3
「……戦いにくい」
夫人の病室を素早く抜け出て、夕と別れて降りてきたロビー。話を聞いていたメンバーと合流を果たした直後に、宮村は疲れ切ったような様子でそんな事を呟いたのだった。
「何だよテメェ、話聞いてやる気なくなっちまったってのか?」
「でも宮村君の気持ちは分かるわ……辛すぎる、こんなの」
鴨井も聞いた話には少し思う所があったのかもしれない、時間があったとはいえこのような場所まで付いて来るようになるほど丸くなっていた近頃が嘘のように苛立っている。首を振りながら言う雪野に至っては少し目が赤くなっている。救われる存在と救われない存在、その座を賭けて傷付け合わなくてはならないという事実は、戦闘には参加せず外から見ている彼女の方がむしろ苦しくなってしまうのかもしれない。
「戦う理由はそれぞれだが、理由の大きさは一定以上という点で等しい。どれだけ高潔でも、どれだけ低俗でも、我らは誰もが他の相手を押し退ける覚悟を持っている、持っていなくてはならない。覚悟が半端では倒れた者達に申し訳ないからだ」
気取った様子で言う和樹だが、言っているその内容自体は事は正しい。真田は他の魔法使いに胸を張れるような願いではないと言えるだろう。
「なんかよくわかんないけど……ゆーすけはどうするの? よくわかんないから、マリアは優介と祈ちゃんについてく」
「僕? ううん……僕はまあ、最初から決まってるんだけど……」
胸を張れる願いではない、だからこそ逆に強く願い覚悟を決める。不意に考える時があるのだ、例えば鴨井のようなこれまで戦ってきた、倒した相手も願いを持っているから魔法を使えたのだと。ならばせめて、覚悟だけでも決まっていなければ踏みにじってきた全てに対して失礼というもの。真田の答えは最初から決まっているのだ。
意思の決定を委ねられるのは真田ではない。決定する権利を持つのはあと、この場においては二人だけ。いや、片方はそもそも乗り気だった事を考えれば残りは一人だけだ。多数決ならば既に決まっているが、少なくともこの場においてだけでも全会一致でなければ満足に戦う事など出来るはずがない。
「……あたしらがここに来たのは優介クンの答え合わせのため。で、ここに居て夕君に折り紙を教えたのはおば様だった、見事に正解。……で? その先に何か見付けるつもりだと思ってたけど、何か考えてる事はあるの?」
「あ、そうか。考えてみりゃおっちゃんと戦って倒すのにここに来る必要ってねぇじゃん。え、じゃあ何で来たんだよ。無駄に戦いにくくなっただけじゃねぇかっ」
「戦いにくいですか? ならそれはそれで良いと思います」
事も無げに真田が言ってのければ、宮村も篁も「はあ?」と声を合わせる。
「その先も何も、僕がここに来た目的は完遂しましたよ。宮村君、言ってましたよね? 理由があるはずだって、何を考えてるのか知りたいって」
「あ? あ、ああ……言ったな、確かに」
真田と宮村が仲直りを果たした時の出来事だ。宮村が変わらず特訓を続けていた理由、それは梶谷の真意を確かめたいがため。そのためには戦う事も辞さない構えであった。
「あの時はブッ飛ばしてから聞けば良いとか何とか言ってましたけど、それじゃ駄目です。与えられた答えだと信じない言い訳に使えちゃいますから。自分達で考えて見付けた答えだから意味があるんですよ。で、結果として理由は明らかになって、戦いにくいと素直に感じた。それはそれで良いと思いますよ、僕は」
考える事、自分で答えを出す事。真田はそこにこだわりを持っている。もっとも、怠惰にこなす問題集などはその限りではないが。大切な事は考えて、分からなければもっと考えて自ら答えを出すべきである。自分の目で見たものだけを信じるというスタンスに近いだろう。自分で出した答えと与えられた答えが重なった時、それは『限りなく絶対に近い真実』に昇華される。自分を信じない、人もあまり信じない。だから真田は、信じられない二つを擦り合わせる事で信じられるものを見付け出す。
