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「この先、作業エリアでしたよね」
「ええ。この建物最大の前世の名残と仰っていました。機械類は一切合切運び出されてあるだだっ広い空間です。カメラは設置してありますが、配置の都合で一部に死角が生まれているパターンですね。真っ直ぐに通り抜ければ問題はありませんが、カメラが最初から存在しているので増設されているかどうか判断するには正確に記憶している必要があります」
「どうせならもっと分かりやすいルートを作ってくれたら良かったのに……」
どれだけ頑張っても安全の確保が完全に出来る訳でもない場所のために苦労を強いられるとは。実際にその目で現場を見た荒木の記憶には問題ない。真田も図面でしか見ていないが記憶力の問題なら大丈夫だ。肝心なのは先頭を走る事となるマリアなのだが、様子を見てみれば扉の前に立って鼻息荒く拳を握り締めている。やる気満々な辺り、ここが大変な所というのは分かっているのだろう。気合が満ち満ちている事と、疲れもあるのか額には玉の汗が浮かんでいる。
「……暑いですね」
「そうですか? まあ、室温は高めですかね……マリアちゃん、暑い?」
マリアの方へと近付き、ポケットから取り出したハンカチで彼女の額の汗を拭いてあげる流れで自然に問い掛ける。するとマリアは赤い顔を向けながら非常に高いテンションでこのように返してきた。
「あったりまえでしょ! マリアは燃えてるんだから!」
(また分かりにくいリアクションを……でも、気分だけでここまで汗はかかないか。暖房ガンガン効かせてる……時期としてはまだ早いけど、梶谷さんもお歳だし、夜の涼しさが堪えるという事もあるかもしれない。もちろん企みがあるのかもしれない。主導権握られてるの面倒だなあ!)
高温に対して鈍感な真田もとりあえず室温が高くなっている事は認識した。実際に内部の温度は立っているだけでも汗が滲むほど高くなっている。理由もなくこのような事はしないだろうが、その理由というのが作戦なのか否かの判断がつかないのは困ったところだ。言ってしまえば、現段階では考えるだけ無駄というものなのである。心の中にモヤモヤを残しながら進まなければならないので非常に気分が悪い。でもどうしようもないのだから仕方がない。ジレンマ。
「と、とにかく、先に進みましょう。マリアちゃん、この先は気を付けて。カメラが三台以上見付かったり高くて跳んでも届かない時は戻ってくること、良いね?」
「まかせなさい!」
「では……また開けますよ」
荒木が静かに言ったのをキッカケに三人が配置についた。作業エリアと隔てるのは両側に開く自動ドア、しかし今は機能を停止していて手動で開けなくてはならない。最初と同じように貼り付くようにして立つ。真田は一人、もう一方のドアの方にはマリアと荒木が。今回はマリアの体の小ささを活かし、真田と荒木が二人で互いに少しだけドアを開け、その隙間から飛び込んでもらうという寸法である。完全に開かない事によって真田と荒木の姿は障害物に隠される。
「じゃあ……3カウント、0で作戦開始です」
荒木が無言で頷きを返す。二人がドアの真ん中の隙間に指を掛け、呼吸を整えた。緊張が走る。この先は広く、そして天井も高い。イレギュラーな状況に陥る事もあり得る。手出しのしようも無ければ、最悪の場合は宮村をここまで呼び出してカメラを破壊する事も考えなければならない。今は出来るだけ派手に暴れ回りたくはない。自分達の力だけで対処できる事を願うばかりだ。
「――では、カウントいきます。3、2、1……0!」
二人の腕に力がこもった。大きくて重い扉、しかし今ならばその程度は物ともしない。子供が一人通り抜けられるサイズの幅を両側から二人がかりで開けるのならば一瞬だ。
満足な幅が生まれた瞬間、マリアがドアの影から飛び出して中に入り込む。二人はそこで手を止めて影と一体化した。息を潜めて、微かな音でも聞き逃さないようにして、中の状況にすぐ対応できるよう準備するのだ。
