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真田 優介は落ち込んでいた。
この日は体育祭の出場競技でまだ決まっていないものを詰めていた。この体育祭、メインとなるのは最後のリレーだ。各学年から男女二名ずつ四人が選出され、十二人でバトンを繋ぐ。運動部、正確にはもう少し細かいレギュレーションがあるが、例えば陸上部なんかは各学年で二人までと決まっている。つまりザックリと言えば、普段から走ってる足の速い奴二人と足の速い帰宅部か文化部二人で組め、と。そういう話だ。
そんなルールがあるので、もう一つのメインとされているのが直前に行なわれる二人三脚リレーである。こちらは選手の能力は無制限、余った運動部員の力の見せ所なのだ。
真田は別に足が速くない。自身の持つ本来の実力ならば中の下、下の上といったレベル。高校生活も二年目の後半となれば、いくら目立たないようにしている真田であっても別に運動ができる訳ではないというイメージくらいは共有されている。だからこんなメイン級のイベントなど無関係なのだ。真田が出場予定なのは玉入れ綱引き障害物走。上手い具合に力の加減ができそうで、それなりに数も出ている。自分一人の成果が大勢にあまり影響を与えず、障害物走もある程度は遅れても仕方がない雰囲気が出る。文句のつけようがない選択だ。
張り切っていたが全力を封じられて落ち込んでいた宮村は綱引きと騎馬戦の二つという結果に。昔はサッカー部であり現在は帰宅部。そんなリレーのルールの穴をくぐっているような人材ではあるのだが、如何せんそこは悪い方の意味で浮いている男。クラスの代表には選出されなかった。何だったら騎馬戦も少し気を遣われて加わらせてもらった感がある。
そんなこんなで当日は頑張りましょう……で、済めば良かったのだが、ここで話は少しややこしい事になってしまった。なんとこのクラス、運動部員があまり多くない。リレーの代表選手は野球部から一人、女子陸上部から一人。もう一人を文化部にする事で運動部外の扱いで出場できるというルールに基づき陸上部から高跳びの選手であるレージ。もう一人は中学時代はバスケ部、現在は文芸部だという女子に決まった。リレーは得点が多いらしいので、ここに力を入れるのは当然の判断だろう。
そして二人三脚の方に残った運動部員を詰め込む。こちらも十二走までリレーが続くのだが、必要な人数は倍に膨れ上がる。今日まで二人三脚のメンバーが決まっていなかったのだが、それはどうしても男子のメンバーが足りないのがその理由だ。質を選ばなければ何とでもなる。それこそ真田であるとか。だが、これは最初で最後の体育祭。全力で勝ちにいきたい。
選出が難航していたそんな時、レージが口を開いたのだった。
「そう言えばさ、暁って前はサッカー部だったんだろ?」
教室中がザワついたのは言うまでもない。「マジで?」「どうする?」「いやでも……」などという言葉がそこかしこから聞こえてくる。しかし、迷ったとしても背に腹は代えられないのが実情。本当のところはサッカー部に所属していたのは随分と昔の話であるが、それを知らずに見ると宮村はつい最近まで運動部でバリバリやってましたと言わんばかりのなかなか良い体付きをしている。見るからに身体能力は高そうなタイプだ。まあ、実際バリバリに体は動かしているのだが。
「あー……良いぜ? 俺、出ても」
不良扱いをされている、実際に以前はそれなりに精神的に腐っていた宮村だが、今となってはただの気の良い男だ。出来るだけ場を波立たせないように発言した事で宮村の参戦が決定。