「なるほどね……まあ確かに、とりあえず倒せば良い敵とは違うから、理由を先に知っておくのは良いね。で、それに対するリアクションは自由……戦いにくいってのは、あたしも同じ事を思わないでもないし。けど、戦いにくいとか言ってるけど暁クンはどうするのか決めてるんでしょう?じゃなきゃ、あんなこと言わない」
スッと細められた篁の視線に射抜かれて、宮村は首を竦める。静子夫人の病室を出る前に、彼は確かに言ったのだ。
『もう少ししたら見舞いに来させます、絶対に。待っといてください』
などと、腹を決めたような真っ直ぐな視線を向けながら。確かに言い切った。夫人はそれに対して笑ってみせるだけで言葉は返してこなかったが。
「……どう思うか聞かれて、俺は駄目だと思った。それじゃ駄目だって。多分、おっちゃんが来なくなって不安なのもあるんだよ、一年も戦い続けられてるのに治るって信じ切れてないのは。だから俺は引っ張ってくる。どんだけ戦いにくくても。勝ち負けも腕輪の有る無しも結果は分かんねぇけど、とにかく分からせて、無理にでも連れてくるって決めたのは間違いねぇ」
実の所、宮村が梶谷と戦う必要性は一切存在していない。考えてみれば当然の事であるが、ここで戦いにくいからと言って梶谷を放置したとしても宮村には少しも不都合が無いのだ。無視し続けていれば真田達が宮村抜きでどうにかしてくれるかもしれない、相手の方から焦れて出て来てくれるかもしれない。もちろん梶谷を倒す事が出来れば戦いの終わりには近付くのだろうが、一人倒して近付く程度ならば取り返すのは容易だ。
宮村本人は自分のメリットの無さをもしかすると気付いていないのかもしれない。だが、それで良い。目覚める彼の精神性。メリットもデメリットも気にしない、それどころか損得を考えようという発想すら浮かばない。ただ単純に静子夫人と梶谷の事だけを考えて動こうとしている。愚直、愚かなまでに真っ直ぐという言葉がその姿にはよく似合う。最大限に良く表現すれば、それはまさにスーパーヒーローの精神。
「戦いにくかろうが何だろうが、俺の考えは変わってねぇ。俺はおっちゃんをブッ飛ばしてやる。でも俺だけじゃ駄目だ、おっちゃんにムカつく思いをさせられた俺ら全員でやって、そんで首根っこ引っ掴んで病院まで連れて来てやる。だから……手ぇ貸してくれ!」
勢いよく頭を下げる宮村。最初は戦おうとする真田に手を貸すというスタンスであったはずの彼であるが、こうして事情を知ってからは話がガラッと変わった。彼自身が何としてでも戦いたい、そんな主体的な考えに変化したのだ。
頼み込む宮村にチラリと視線を交わし合う一同。そんな中でかなり高度を下げた宮村の肩に手を置きながら最初に返答をしたのは、妙に不敵に笑うマリアであった。
「んっふっふ……いい態度じゃない、おっきいの。そーやってシュショーな態度で言うなら? マリアがてつだってあげるわ! ……おじいちゃんに凍らされたの冷たかったし」
彼女は彼女なりにちょっとした恨みもあるらしい。一応昔からの知り合いであるはずだが、年齢的な事もあって篁と比べると圧倒的に思い入れというものが薄い。普段は大きな体で見下ろしている宮村が頭を下げている様が随分と快感なのだろう。どうしようもないほどに調子に乗っているが、何となく微笑ましい。
「私達は戦えないから安請け合いになっちゃうけど……協力させて。せめてちゃんとお見舞いには行ってくれないと酷いわ」
「言っとくが、手なんか貸さねぇぞ。俺はなぁ、そこのガキと同じで、凍らせやがったのがムカつくから憂さ晴らしをするんだよ」
「――なんて、協力してくれるみたいだね。あたしはもちろん、最初からやる気満々。戦いにくいとは思うけど、やる気なら余計に増してる」
「あ、言っておくが、ボクは協力などしないぞ! ボク達には義の心というものがある。だが覚えておけ、宮村 暁! キミ達を倒すのはこのボク達の使命であるという事を!」
「はは……ありがとな、なんかマジで」
若干二名ほど分かりにくい点はあったが、どうやらみんな宮村を応援してくれようとしているようである。まだ他にもメンバーは居るが、このような話ならば拒否しようとはしないだろう。ほぼ全会一致と言って良い状況。
