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真田 優介は困惑していた。暗い夜道、目の前では一人の男が両手をこちらに向かって突き出している。
「…………一応、聞いておきたいんですが」
「当然、百円玉がどっちにあるか答えてもらおうか」
薄っすら笑顔を浮かべながら言うのはコイントス男(仮名)である。少しばかり間を空けて、遂に三回目の挑戦をしてきたのだ。
短い説明で現在に至る。
「当てたら、どうなるんです?」
「現在リーチが掛かってるという事だけ伝えておこう」
めっちゃ怖い。当てたらどうなるのかも怖いし、外した時に何が起きるのかも怖い。当てるか否か、どちらを選ぶのかと問われたのなら、一応は何か得がある可能性がある前者という事になるのだろう。選ばされた感が満載で極めて不本意だが。
深い深い溜め息をきっかけに、思考をフル回転させ始める。これまでと同じように声を掛けられ、特にそこからは声を発さないまま右手の人差し指と親指で摘まみ上げた百円玉を見せ付けてそのままコイントス。今回はあまり特殊な事はしていない様子で、空中にあった硬貨は月を透かしながらキラキラ高速回転し、左手に吸い込まれた、ように見えた。
さて、考えてみよう。この期に及んでただ単純にコイントスで勝負しようとは思っていないだろう、流石に。ならば右手が答えか。その回答をするには根拠が必要だ。当てずっぽうで答えて機嫌を損ねるのもまた怖い。何でこんな事に付き合わされているのだろう。本気で分からない。
ここまでの顛末に疑問を差し挟む余地があるとすれば……あるとすればどころか、冷静に考えれば明らかに異様なポイントが一つあった。何故か空中に高々と舞い上がった硬貨と月が重なって見えたのだ。普通に考えてあり得ない。だが、見えたのは真実。故にどんな理由があればそれが実現するのか、それを考える。分からなければ、もっと考える。
「――オッケ、分かりました。百円玉は右手です。そっちです、そっち。コイントスをする直前で、右手に握り締めてたもう一枚の硬貨とすり替えて打ち上げます。もう一枚の硬貨ってのは、具体的には五十円玉。左手でキャッチしたのはそいつの方です。以上」
高速で回転している五十円玉、その穴から月が見えていたのだ。細かい部分まで気にすると五円玉の可能性もあるのだが、より百円玉に見た目が似ている物を選ぶだろうと判断しての断言だ。
そして男は両手を同時に広げる。左手には銀色で穴の開いた、五十円玉。右手にあったのは見せられた物と同じ、綺麗な百円玉が。
「正解だ、前髪クン」
「……あ、はい」
正直、感慨とかは別になかった。
「おめでとう、見事に三回的中させたキミには後日、景品が贈られるぞ! ではさらばっ!」
「は? あ、ちょっ……景品って……待て!」
待てと言われて待つ奴は居ない。太古の昔から言われ続けてきた言葉は本当だった。今回は金すら渡さずにさっさと男は走り去って行ったのだ。再び何らかの形で接触がありそうなとんでもなく不安な言葉を残して。
信じられないほど嫌な予感がする。そして、世の中は嫌な予感ほど的中するのだ。
「やあ、前髪クン」
「は? 何で、こんな所に……」
あの男がいつものように声を掛けてきた。だが、時間も場所も最悪だ。時は夕刻、何より悪いのが場所。いつもの仲間達が集うカフェに、男は堂々と乗り込んできたのだ。
「知り合いかい?」
「いや、まあ、知ってると言えば知っては……」
「こりゃ申し遅れまして、坂崎 貴久です。真田君とは縁あって少しばかり交流をさせてもらってまして。どうぞお見知りおきを」
