングだと判断したので全力で記憶を呼び起こしながらいくつかのサンプルから同じ色を選んだ。
スキニーパンツと色味を合わせたベスト、インナーのシャツとハットも合わせてカジュアルなファッションが完成した……のだと思う。帰って着てみなければ判断は出来ない。とはいえ、真田だけではこんな形にはならなかったのは間違いない事実である。
「ありがとうございます……助かりました。マジで予算使い切られたのには震えましたが」
「いーのいーの。財布もスッキリして気分爽快ってコトで。私に惚れんなよ? 彼氏いるからさ、これでも」
「急に話しかけてきて服を選んでくる不審者に惚れませんよ」
「不審者に服を選ばせる方も大概じゃない?」
「まあ、お互い変なヤバい奴って事で」
「仕方ない、痛み分けといこっか。そんじゃ、デートだか何だか知らないけど頑張ってね」
「はい、おかげさまで頑張れそうです。それでは……」
お互いに名乗る気も見せず、こんな会話をして店の前でそのまま別れる。人生の中でこんな出会いがあっても良いだろう。どこの誰か知らなくとも、その内に出会える時は出会えるのだ。今はただ、なかなか面白い人物に遭遇した思い出と感謝の気持ちだけを抱いていれば良い。それがきっといつの日か再会に導いてくれるだろう。
「よし……こっからが本番だ」
何となく激戦だったような気もする服選びであるが、これはただの前哨戦に過ぎない。東京デートの日は近い……。