ただ、あくまで『ほぼ』ではある。この場においてまだ一人だけ自分の意思を示していない人物が居るのだから。六人の視線が、一斉に真田の方に向けられる。
「……ん? え、いや、何ですか。今さら僕に意見とか聞かなくても……」
「そうだな。でも、お前が話を聞いてどう思ったのかとか、そういうのを聞かせてくれよ」
宮村は真田の事を信頼している。最初の仲間、腐り切って内向きにしか良い感情を出す事が出来なかった彼と最初にぶつかり合った外側の人間。だから彼は真田の考えが聞きたい、自分の判断と重ねたいのだ。
真っ直ぐな視線、絶対に逃げられないと確信できる。そもそも自分の意見を言うものを口にする事が苦手な真田であるが、こうなってしまっては観念するしかないようである。大きな溜め息を一つ。そして顔を上げる。
「僕は……まあ正直、どうもこうもないです。ほら、僕的には宮村君と戦うのと大差ないって言うか。力を見せ付ける、僕がしたいのはそこから変わってません」
自分の願いに引け目を感じている。戦いにくいと彼らは言うが、それは真田からすれば今さらの話なのだ。何も感じない訳ではない、だが、精神状況は極めてニュートラル。無感情ではなく、さりとて動じる訳でもない。かつてないほどに完璧なコンディションと言えるかもしれない。
「そもそも戦おうって言い出したのは僕ですし、それを宮村君に持ってかれてるってのは若干『ん?』って思いますけどそこまでして頼むんなら僕も力を貸す側に立って良いですよ? それに……ちょっと楽しそうですし、あのスカした梶谷さんをコテンパンにのして、囃し立てながら病室に蹴り込むってのも……ねえ?」
言い終えてから見渡してみれば、誰もが何となく悪い笑みを浮かべている。そうだ、綺麗事だけではない、誰もが多かれ少なかれ腹を立てている。そんな恨みを振りかざす拳に少し混ぜたって構わないはずだ。
「へっへっへ……そうだ、俺達の目標は一つ。あの偉そうなおっちゃんをブッ飛ばして、俺達と同じステージまで引きずり降ろして笑ってやるんだ!」
この場所にやって来た目的は完全に果たされただろう。良い状態だ。誰も気負い過ぎていない、単純に持てる能力を出し切る事が出来る、真田と同じく完璧なコンディションに調整されている。
梶谷が何のために戦わんとするのかを知らなければならない。知らずにただとにかく倒そうとするのでは迷いと後悔、少なくともどちらかが出てきてしまう事となるだろう。知ったからには無感情ではいられない。どんな願いであろうと少なくとも本人にとっては大切な事だから。
そして今、結果はどうだろうか。理由を知っただけならば、それでも戦おうと決意しただけならば決して到達できない域に彼らは達している。強い感情は胸に、表にはもっと楽しく前向きな感情を出す。きっと今ならばどこにも禍根を残さぬ戦いが出来るだろう。倒さんとする梶谷はもちろん、こちら側も誰かが腕輪を失う可能性は充分にある。結果はどうなるのか分かったものではない。
だが、前向きに挑む事、それは本来は戦いなど縁が無い現代日本人のメンタルとって最も健全だ。出来れば戦いたくはない、メンタルは弱い真田にはそれがよく分かる。もっとも、後からそれとなくみんなを唆して軌道修正するつもりだった予定がここまで大々的に意思表示をさせられる事になるとは分からなかったけれど。
みんなの心は一つ。同情よりも冷たく、恨みよりも明るく、遊びよりも重く、言葉に出来ないほど複雑で中途半端、よく言えばバランスのとれた感情を武器に戦いに挑む事。
「さて、宮村君が啖呵を切っちゃったからには出来るだけ早く話を進めないといけませんよね? 帰って、作戦会議を始めましょうか」
善意と悪意をない交ぜに、真正面から裏をかく。どこまでも自由で躍動的な戦いを城の中に引きこもる問題児に見せ付けなければならない。ここまではあくまでも戦いの準備、今から始まるのだ。固く固く閉ざされた、梶谷 栄治の心という城に攻め込んで大胆にブチ破る、そんな戦いが。