こんな具合で男――坂崎は店内に居た客、即ち仲間達に対して妙に丁寧に挨拶をしてのけた。感服させられるほどのクソ度胸だ。何で溜まり場になっている店も真田の名前も知っているのかまるで分からなくて死ぬほど怖いが、もう正直に言って考えるだけ無駄なような気もする。
店内の仲間達。宮村、吉井、雪野、木戸。そしてついでに白河兄妹。若干一名を除いて客はみんな高校生組だ。
「さ、真田 優介……キミの知人だと言うのか、彼が。本当に?」
和樹が体を寄せて小声で問い掛けてくる。もう人見知り全開だ。何となく馴染んできた場所にまったくの他人が現れて警戒心が急上昇している。キャラの割に小動物のような性質の男である。とは言え、他の面々も基本的には怪訝な顔を坂崎に対して向けている。例外が居るとすればそれはたった一人、とりあえず現状なにも考えていない宮村だけだ。
「そーゆーコトなら俺の友達でもあるな。俺は宮村 暁。よろしくっス、坂崎……さん?」
「呼び捨てで良い、あとタメ口で。よろしくな、宮村クン」
「おう、坂崎!」
パシンと手を叩き合うような勢いで握手を交わす二人。間に入っている真田に対しての信頼が厚いというか、シンプルに宮村が単純すぎると言うべきか。
「まあまあ、深く考える必要はない。そう、僕は前髪クンに贈る景品そのものなのだから! さあ、坂崎を一人プレゼント! 嬉しいかい? 良かったね」
「はあ!?」
勝手な事を言って勝手に人の感情まで決め付けてきた。自分だけで結論まで話を持っていくスーパードリブラー坂崎。なお、アホな事を言い出した瞬間に色めき立つものが二名。一人は「ど、どーゆーこと!? 優介!?」などと騒ぎ出し、もう一人は「新たな登場人物が……タカヒサ……グイグイ押してくるお調子者キャラ? ううん……」と首を捻る。ちょっとどうしようもない人達ばかりなので、場が落ち着くまで少しカット。
「まあ、急に来た僕を信頼できないのはよぉく分かる。そんな訳で、親睦を深めるためにこんな物を持って来ました! ……あ、ちょっと待ってね」
勝手に喋って勝手に店の外に出て行く男。どうやら最初に入って来た時に何かを外に置いていたらしい。どうしてそんな妙な演出をしてくるのか。そうして坂崎が戻って来た時に手にしていた物は、謎の大きな紙袋。
「さあテーブルを集めて大きくして、みんなも集まってみよう。僕が持ってきたみんなへのお土産、これだ!」
勢いよく紙袋から出された物、それはおもちゃ屋さんで見かける大きな箱だ。書かれているタイトルは『人生体験ゲーム』という。誰しもが遊んだ事があるだろうボードゲーム。真田も遊んだ事がある。一人で。一体どれだけの数の人生を同時に歩んできただろう。
「取り出しましたるのはお馴染み、人生体験ゲーム! ここに、僕が作ったオリジナルのステージを重ねる!」
「でけぇ!」
まさかの四回りくらいサイズアップ。超大型の追加コンテンツ(自作)である。
「そしてルールを付け加える事で新たなゲームを誕生させよう。それは、二人一組でプレイするというルールだ!」
説明すると、最初にペアを作ってゲーム開始。各々で普通に進行させ、結婚のマスに到達したら遅い方の相方もワープしてきて、そこからは駒と所持金を一つに統合して交代でルーレットを回す。まあつまり、自分とは無関係な所で自分の人生、お金が動いてしまうという微妙にコンビ間の仲がチリチリし始めちゃいそうな、ちょっぴり悪趣味なゲームである。最初から結婚相手が決まっている、その名も『許嫁ゲーム』だ!
