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笠原 正、男はそう名乗った。予想通り、彼は梶谷の友人(本人はその表現を頑なに拒んだが)である。
真田達はネット上で出会った『魔法は実在する、少なくとも過去には存在していたのではないか』という主張をかかげる同好の士であり、この店で梶谷に偶然出会った事をきっかけに、笠原に代わりに質問をしてくれないかと頼んだという説明をした。彼は魔法について研究しているのだが、だからこそ魔法が実在すると教えるべきではないと篁が判断して嘘を並び立てたのだ。彼は喜ぶかもしれないが、存在の証明のため費やした研究の時間はただ単純に答えを見せ付けられる事によって無駄になる。そして彼の人生は実在すると分かった魔法を求める事で歪む可能性を秘めているのだ。今現在、魔法の存在を証明せんとする彼が腕輪を持っていない、即ちそれだけ強い願いを持っていないと判断されているのは、ただ存在していてほしいと望んでいるだけではない、例えば魔法を使いたいといったような他の方向に枝分かれした願いがあるため《一番の願い》という存在としては弱いのだと推測される。まったく同じように考えたかどうかは分からないが、彼の反応から察するに梶谷も魔法について何も教えていないようであった。ならば方針としては間違いではないだろう。
「――あの男が今さら興味を示すとは妙な話だと思ったが、そういう事か……」
テーブル席に座り、しかめっ面で腕組みをしながら呟く笠原。どうやら話に納得してくれたらしい、目の前に座っている篁もホッと胸を撫で下ろす。
「えーと、笠原……さん? は、おっちゃんとどーゆー知り合いなんスか?」
「……何で僕がそんな事を教えないといけない?」
ジャブ感覚で繰り出した宮村の質問だったが、見事なまでに切り捨てられてしまった。道理である。答える義理は確かに存在しない。とはいえこの断り方、真田や荒木のような閉ざしたタイプとも白河兄妹のような我が強いタイプとも違う、新しいタイプの絡みづらい人間だ。純粋に空気というものを読めない。読まないのではなく本当に読めない、割と嫌われがちなタイプ。
こちらとしては梶谷についての情報を何でもいいから引き出したい、そのための枕のようなものであるが、ここで早くも躓いてしまってはどうしようもない。如何に話を繰り広げるべきかと視線を交わし合う中、一人の人物が名刺を差し出しながらスッと前に出た。経験豊富な大人、お話も仕事の内。そう、荒木である。
「すみません、私こういう仕事をしております、荒木と申します。大企業の社長であった梶谷さんと大学教授である笠原さん。道は違いますがどちらも高みに登り詰めた一流の人間です。そんなお二人がどうして知り合ったのか、お聞かせいただきたいのですが……いかがでしょう」
薄く浮かべた笑み、しかし口の端がヒクヒクと小さく動いているのが見えた。お話も仕事の内、ではあるが彼はあまりそう言った仕事は得意ではないのかもしれない。確かにそもそも得意そうな人物にも見えないが。それでも何とか相手の事を持ち上げながら質問の意図を(偽りだが)説明した。何とか乗っかってくれる事を祈る。
「露骨なヨイショだ……だけど、乗せられておいてあげよう。僕なんか持ち上げられる機会もほとんど無いからな」
確かに営業全開の露骨な言い方だったかもしれない。だが、それが笠原の卑屈な性格とぶつかる事で好転した。あまりに分かりやすかったからこそ心をくすぐったのだ。上手い話しぶりだと逆に心を閉ざされていたかもしれない。
「とは言っても。大した事じゃない。僕が笠原、アレが梶谷。席が並んでたというだけの話だ。同級生なんだよ、大昔からな」
確かに、ドラマ性も何もあったものではない出会いだ。いや、あるいは運命的と言えるという見方もあるが。それをきっかけに友人になるというのはよくある話である。聞いておいて何だが、これ以上は膨らませるのが難しい本当に大した事ではない答えだ。少なくとも真田にはここから本題に持っていく事は出来ないだろう。恐らく荒木も。宮村や吉井ではこのような相手は頑なになってしまう一方だろう。懐に飛び込み過ぎる。
こんな時に上手く頭を使って話を転がす事が出来るのは篁である。何だかんだで真田もすぐに馴染んでしまった彼女の丁度良い人当たりの良さはこういう時に本当に生きる。
「そうなんですね……凄いです、そんなに前からお友達なんて、素敵な話です」
「はん、あんなのと友人なものか」
「でも連絡を貰ったら飲みに行ってお話をするんですよね? 良い関係だと思います。……でも、こうして探してるって事は、連絡が取れないんですか?」
梶谷に対する態度と荒木に対する態度の中間。普段よりもグッと猫を被った様子の篁の声が僅かに低くなる。ここが本題。笠原が足を使って探しているという事はつまりそういう事なのだろう。連絡をしようにも出来ない。二人の関係性と合わせて考えると、連絡が必要な何かが起きているという事だ。そこに秘密が存在している、その可能性は十分に考えられる。
「いや、連絡が取れないって訳じゃない。電話をすれば出るさ、三回に一度くらいは」
「あ……そうなんですか?」
少し予想は外れてしまっていたようだ。意外と連絡は出来ているらしい。もちろん連絡する用件があるという点は合っているらしいが、少しだけ緊急性が下がったような、重要度としては若干見劣りする印象が出たような、何とも微妙な気分。
しかし、ここから話は大きく動く。梶谷 栄治という人間の答えが、あまりに不意に提示される。
「あの馬鹿、新しい事業だか何だか知らんが見舞いに行かなくなりやがった。自分の嫁だろうに、クソッタレめ……電話をしても行けないなんて言う始末。直接会って話を付けようと思ったが、仕事の邪魔をするのは本意じゃないし僕にも仕事がある。だから夜中にこうして心当たりを巡ってみたが見付かりゃしない。チッ……こうなりゃ直接乗り込むしかないらしい」
苛立ちを露わにしながら堰を切ったように勢いよく語る笠原に対し、それを聞いていた一同は思わず口を閉ざしてしまった。今、とんでもなく重要な情報を聞いたような、そんな気がしたのだ。何となく聞き返す事も憚られる。ただ目を丸くして笠原の方を見る事しか出来なかったが、そんな様子に気付いた彼はやってしまったと苦々しい顔をして舌打ちしながらガタリと立ち上がった。
「……失礼する。喋り過ぎた、忘れろ」
こちらの返事も待たずに去って行こうとする笠原。一刻も早く姿を消したい、そんな思いが透けて見えるような急ぎぶり。だが、その背中に向かって荒木が声を掛ける。
「すみません。荒木さんはお忙しく、事業の準備に掛かりきりになるかもしれないと仰っていたので行くべきではないかと……代わりに、もし何かのタイミングで見掛けたらご連絡を差し上げますので、連絡先をいただけますか?」
「チッ……ではこれを。それでは」
小さな舌打ちを漏らしつつ振り返って懐から取り出した名刺を差し出す。名刺交換は社会人の大切なご挨拶だ、相手のものを受け取った以上は、それも理由としても真っ当であった以上は渡さない訳にもいかないだろう。それを最後に、笠原は本当に立ち去って行った。それはそれは素早い歩行速度であった。