表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
暁降ちを望む  作者: コウ
山が動いた日
26/333

 そうこうしている間に、やはり誰も指名される事もなく授業も終わり、一限と二限の間の休憩時間。無事に宿題を終わらせた真田は新たな危機に陥っていた。即ち、雪野への提出である。

 休憩時間は十分間。この時間は次の授業の準備をして過ごすべきとされる時間だ。少し視線を向けてみると、それを忠実に守って雪野は自席に着いている。席から離れていてさえくれたならばノートを机の上に置いて立ち去るという事もできたのだが、この状況ではそうもいかない。そして厳しい彼女の事だ、一度来た以上は二度と回収には来ないだろう。


 昼までは残り三時間。休憩は二回。それまでは移動教室なども無く、恐らく雪野はその二回の休憩もしっかりと授業の準備をして席に座っているだろう。

 つまり真田はノートを手に立ち上がり、教室を真っ二つに切るほどの距離を歩き、声を掛け、提出しなければならない。


 真田が休憩時間に立ち上がる。それはもはや山が動く事に等しい。真田が自分から人に話し掛ける。それはもはや犬が唐突に流暢な人語を話し始める事に等しい。

 もちろん真田が立ち上がっても山は動かないし、真田が人に話し掛けても犬が喋るのは親バカな飼い主の前だけだ。あくまでイメージの話。


 つまり何が言いたいのかと言うと、大いに目立つ。


 もちろんそれは普段あまりに動かないためであって自業自得なのだが、やはり目立ちたくはない。しかしそんな時、一心不乱に目立たないようにする方法を考えていた真田の脳裏に一つの考えが浮かんできた。


(いや、これはチャンスなんじゃ……ノートを渡しに行った事をちゃんとアピールすれば。用事があれば僕は普通に動くし話し掛ける、そんなイメージを植え付けるチャンスかもしれない!)


 決して動かないし話し掛けない人間、用事さえあれば動くし話し掛ける人間。この両者のイメージは圧倒的に違う。そしてそのイメージの差は今後真田が話し掛ける事を容易にし、変わっていくための布石にもなるのだ。この残りおよそ八分間の行動によって今後の人生が左右される。そんな天下分け目の合戦場だった。


(よし、やるしかない……行こう、やろう、覚悟を決めろ、なるようになる……)


 ある意味で、戦っている時よりも遥かに強い覚悟を持って真田は立ち上がる。頭の中には異様に早く高鳴る鼓動の音と《不可能な任務》と言ったような意味のタイトルである映画のテーマ曲が大音量で鳴り響く。休憩時間にクラスメイトに話し掛ける、ただそれだけの行為をこれほどまでに悲壮な決意で行なう人間もそうはいないだろう。


 ノートを手に取り歩き出す。真田の席は廊下側の一番後ろ、雪野の席は窓際の一番前。教室の対角線上を真っ直ぐに歩く事となる。とは言えそんな席と人の間をすり抜けるような行動は目立ちすぎるためにできるはずもなく、真田はまず教卓へと向かい、その後ろをコッソリと歩いて接近を果たした。


「あ、えっと、えーと……ノートを……」


 雪野の席の前に立った時に口から出てきた言葉は心の中での決意とは裏腹にどうしようもないほどに弱々しいものだった。言葉を発する前の声出しの甲斐も無く微かに裏返る。いざという時には緊張のせいでこうなってしまう、これは真田が人と話したがらない理由の一つである。

 しかし、雪野はそんな声を気にした様子も無く顔を上げて返事を返してきた。


「ああ、ありがとう。何だかやってなかった割にはちょっと早い気がするけど……まぁ、それは気のせいって事にしておくわ」


 そう言って雪野は笑った。真面目ではあるが案外融通は利く。彼女がクラスの纏め役を任されているのもこういった所が慕われての事なのだろうと分かる。


 このまま立ち去るのは簡単だし望む所ではあった。しかし、それではいけないと頭の片隅で誰かに、恐らくは自分の中の天使的な存在に言われているような気がする。そんな事では変わる事など不可能であるし、普通に接してくれた彼女に対してもそれはあまりに失礼だと感じる。


 ノートを差し出している間、視線はいつも通りに下げられて机の上に落とされていた。瞼に力を入れてみるとピクピクと動く。そうしてから、ゆっくりとではあったが真田の視線は上がり、彼女の目を見た。笑っている。馬鹿にする様子ではなく、至って自然だった。細いメガネのフレームは薄い赤色。眉は細く目はアーモンド型、鼻はあまり高くなく、日本人的な美人であると顔を見て改めて理解した。

 人と接する時には顔を、目を見るべきだと今になってようやく分からされる。それだけ得られる情報量が段違いなのだ。


 得難い経験に少しばかり感動を覚えたが、そうやってずっと目を見ている訳にもいかない。会話の間を空け過ぎるのは不自然であるし、そこからの続行が難しくなる。そうして真田は口を開いた。頭の中には昨日の麻生との会話が浮かぶ。あの時のように会話ができればまだ自然になるはずだと思って声を出すのであった。