「あ、ちなみに最下位のペアは罰ゲームとして二人っきりでデートをしてもらいます」
「はあ!?」
再び色めきたった店内。尺の都合上カットするが、大いに騒いだのに何だかんだで乗せられてゲームをする羽目になってしまった。何だその話術。
Aチーム・真田&吉井ペア
「ここで最下位になれば……ううん、優介が誰かとデートしなくて済むだけでも満足しないと……いや、でも……」
「全員を全力で叩き潰して圧倒的な勝利、あるいはビリ回避に成功すれば何でも良いです」
Bチーム・雪野&実和チーム
「よろしくお願いします、雪野さん」
「そう言えばあまり直接お話した事ってなかったわね。この機会に仲良くなれたら嬉しい」
Cチーム・宮村&和樹チーム
「何で男女三人ずついたのに混ぜてクジ引きしたんだよ! 夢も希望もへったくれもねぇよ、モチベーション! モチベーション!」
「ふっふっふ、我ら宿命の宿敵。なればこそ、手を組めば無限のチームワークを発揮するのだ! 征こうぞ、宮村 暁! 勝利は我らの眼前にあぁる!」
テンションの高さと方向性に大きな隔たりのあるチームが誕生してしまった。ちなみにお分かりの通り参加者は高校生組のみ。坂崎は銀行マン役に徹するらしい。
なお、Cチームはむしろモチベーションを上げて頑張らないと大変な目に遭うという事を忘れてはならない。実和が「ううん……兄ではやはりちょっと……いや、ここは同じ顔である私自身を投影してユウスケとの間に割って入る妄想を……」などと逞しく性癖を小声で爆発させている。
「僕が見た感じ、キープレイヤーは宮村クンと和樹クンと吉井サンになるね。占いとか人相とか色々なアレで。Cチームの二人は今日はノッてる日で、吉井サンはイマイチな日と見た。いやはや、楽しみだねぇ、楽しみだよ! 僕の予感が当たるのか、それとも超えてくるのか! 是非とも見たい!」
「ふはっはははははっ! 我が幸運を捉える眼を持つか! 良い、良いぞ! 見せてやろうとも!」
「むむっ……いや、優介と組めた私の運は最高のハズ……」
何か言い出した坂崎のせいで場はさらに騒がしくなる。どうやら和樹は良い感じの事を言われて少し心を開いたようだ。単純極まりない生態。
そんな混沌の中で、運命のファーストルーレット!
「ああ、進学か就職かを選ぶんですね」
「就職はルーレットの目に応じたハイリスクハイリターンな職業が多いけど、それだけに限らないし、早い内から稼げる。進学は給料は無いけれど、卒業後はローリスクでそれなりの収入が見込める職業が多い。まあ、要相談」
就職と謳いながら虚業の方が多いのはどうなのだろう。
「じゃあ僕は運が良い訳でもないですし、進学にします」
「そんじゃ、私は就職にしよっと。大丈夫、優介は私が養うから」
なかなか良くない発想をしている。冷静になった方が良い、将来的にかなり困る事になりそうだから。
そんな二人の止まったマス。真田は短期バイトで僅かではあるが臨時収入を得た。給料の無い学生身分においては貴重なマスだ。対する吉井は最初に止まったマスによって職業が決定される。
「えっとぉ? ……『好きな事して生きてみた ウーチューバーになる』……だって」
「香澄、あなた……進学も就職もせずにウーチューバーを職業として……」
「人生最大の勝負に打って出るのが早すぎませんか」
「わ、私のせいじゃないもん! ルーレットがぁ!」
「ウーチューバーが給料日マスに到達するとルーレットを三回、合計で30を出せば100万ドル、それ以外なら0だ」
「ムリ!」
ルーレットの最大は10である。即ち、三連続で10を出さねばお金を得られないという訳だ。バランスどうなってる。この瞬間、早くもAチーム夫妻の収入は真田一人で稼ぎ出さなければならない状況に陥った。単純に考えて他のチームの半分程度の収入となってしまう。これだけマップが広いとそれなりの数の給料日があるはず。それならば一度くらいは大当たりの可能性もある。それを祈りながら、真っ先にゴールして着順ボーナスで稼ぐしかない。いや、それでも余裕で危険領域だが。
