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真田 優介は緊張していた。時刻は午前零時。つまりは犯人に告げた夜の十二時ジャスト。律儀に制服を着た真田は校門の前で深呼吸をしている。
誘いに乗って来たならば、例の犯人がグラウンドで待っている。そしてその犯人と戦闘に発展する可能性は極めて高い。何故ならば、相手は一般人への不意打ちまでしてでも勝とうと思っている相手なのだから。それを考えてしまうと真田の体は面白いほどに動かなくなった。緊張感で息が詰まりそうになる。息を吐き出そうとすると同時に胃の中身まで吐き出してしまいそうだ。
そんな地獄のような時間を終わらせる決心を固めたきっかけは左手の腕時計だった。デジタル式ではあるが、表示されている時刻は実際よりも少しだけ遅れている。その時計が零時を告げるようにチカッと一瞬だけ光った。時間は守らなければならないという、一応はきちんとした真面目さを持つ真田は流石に呼びつけておいて遅れる事はできないと校門を乗り越え、一歩一歩、確実に足を進める。
校門とグラウンドは近い。だからこそ例の《海坊主》と戦った時も隙を見て逃げる事を前提にグラウンドで立ち向かったのだ。あの時はその距離をメリットとして認識していたが、今回は覚悟を決める時間が短くなってしまうという意味で大きなデメリットとなっていた。
グラウンドに降りる数段の短い階段の前でチラリと前を向く。そうすると腕輪に頼る必要も無く、相手の姿が確認できた。もう逃げられない、そもそも呼び出した段階で逃げる事などできるはずがない。真田は呼び出した側と言う威厳も無くおずおずと声を掛ける。
「そ、その……こんばんは。み、宮村君……」
「おーっす、遅かったじゃん」
片手を挙げて、実に気楽な口振りで応えたのは宮村。不良と呼ばれるクラスメイト、宮村だった。
滅多に学校に来る事はなく、来たとしても話す相手などいないのだろう、ずっと窓の外を見ている。そんな生徒だ。
短い黒い髪がツンツンと跳ねていて活発に見えるその男は、周囲で言われているような不良のイメージとは違って明るく笑っていた。背も高く体格も良い、この姿だけを見ればただのスポーツマンと言った風体だ。もっとも、それはそれで苦手な部類に入るのだが。下は黒いジャージ、上半身は赤いシャツの上から白いパーカーを羽織っているようだ。
「えっと、お、遅れてごめんなさい……ちょっとその、色々と……」
「あー、良いよ良いよ。気にしてねぇし。それよりお前……同じクラスなんだってのは分かるんだけどー……えぇっと? 悪い、名前なんだっけ?」
「あ、ごめんなさい。その、真田 優介、です」
「真田、ね。俺は宮村 暁な、よろしくー」
「よ、よろしくお願いします……」
一応仮にも雌雄を決するために呼び出した相手とこれほどまでに呑気に挨拶を交わす姿も珍しいものだろう。あくまで自分のペースを保ち続ける呼び出された側、そのペースに呑まれて主導権を握れない呼び出した側。そのどちらも間違いなく変わり者だ。
話すのがそもそも苦手な真田の事、一度相手のペースになってしまうと自分の方に引き戻す事は難しい。自分から別の話をする事など迷惑ではないかと思ってしまって、どうにもそれができないのだ。自分で呼んだのだから話を本筋に戻すのは当たり前なのだが、できない。だから話は宮村のペースのままだ。
「真田ってさ、なんつーか……全然印象とか無いわ。目立たないとか言われねぇ?」
「う……」
自分でも目立たないと思っているし、目立たないように生きてきた。が、人からそれを指摘されるのはどうにも納得いかない。そして何より根本的な問題として、目立たないと言ってくるような相手もいない事が胸に刺さる。
「あ、悪い。気にしてた感じか?」
「気にしてるとか、そう言うんじゃ、別に……」
またこうして少し気を遣って謝られる事も精神的に辛い。とてもわがままな事ではあるのだが、真田の心は妙に繊細かつ複雑で、有り体に言えば非常に面倒なのだ。
「ほれ、アレだよ。何か形から目立つ格好とかしてみたらどうだ?」
「形からって……」
「目立つ服とか。えーと……目立つような色! ほら、何だ?」
「色……じゃあ、緑色」
「おお、良いじゃん。目に優しいエコグリーン。でもさ、それ一色って訳にもいかないだろ? じゃあどうする!」
冷静に考えれば緑に何色を合わせるんだという質問だと分かるのだが、ファッションという感覚が致命的なまでに抜けている真田にとって咄嗟にそんな考えが浮かんでくるはずもない。
「じゃ、じゃあ……その、どうでしょう、暗い緑とか明るい緑とかでゴチャゴチャにしてみたら……派手な感じになるんじゃ」
「おおー、なるほど……ん? それって迷彩じゃね?」
「えっ」
「うん、間違いなく迷彩服だわ。それは目立たないために着る物だ、意味ねぇ」
「そ、そんな事を言われたって……急にじゃあどうするなんて言われてもそんな良い感じの事が思い付く訳がないですよ! と言うか、街中で迷彩着てればそれはそれで目立ちます!」
「いやそんな話じゃないだろ! コンクリートジャングルで迷彩服じゃカモフラージュできませんよ的な話をしてるんじゃねぇんだよ!」
もはや完全に本題など頭から抜け落ちていた。真田の方はもちろん、宮村の方も呼び出されていた事すら忘れていただろう。それほどの勢いで二人は言い合っている。間違えてしまった恥ずかしさからか真田も顔を真っ赤にして自然と声が大きくなっていた。
そうしていると突然、宮村が笑い出す。
「ふ……はははははっ! いやぁ、お前ちょっと良い感じなんじゃね? 普通に話してればそこそこ目立ったりすると思うぞ? なんかこう、天然な感じで。もうちょい人と話してみたらどうよ」
(……それができてたら……)
もちろん悪気があって言っているのではないとは分かっている。しかし、そう簡単にそんな事ができはしないと思っている真田にとっては実に安易な言葉だった。真田は人と話せないと言い、宮村は人と話せばと言う。妙に和んでいたが、二人の意識はそもそも前提から異なっているのだ。