しかし、問題はもう一つ。相方が居ない。リレーからレージを外して女子の運動部員をもう一人加えるという形もできなくはないが、メンバーはもっと前から決まってしまっている上に、より本気で勝ちにいくリレーは単純な速さよりも連携を重視した方が良い。ここに宮村を、しかもレージを外した形で入れるとなると明らかに存在している溝が連携の邪魔になる。そしてその溝を本番までに埋めるのは難しい。ならばショーゴと組んで二人三脚を、とする事も不可能だ。既に彼は他のクラスメイトと組んで出場が決定している。そこを曲げると再び選考が混迷を極める可能性があるのだ。
ここで考えてみよう。レージは出られない、ショーゴはもう出ている。他のクラスメイトは基本的に宮村を苦手としている。では、どんな選択肢が残されているだろうか。答えは極めて簡単。
「じゃあ俺……アレだ、真田と組んで出るよ。それで良いだろ?」
以上、真田 優介が落ち込んでいた理由である。
「どうかと思いますけどね、人を勝手に売っちゃって」
直後の昼休み、真田は愚痴をこぼしていた。桜井が転入してきた時に真田の席に集まってきたせいで真田が全力で近寄ってくるなオーラを放っても通用しなくなってしまったのか、なし崩し的に宮村とレージ、ショーゴの四人で机を囲む羽目になってしまっているという状況も、思わず愚痴ってしまいたくなる要因の一つだ。
「そう言うなって、丸く収まったろ?」
「僕のところにめちゃめちゃ鋭い角が発生してんですよ」
「まあまあ、暁に一番上手く合わせられるのは真田君なんだから、適任っちゃ適任だよ、実際」
「……合わせるには身体能力っていう絶対的な壁があるんですって」
本当の事を言うと宮村は全力を出せないので今の真田ならば合わせられるのだが、それを説明する事は出来ない。まあ、面倒でシンプルにやりたくないよりかは都合の良い嫌がる口実なので便利に使わせてもらう。
「そもそも僕、今回それなりに働いてるのに特に忙しい競技増やされちゃって……」
しつこく文句をブツブツと口にしながら、鞄から弁当箱を取り出して広げる。
「お? だっちゃん何それ、彼女弁当?」
「は、マジかよっ」
「いえいえ、完全に自作ですけど」
「じゃあ何でそんな弁当に……」
三人が興味津々といった様子で覗き込んでいる真田の弁当は、もう見るからに女の子のお弁当としか言いようのない物だった。小さいピンク色のお弁当箱、その中身はファンシーなクマさんを形どったおにぎりを中心としてヘルシー全開で色とりどりで、色んな意味で可愛らしい。食の好みも胃の容量も人それぞれだが、少なくとも普段の真田の食事内容を知っていればどう考えても足りていないし、好みの面でも微妙だ。
「食べます? まだまだありますけど」
言いながら、今度は鞄から実用性に特化した見た目のタッパーをいくつか持ち出す。中身は同じだが、サラダであったり蒸し鶏だったり、どう考えても盛り付けた後の余りのおかずが一種類ずつ詰め込まれている。シンプルな薄茶色の混ぜご飯が詰め込まれたタッパーは言ってしまえば熊の残骸だ。熊の体になる事を許されなかった可哀想なお米たちである。
「あ、僕の事は気にしないでください。これもありますから」
そして取り出したるはチキンバーガー、三個。
「真田君は……何でこれを作って、何でこの弁当箱に詰めて、何でそれを買ったの?」
「…………まあ、僕にも色々とあるんですよ」
「「「えぇ……」」」
まるで説明する気のない発言に三人ともドン引きだ。正直に言って奇行としか言いようがない。作った弁当を人に渡した結果ならともかく、全て自分で食べようとしているのだから本当に意味が分からない。
真っ先に迷わず箸でクマさんの顔面を半分に割り、その様を三人が見詰め、何となく微妙な空気が流れ始める。
真田はそんな空気を気にする様子もないのだが、空気は直後に派手に打ち破られる事となる。それは、ある人物が勢いよく教室の扉を開けた音が原因だった。
「……よーぉ、宮村ァ」
「おおう、黒瀬か。久し振りだな、なんか」
