14
三階の窓、一階は工場の作業エリアが天井の高い構造のため通常よりも少し高めだろう。山の中だが建物の周囲はコンクリートでしっかりと固められている。胸を押して、腰を支点に回転気味に落下した。頭部が下になる可能性が高いだろう。つまり、致死率はそれだけ高まるという事だ。
ゆっくりと宮村の方に体を向ける。彼は両腕をダランと下げたまま冷静な表情で深く息を吐き出していた。魔法使いの戦闘において、一度の死はそれほど大層な話ではない。無論、敗れてしまったという意味では大事であるし、実際に死んでしまった側の精神的ショックは分からないがそれなりに大きいだろう。だが、今は集団で戦闘に参加していて落下したのも自分以外の誰かだ。冷静なのも頷ける。
「さて、面と向かって戦えるのは君だけのようだね」
「そうみたいだな。おっちゃん、よくやるよ。いやマジで」
素で感心しているような口振りの宮村ではあるが、そこまで褒められた事ではない。真田は逃走。日下は気絶させただけ。篁とマリアに至ってはろくに姿も見ていない。今もどこかに潜んでいるのか、それともそう思わせながら別の場所に移動している可能性だってある。ちょくちょく行動は起こしているが、今も虎視眈々とタイミングを窺っているかどうかは分からないのだ。
それに、ここまで戦い続けられているのは自分が頑張ったからだけでは決してないのだから。
「一応聞いておくが、宮村君……手を抜いてはいないかい?」
薄笑いと共に問いかける。確かに何度も攻撃を受け、ダウンまでさせられた。しかし、彼の能力はシンプルにして強力。梶谷がどれだけ気を張っていたとしても、複数の敵と戦いながらでは宮村が本気を出して戦っていれば簡単に負けていただろう。それなのに戦い続けられている理由はただ一つ。ここぞという時には攻撃するが、基本的には静観していてくれているためだ。それ以外の理由は考えられない。
告げられて、宮村は少しだけ首を傾げながら困ったように笑う。
「べっつに、手ぇ抜いてたってワケでもねぇけどさ。こっちにも色々と事情ってのがあんだよ。本気って言ったって、その時々なりの本気ってーの? そーゆーのもあるだろ?」
などと嘯いてみせる宮村に警戒心を強める。しかし――
「っ!?」
まるで脳天から魂が抜けて行ってしまったかのような感覚だった。訳も分からないまま意識がどこかに飛んでしまいそうになる。何も分からない、考える事すら出来そうにない。足から力が抜けて、床に強かに両膝を打ち付け、幸か不幸か、その痛みで意識を何とか繋ぎとめた。
「ほら、俺ってまだ正面向いててくんないと上手く当てらんないしさ」
目尻に浮かんだ涙を拭う余裕すら無いまま宮村を見ると、そのような事を言いながら笑っていた。何をしたというのか。いや、分かる。けれど同時に、分からない。彼は何の構えもとっていない。ボクシング的なノーガードではない、もっとナチュラルな立ち姿。そこから殴りつけようというのならばそれは断じてボクシングではない、喧嘩だ。
今になって攻撃を受けたらしい場所に痛みが走り出した。膝よりも後に痛みを感じるとは、どこまで状況を理解できていないのか。痛むのは顎だ。顎を殴りつけられた。確かにそれならば意識が飛びそうになるのも理解できる。脳が揺らされた。
ただ、顎に風弾を命中させたという単純な話ではない。間違いない、衝撃はほとんど間を空けずに二度訪れた。顎を左右から一発ずつ、まるで脳の揺れを大きくするように。
(冗談じゃない……確かに止まってはいたが、だからと言って当てられるはずがない! 油断していた訳でもないのに目にも見えない速さで、これほど正確に!)
チームを離れていた梶谷は知らない、宮村が行なっていた特訓の事を。彼は特訓に特訓を重ね、着実にコントロールを向上させていた。彼の頭の中にぼんやりと存在していたのはこのイメージだ。特訓と、そして実戦での試しを経て、ついに状況こそ選ぶものの実用性のある技として身に着ける事が出来たのだ。
動き続ける竹刀の先革にまで命中させる事が出来ればそれは文句のつけようもないほど見事な完成であるが、それは流石に難しすぎる。だからスピードを上げた。敵もずっと動き続ける事など出来やしない。止まっていれば確実に当てられるように、まるで遠くから直接殴っているかのような速度で相手に届くように。一瞬のチャンスを逃さないように、パンチを放つ際の体勢を選ばないようにした。ボクシングスタイルに得るものは多かったし基本的には今後も続けていくつもりであるが、やはり型にはまりすぎるよりも自由な方が宮村としては好みだった。
少し話を戻そう。真田と篁の才能が似ているけれど少し違うという事について。人を使うという言葉は同じでもアプローチの仕方はまるで違う。真田は人を頼り、篁は文字通りに人を使う。これを少し言い換えると、真田の操るチームはまさしくチーム。個の集合体だ。それぞれが一定以上の裁量権を有し、無事に可能ならば逃げる事すら自由。
それに対し、篁の操るチームはチームと言う名前の一つの生物である。こちらにも個々に裁量権はあるのだろうが、明らかにそれは決して大きくはない。宮村が自由に戦えていないような事を言っていたのがその証拠だ。しかしながら、だからこそ一体感が強い。真田の元で戦う際はそれぞれがある程度の自由を保障された中で連係を成立させるが、篁の元ではその連係は一つのシステムと化する。自由度が低い代わりに複雑な連係もスムーズだ。さながら、咀嚼する時に口の中では舌やら何やらが忙しなく動いているように。
二人のカラーの違いは梶谷も感じ取り、そして篁の指揮は完全にトップダウン型だろうと考えていた。梶谷と篁、二人とも生まれが良い。根本的に人の上に立つ、立てる人間として育ってきたからだ。だからこそ、一つの生物と化したチームのメンバーを一人一人排除すれば、手足を引き千切るが如く弱体化するだろうと思った。しかし、それは完全なる思い違いであった。
ボクサーチームなどと呼ばれる事もある魔法使い達。その先頭に立つのは(本人は不服らしいが)名前の通り、ボクサーこと宮村 暁。チームを支えるのは真田が主であるが、表舞台では宮村の出番がどうしても多くなる。チームのリーダーと言っても良いのかもしれない。そんな彼が、最後の番人として立ち塞がる。
そもそも梶谷は宮村の力を高く評価していた。能力を知らなかった荒木を除けばチームの中で最も脅威度の高い存在だ。そんなただでさえ高かった脅威度を、ここにきてさらに引き上げる事となるとは。ボクシングスタイルを捨てる事によって攻撃の軌道と連携はより一層読みにくくなった。そして、正面切って戦えば一瞬にして相手を昏倒させる力も得た。チームの先頭に立ち、リーダーとも呼べる男は、逆にとんでもなく高い殿の適性を身に着けたのである。
「よう、おっちゃん大丈夫か? まだ立てるってんなら相手するぜ?」
手の平と拳を何度か打ち付けて乾いた音を立てながら、彼はそんなことを言った。余裕たっぷりの上から目線、どちらかと問われたら当然だが気に入らない。しかし、今の彼はそのような態度をとるに相応しい存在となってしまっていた。
どれだけチームの力を削いだとしても、最後にその一人が残れば新たな強力な生物として息を吹き返す。
宮村 暁という男は、一対一の戦いにおいては最強クラスの魔法使いとなっていた。