「ちなみに給料日マスではたまに保険に加入できる。給料日の度に1万ドル。払い続けてゴールまで行けば50万だよ」
保険料を最後まで払い続けるのは大変だ。しかし、それでも確実に大金が手に入る。二人で保険に加入し続ければウーチューバーの大当たりと同額を得る事が出来るのだ。これは大きな影響を与えるだろう。しかし――
「1万ドルがどこにあるってのよ!」
香澄夫人、生命保険への非加入を宣言。正しい。1000ドルでも惜しんで生きていこう。
それでは次のチーム。
「真田君みたいに進学でも少しは稼げそうね……」
「ええ、私達は二人で進学を選ぶのも良いかもしれません。自分で出費を選べるイベントでは節約しながら保険金の100万ドルと着順ボーナスでトップを狙いましょう」
先のマスを見てみると、保険以外にも強制ではなく自らで出費を選べるイベントが散見する。たとえばルーレットの目に応じてお金が手に入る宝くじを買わない、ゴール時に換金できる家や車のグレードを落とすなどの方法で節約が可能だ。もちろん宝くじは当たればリターンもあるし、豪邸や高級車にすれば購入時には大金が必要になるものの換金する際にはその分だけ高額だし、高級であるほど見返りの大きいイベントもある。全員が買う物だからこその駆け引きというものがあるのだ
そこで二人の選択はド安定志向。何を考えているか分からないが負けるつもりはないらしい雪野と、Cチームに負けさせたい実和の思惑が見事に合致! 見る側からすれば死ぬほど面白くないプレイングだろうが、話はそう簡単には進んでくれない。
「あれ、このマスは……」
「ああ、それはスカウトマスだね。ルーレットの目に応じて不安定系の職業になっちゃう」
「このゲーム、マジで……」
誰かが小さく呟いた。開始早々から思惑通りにはいかせまいとする面倒なマスが多すぎる。既にこのゲームから降りたくて仕方がない。
そんな訳でスカウトマスに止まってしまった実和のルーレットタイム!
「4、ですね」
「ならばキミの職業は……えーっと? 作家に決まりだ!」
「作家……!」
「作家のキミは給料日が三回に一回になる代わりにルーレットで出た目の……」
「へ、編集さん!」
「先生!」
ガッチリと握手を交わす実和と真田。ゲームの上での話とはいえども、作家になったのは何となく嬉しかったので思わず二人してテンションが上がってしまった。正直少し不覚である。ちょっと盛り上がってしまった事も、普通に編集者の自覚が出てきてしまっている事についても。
なお、そんな盛り上がりの様子を見詰めるいくつかの生温かい視線がある事には気付きながらもスルー。断固スルー。怖いし。
何事もなかったかのようにCチーム。
「就職で行こうぜ、今日はノッてるらしいし、死ぬほど稼いで圧倒的に勝つ」
「フッ……良いだろう、我が豪運により必ずや勝利を引き寄せてみせよう!」
ビリになりたくはない宮村とシンプルに純粋に勝ちたい和樹のある意味でどのチームよりも圧倒的に足並みがそろっているチームである。揃って就職コースを選択。最もリスキーであり、最もリターンも大きいギャンブラー全開の選択だ。ただ、最後まで逆転の可能性があり、最初に上手く事が運んで荒稼ぎできれば後は安定志向に方針転換する事もできるのでビリ回避を目的とするならば意外とアリなのかもしれない。
ともかく、これで二つのチームが進学就職を選択し、一つのチームが両者就職という形でこのゲームを進行する事になってAチーム真田のターン。
「…………あっ」
再度ルーレット。
「4番。おめでとう、前髪クンは作家にジョブチェンジだ!」
「あぁぁぁぁぁぁ!」
前言撤回。両者就職のチームは二つありました。
「先生!」
「せ、せんせぇい……」
実和だけは目を輝かせながら握手を求めてきた。