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素早く立ち上がらなければならない、そう思ったが、恐れた追撃は無かった。これだけボロボロにしておいて、そこに追撃を重ねて徹底的に殺してやろうというつもりは無いらしい。その判断について思うところはあるが、単純にありがたい。
二人を視界に入れられるよう自然と距離を取りながらゆっくりと起き上がって、腹部に手を添える。普通、物が刺さったままの傷はそれを抜かないのがセオリーだ。それは決して普通ではない魔法使いでも同じ。安易に刺さったペンを抜いてはいけない、刺さったままで回復を始めるのだ。負傷の回復をしようという状況ではなかなか気付きにくいが、集中してみれば傷が塞がっていくのを感じる事ができる。そして塞がろうとしている傷が何かによって止められた事にも。ペンを抜き取るのはこのタイミング。待ちかねたようにすぐさま塞がる傷、これが最も出血を少なくする事ができる方法である。安易に対処すると死に繋がり、簡単に量を増やす事もできない血液の管理は魔法使いにとって非常に重要なのだ。すぐに治療はできるが、僅か一滴であろうと流す量は少ない方が良いに決まっている。その一滴は、時に勝敗を左右する。
(状況変わらず、か……)
立っているのは荒木と宮村の二人だけ。日下が復帰したり真田が参戦したり、篁が最前線にやって来ていたりマリアが仁王立ちしている訳でももちろんない。新たに考える事も生まれた綻びも無い、ただひたすら先程やり込められた状況が続いている。
「よう、おっちゃん。そろそろ疲れてギブアップなんじゃねぇの?」
「いやぁまだまだ、私は体力には自信があるんだよ」
もちろん本当にそこまで自信がある訳ではない。バレバレでも弱みを見せない、大切な事だ。仮に本当に体力に自信があったとしてもそれは若者とは比ぶべくもない。根本的な何かが違っている、過信せずに自信は無いくらいに思っておいた方が賢明である。
「そんじゃま、遠慮なくガンガンいかせてもらう……ぜっ!」
宮村が右の拳を真っ直ぐに打ち込んだ。捻りも何も無いが、故に素早く強い。ある程度は無視しても構わないつもりではあったが、これを受けるのは流石に痛い。速いとは言っても避けられるレベル、問題なく回避しつつ視線はすかさず荒木の方へ。すると彼は素早く脱いだ上着を投げつけてくる。この動作はもう既に見た、直後に何が起こるのかもハッキリと分かっている。
予想通り、上着は視界を遮るようにしながら空中で静止。真田と戦った時も事前に上着に触れてあったという訳だ。こうなったら邪魔だからと薙ぎ払う事もできない、何が起こっても良いように身構えるだけだ。その時、何となく背中の方で何かがふわりと軽くなって浮き上がったような感覚が走る。梶谷は魔力を感知する力が比較的強い。戦闘中は基本的にそのような余裕を持ってはいないが、状況が厳しくなってくると話は別だ。そうなればなるほど研ぎ澄まされる。攻撃をしようとしている、そんな気配、魔力の高まり。発生源は上着の向こう側。その位置から荒木には何も出来ない。見たところ、彼のバックボーンにあるのは空手だ。空手の技には間合いを詰めながら放つ追い突きというものがあるが、それにしても少し距離がある。だからこの距離で攻撃をしようとは考えない。それなのに攻撃をしようとするならば、答えは一つ。
(宮村 暁、そこか!)
両腕を顔の左右に置いて防御の姿勢をとる。無論、腹にも気合を込めるのを忘れない。どこに攻撃されてもある程度は我慢できる。衝撃を受けたのは腕の方、つまり狙われたのは顔面だ。分かりやすく決めにくる男である。もう少しボディを狙うなり一人でも色々な方法を選べた方がより高みへ至れるだろう。そう、一人でも。他に仲間がいる今は他の誰かがそれを為す。
(そこには居ない、ならばこっちに!)
上着の向こう側に居るのは宮村だ。マリアによって運ばれたのだろう。そこに居るはずのない人間が居る。それならば、そこに確実に居たはずの人間は居なくなっているという事だ。そして、その人間が別の場所から現れたとして、その場所はどこが最も面白く驚きがあるかと言えば当然それは背後に決まっている。
一瞬よりも長い時間を停止していた上着が再び動き始め、宮村の姿を覆い隠せなくなってきたのとほぼ同じタイミングで後ろに振り返ろうとする。恐らくは荒木の方も攻撃という形にしたかっただろうが、反応の速さは想定外だったようだ。背中を勢いよく張る程度に留まった。もちろん痛いは痛いが、背骨までまるでデモンストレーションで使われたバットのように真っ二つにされていたかもしれないと思えばお得なもの。
(よし、耐えろ!)
全身に力を入れる。自分の体を圧縮して、極限まで密度を高めるような、そんなイメージを頭の中で描く。どんな衝撃があってもその全てを受け止めてなお立ち続けていられるような強靭な自分のイメージ。ただの想像妄想でも有るのと無いのとではこれがまた意外と変わってくる。しかし、全身に入れた力はもちろん、イメージが現実の結果に影響を及ぼせたとして、それほどまでの集中を維持し続けられる時間はそう長くないだろう。長くてもほんの数秒。全身の筋肉を硬直させているから動けもしない。つまり、今やっているのは自らを動けなくした上で僅かな間しか持続しない、その代わりにとにかく強固な防御という訳だ。普通に考えて、リアルタイムで進行し続ける戦闘中に出来るような技ではない。
戦闘中に相手が攻撃するタイミングを完璧に読み切る事が出来るか? 完全に動きを止める覚悟はあるか?
答えは出来るし、ある。そもそも動けない状態にあるならばジタバタせず真っ直ぐに覚悟を決める事が出来る、決めるしかない。そしてタイミングは――
「ゲッ、マジか! 全然効いてねぇのかよ!」
気が付けば、やはり顔に強い衝撃を受けていた。どうやらまた一瞬止まっていたようだ。正直に言えばとんでもなく痛い、人の目が無ければ涙すら浮かべていたかもしれない。だが、今は僅かほども問題にならない。何故なら、タイミングを完璧に読み切っていたから。
考えるまでもなく、宮村と荒木は即席のチームだ。それが何を意味するのかと言うと、高度な連携を取るのは不可能であると言う事。荒木の能力はとても強力。上手く使って宮村が攻撃を合わせられたら梶谷など歯牙にもかけずとっくに簡単に倒せてしまっているだろう。だが、それは出来ない。荒木が時間を凍結させるタイミングは宮村には分からない。そして分かりやすく合図などしようものなら梶谷にもバレてしまう。組んだ時間の浅さ故に無言での連携は不可能。
あらゆる要素を合わせて考えてみれば話は簡単。荒木が梶谷に対して時間凍結を行なうのは触れた直後に限定される。それが分かってみれば、現状のこの二人に対してならば渡り合う事は充分に可能。