カメラ封じの方法は事前にある程度は固めてある。荒木、真田、篁の三人が見取り図を睨みながら考えた『カメラ増設の可能性が高いポイント』をマリアに覚え込ませ、現地に入ったマリアがそのポイントを中心に映り込まないスピードで走り回ってカメラを探す。見付けた数が二つ以内の場合は布を被せて待機している二人に数を伝える。すると二人も突入して前述の連携でカメラを止める。
三つ以上、あるいはカメラに手が届かないなどの場合はそのまま二人が待機している確保された安全圏に戻ってその事を伝える。後はその場の状況に応じて対処法を考える。その辺りが『ある程度』しか固まっていない原因なのだが、相手の腹の中に入らなければならない以上は仕方のない事だと諦めるしかない。
戻って来るのか、それとも数を知らせる声が聞こえてくるのか。ある程度とはいえ固まっているのだから考えられるのはそのどちらかしかない。しかし、実際に起こったのはそのどちらとも違う第三の現象。
「あれ?」
タンッという軽い音と共に中から聞こえてくる声。中の様子を覗き込んではいないのでよく分からないが、聞こえてきた内容から察するに、何かに疑問を抱いて足を止めたのだろう。何が起こったのか、視線を交わす真田と荒木に向かってマリアが声を掛ける。
「ねえねえ、ちょっときて? なんかヘン、アレ」
視線を交錯させたまま三秒ほど悩んだ挙句、二人は諦めたように息を吐いてドアをさらに開き作業エリアへと足を踏み入れた。すぐそこにマリアが立っていて、体を反らさんばかりの勢いで上の方を見ている。同じように視線を上げると、そこには記憶の中の見取り図には存在していないカメラが。「結構高いトコにあるなぁ」などと独りごちた真田であったが、何となく違和感を覚えた。それこそ、自分が突入していたら足を止めていたかもしれないと思うほどに。
「何か変……ですね、確かに」
「ええ、そう思います」
何が変なのかはイマイチよく分からない。何となくの感覚で言えば、そのカメラはおかしな話ではあるがどこか素っ気ないように思えたのだ。現代の技術で機械に対して素っ気ないも何もあったものではないが、そう感じたのだからそうだとしか言いようがない。
「…………あ、そうか。アレ、こっちを見てないんだ」
どうして素っ気ないのか。機械ではなく人だと思って考えてみれば答えは割とすぐに分かった。カメラというものは映したいものに向ける物だ。この場合は侵入者、即ち真田達である。だからこれまでは真田達が映るようにとカメラを仕掛けられていた。だからそこに違和感は無い。しかし、ここに存在する増設されたカメラは真田の事を見ようともしていないのである。
ならば何を見詰めているのかと視線を降ろしてみると、そこには何ともリアクションに困る物が……
「な……ん、でしょうね、アレ……や、分かりますけど」
「前に来た時にはありませんでしたね……」
荒木もまた目を丸くしている。表情に乏しい彼にしては珍しい事だ。それだけ牛義な光景がそこにはあった。
冷蔵庫だ。古い小型の物。それが四台。
「あの人、そんなガッチリここに住んでるんですかね……」
もちろんそんなはずがない。ここからあまり出ない以上はある程度の備蓄であるとか施設は必要だろうが、それにしても一人暮らしも一人暮らしのようなサイズ感の古い冷蔵庫を四台、ビシッとくっ付けて置いておく必要は絶対にない。数が多いし、四台分の容量が欲しいなら大きなサイズの物を用意すれば良い。どの面を見てもメリットが無い、まったく意味の分からない采配なのである。
そんな謎の冷蔵庫をカメラが睨んでいる。シュールな光景である。カメラで撮影されているという事は、一般的には冷蔵庫に誰誰が近付いたか分かるようになっている、真田達からすれば冷蔵庫には近付けなくなっているという事だ。それだけの価値があの冷蔵庫には眠っているのか、それともただのブラフなのか。どちらにせよ確かめる術は無い。マリアなら近付けるだろうが、冷蔵庫を開けるにはどうしても止まる、そうでなくともスピードを落とす必要性が生じてしまう。この場は記憶の片隅にでも置いて無視するしかないのである。
「……行きますか?」
「そうしましょう」
「え? え? いっちゃうの? アレ、いいの?」
どうも気になる物をスルーしてしまうのは後ろ髪を引かれる思いのようだ。気持ちは分からないでもないが、ここは心を鬼にしてさっさと進むべきところ。