「――えっと、出すの……その、遅くなってごめんなさい」


 まさかあの真田と会話が続くとは思わなかったのだろう、雪野が驚いて目を開きつつも返事をする。


「別に良いわよ、私はお昼まで待って持って行くだけだから。遅くなって困るのは真田君だけ」

「あ、でも、教えてくれてありがとうございました。その、忘れてましたから……」

「ちゃんと提出してくれるなら、私も催促した甲斐があったわ。でも次からは忘れずに提出する事。次からは催促しないかもしれないからね? それに、ちゃんとやって来ていれば答えを丸写ししなくても済むわよ」

「いえ、丸写しじゃなくて何問か間違えてみました」

「あのねぇ、問題はそこじゃないの! もう……やっぱり変な人ね、真田君って」


 自然だった。時々、言葉に詰まるような事はあったが、基本的には非常に自然なクラスメイトとの会話が繰り広げられたと真田は自画自賛したい気分だった。よもや自分がクラスメイトと会話をして笑い合うような日が来るとは思ってもいなかったのだ。


「べ、別に変って事はないと思いますけど……基本的には凄く普通の人間のつもりでやってます」

「真田君が普通なら、私なんか地味で地味で居るかどうかも分からなくなるわ」


 結局の所、自分が普通の高校生だと思っているのは真田だけなのだ。客観的に見ると真田 優介と言う人間はかなりの変わり者だ。この時の真田は知るはずも無かったが、彼の目立たないようにとする行動はそのほとんど裏目だ。


「そんな事はないと思うんですけど……」

「そんな事あるの。……ふふっ、でもちゃんと話してみないと人ってよく分からないものね、思ってたのとはちょっと違ったわ」

「どんな風に思ってたのかは知らないですけど、僕はこんなもんですよ。ナチュラルフェイス、ナチュラルウェイト、ナチュラルトークですよ。……嘘ですけど」

「何で私、嘘つかれたのかしら……」

「ナチュラルトークができるようなら苦労しませんよ。ハンドメイドです」

「すっごい自信満々に言われたわ。と言うか、ハンド……? 手製……あ、まさか人工って言いたいの?」

「よく分かりましたね」

「はぁ……真田君の言葉は分かりにくいわ。今後はできればアーティフィシャルでお願い」


 口が回ってきた。最初に比べれば段違いでスムーズに言葉が出るようになってきている。声が裏返る事も無ければ、詰まる事も無くなってきた。これこそ本当の自然な会話だ。

 話す事ができる相手にはとても饒舌になる。他者とのコミュニケーションを苦手とする人間にはある事らしいが、真田ほど拗らせた人間にもきちんとそれは当てはまるらしい。


 可能ならばこのまま会話を続けられたら、そうは思っても時間は無限大にあるのではない。ただでさえ短い休憩時間だ。普段は長く感じる事もあるのだが、こうして話していると瞬く間にその時間は過ぎ去っていく。これが相対性理論と言うものなのだろうか。よく分からない。


「もうすぐチャイムが鳴りそうね。真田君も席についておいた方が良いわ」

「そう、ですね……そうします。ありがとうございました」

「うん。またお喋りしましょ」


 そう言うと彼女は真田の腕をポンと叩いて微笑む。その顔を見ているとどうも先程までのようには返せず「う、お、う……はい」などと言葉を詰まらせるばかりだ。せかせかと足早にその場を離れる。誰にも見えないように俯いたその顔は長い前髪の隙間からでも分かりそうなほどに真っ赤に染まっていた。


 時間にするとたったの数分程度。たったそれだけの時間でしかなかったが、その短い会話が非日常に彩られて疲弊していた真田の心を癒した。その後はもう、この日の真田は上機嫌だ。あまり表情は顔に出さないが、頭の中では陽気な明るい音楽が鳴り響き続け、気分が良いので授業を真面目に聞いてやろうと、何故か妙に上からの目線で思った。


 腕輪を手にして、魔法を使って戦って。人生が妙な方向に大きく変わったと思っていた真田は今日ようやく、人間として自分が少しだけでも変われているのだと確信した。


 この日、真田は日が高い内に真っ直ぐ家へと帰り、それから一切の外出をしなかった。

 理由は単純。少なくとも今日だけは魔法などというものに関わる事無く平穏無事な一日を過ごしたかったからだ。悪くない気分のまま、魔法の事を少しだけ忘れて休む日が欲しかった。


(今日は……なんか、楽しかったなぁ……)


 普段は夜遅くまで起きている真田だが、この日は日付が変わった直後にベッドに入った。何かと考える癖のある真田の事。電気を消して目を閉じるとやはりさまざまな事が思い浮かぶのだが、今日はもっぱら平穏無事だった生活の事、そして雪野との会話の事が浮かんでくる。


(僕も、頑張れば結構ちゃんと人と話せるじゃん。凄い凄い)


 これまではクラスメイトとの会話と言えばお互いにスマッシュを打ち合っているような、そんな用件メインのものだった。しかし今回は違う。用件から入ったものの、他愛もない会話もできた。ラリーを繋げられたのだ。

 会話の内容を思い出せば雪野の顔も思い出される。そうすると、自然と顔はニヤけてくるし、何故か少し心臓の鼓動が速くなる。


 真田 優介は人と関わらない。女性に対しての免疫だってもちろん、あるはずがなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