真田の席は教室の後ろの扉のすぐそば。だからその現れた男――黒瀬は目的の人物――宮村をすぐに発見できたようだった。随分ねっとりと、神経を逆撫でするようなトーンの声だったが、宮村を相手にそんな具合で話し掛けるような者も珍しい。どうやら以前からの知人のようだが、それが理由なのだろう。
「昼飯の邪魔しちゃった? ゴメンね、コイツっては空気読めねぇからさ」
黒瀬の背後から現れたもう一人の男がヘラヘラと笑いながら謝ってくる。黒瀬があまり身長の高くないタイプであるのに対して、こちらはかなりの高身長だ。
「おっと、やっぱりシロも一緒か。おひさ」
「おう、久々だな、ミヤ」
そしてシロと呼ばれた方の男は、黒瀬の態度に対して宮村とも仲良さそうに話している。
他人が現れた事によって真田は完全に気配を消すモードに入ったのだが、流れとしては宮村が紹介をするような流れだろう。しかし、それを大きな声で無視するのが空気が読めないと評された黒瀬だ。
「そりゃあ久々だろうなぁ、このクソ野郎が! 聞いたぞ、二人三脚に出るってな。お前の相方はどっちだ? んぁ?」
「や、コイツだけども」
「認めてませんけども」
明らかにレージとショーゴの二人を見比べていた黒瀬に真田を指し示す宮村だったが、反射的に口を挟んでしまった。それでやっと真田の事を一つの存在として認識したのか、黒瀬は不躾に舐め回すようにジロジロと見てくる。そしてわざとらしく鼻で笑うのだ。
「フンッ……お前と二人三脚で組んでくれるような奴なんて居ねぇと思ってたけど、まさかそんなしょっぱい奴と組んで出るとはなぁ!」
何かしょっぱい奴と決め打ちされた。いや、あまりプラス評価を得られるような人間であるつもりもないが。
「でも言っとくが、手加減してやるつもりなんてねぇからな! そんな奴としか組めねぇってのもお前の実力だ。それを俺は叩き潰す! 良いか、俺らは四番目だからな。逃げんじゃねぇぞ!」
黒瀬は言いたい事だけを言って去って行く。恐らく本人としては伝える事を全て伝えきったのだろうが、受け手側としては発言の行間まで読まなければ理解し切れない。多分ではあるが、彼は二人三脚の選手になったのだろう。そして、敵愾心を抱いている宮村も出場すると知って喧嘩を売りに来た。そして単純なリレーの結果ではなく直接勝負がしたい。分からないが、きっとそんな具合だ。
「悪いなミヤ、みんなも。ま、オレも手は抜かねぇから。ヨロシクぅ」
シロの方も手を振りながら黒瀬を追って去った。どうも黒瀬の相方は彼らしい。先ほど宮村がやっぱり一緒か、などと言っていたのでいつも行動を共にしているのだろう。つまり、さっきの推測を更に補完すると、『お前はしょっぱい奴と無理に組むしかなかったかもしれねぇが、俺は親友と全力でブッ潰してやっかんな!』という事らしい。
「……すーげぇテンション。アレ、サッカー部の黒瀬と森だろ? サッカーやってた時の友達か?」
「友達って言うとアレだけどな……黒瀬の野郎、マジで俺を嫌ってっから。俺の方が上手くて、それで元から嫌われてたけどさ。俺が色々あって辞めちまってからはもっとだよ。高校まで同じになるとは思わなかったけど……シロの方はさ、割と良い奴」
「シロって?」
「森 史郎」
「ああ……」
どうやらあだ名……と言うほどでもないかもしれないが、そんな具合で呼び合うくらいの仲ではあるらしい。あくまで森の方だけではあるが。
宮村は黒瀬、森と遅くとも中学の頃からの付き合いがある。確かレージも吉井や雪野とは保育園の時からの幼馴染だと言っていたはず。外からやって来た真田には知る由もない交友関係というものが誰にでもある、という事だ。
無論、外からの人間とは言っても真田だってこの辺りに住んで二年目。人と交流するようになってからでも数ヶ月は経過している。彼なりに交友関係が広がったり、仕方なくではあるものの広げようとはしているのである。