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株式会社カジヤ二代目社長、梶谷 栄治。彼の武勇伝は多岐にわたる。事業拡大の第一歩として口八丁手八丁で多額の融資を勝ち取る、問題のある土地を安く買い漁るためライバルに負けないよう独自のアンテナを全国に張り巡らせる、明確なレッドオーシャンに飛び込みながら独自戦略で存在感を確立させる、最初は鍔迫り合っていたはずの競合他社を最終的に吸収するなどやりたい放題。親子二代の天下取り物語、これによって彼は伝説的な存在となったのである。
「でも、梶谷のおじさんは今は社長じゃなくてソーダンヤク? なんだよね?」
「そ、去年だったかな……急に辞めちゃったの。当たり前だけどかなりニュースになってね。いや、本当に大変だったわ……」
何かを思い出すような遠い目をする木戸。深い溜め息のおまけ付き。ただ、この件について溜め息を吐きたい人間は日本中に星の数ほど存在しているだろう。何せ、社長職を辞する際に後任を指定はしたが、その人物は梶谷の右腕的な存在ではあったものの親族ではない。梶谷家によるワンマン経営によって大成功したと言える会社としては大きな変化となるのだ。敏腕の先代、剛腕の初代と比べた時に、明らかに役者が違うのである。その変化は大きな影響を与える、経済界にも。
「おじ様はお子さんが居ないから、社長は別の人に。そしたらまあ、株価がグググッと下がったワケね。大暴落ってヤツ」
「あの時はニュースを知らなかったから、ちょっと遅れて暴落に気付いて。売り時を逃したから一応買い増しして……冷静を装ったけどあの時は心臓痛くて眠れなかったね」
「僕が株を買ったのもその時ですね。確か学校が早く終わって、帰り道でネットニュースで。部屋に飛び込んで株価をチェックしたらかなり下がってて、今思うとちょうど底値でしたね。それでちょちょっと」
梶谷 栄治という人物に対して尊敬の念を抱いていた真田は所有欲もあって株を購入したいと思ってはいたが知識の浅さが故に躊躇っていた、そこで背中を押す形となったのがこの暴落だ。渡りに船と言うべきか、無駄金を使わされたと言うべきか。
しかしもちろん、そんな調子が続いたとすると話が現在に繋がらない。カジヤは今なお健在なのである。
「子会社株まで含めて軒並み下がっていって……売り飛ばされて安くなった株、だけど大きな総合商社の株だ。買い占めようと企む奴も居る。カジヤは風前の灯火。だけど三代目は、いや三代目達は負けなかった。みんなが一丸となって守り切ったの」
「ほーん、それで今も普通にスーパーとかがあるワケだ」
「そゆこと。初代と先代は攻める事が得意だったけど三代目は守る事に特化してた」
こうして主に木戸によるカジヤについての解説が終了した。少し調べてみればいくらでも纏めた内容が出てくる話ではあるが。多くの人が知っている話、だがしかし、誰もが知らない話もその中には眠っている。誰も詳しい事を知らないから簡単に流して語るしかない話だ。聞いていれば当たり前のように疑問に思う。
「でも、おじさんって何で辞めちゃったの? 急にって言ってたけど」
吉井が口にした問いに答えられる人物はここには居ない。居るとすればそれは今はもう居ない梶谷本人だけである。誰もが何となく口を閉ざし、真田が「それが分かってれば理由も言ってるって事です」とだけ伝えた。自然、空気が再び少しだけ硬化する。誰も知らない梶谷 栄治の秘密、そこに今の状況へ至る事となる理由が眠っているような、そんな気がした。何故こんな事になったのだろう、ただ考えるだけでは答えは出ない。
真田が逸らした視線の隅で、実和が何かに気付いたようにその顔を上げていた。本気で会話に加わっていなかったため他の所に対しても注意を向ける事が出来ていたのだろう。彼女が気付いて見ていた先に目を向けると、そこはドア。店の入り口。誰かが入って良いだろうかと中を覗いている姿があったのだ。くたびれた格好の中年も終わり頃……もしかするとまだ中頃と言った年齢の男。様子を窺うその姿は不審者にも見えなくないが、明らかに中に居る真田や実和と目が合ってそれでも動揺して逃げようとはしない、どころか覚悟を決めてドアに手を伸ばしたその様子はきちんと真っ当な目的を持っている人物のようであった。
「っとと、いらっしゃいませ。あー、もう営業時間は過ぎちゃってるんですけど……」
「いや、良い。聞きたい事があるだけだ」
ぶっきらぼうに返事をする男は、店の中央の辺りまでゆっくりと進みながら落ちくぼんで影を落とした目でグルリと見渡した。背筋は曲がっていて、不健康そうな様子がパッと見ただけでも気付ける。
近くに来た事で分かる煙草の匂い。不自然なまでの黒い髪。不思議な事に、会ったも見た事はないはずなのにどこかで見覚えがあると言う謎の感覚が真田を襲った。凄く覚えがある気がする、そんな疑問を抱いている真田だが、男の方も真田に会った事など無いので一度見てからは目もくれない。
「……梶谷 栄治は来ているか。あの男、ここによく来ると言っていたんだが」
瞬間、誰もが返事の言葉を失った。聞かれた木戸はもちろん、他の面々も。つい今し方まで話題にしていた名前が突然やって来た男の口から飛び出したのだ。これに驚かずにいられるだろうか。中にはさらにもう一段階の衝撃を受ける者も居た。
「あ……あああああっ! そうだ、優介! この人、おじさんの友達の教授さん!」
「え? ……あーあーあーあー、はいはいはいはい。そういう……」
不思議な既視感、その正体は吉井の言葉によって判明した。男の特徴が見事に重なっていたのだ。そう、それはまだ吉井が真田の家に転がり込んでいた時の事。真田の相談に対して梶谷が素早く答えを見付け出して吉井と二人で聞かされた話、そこに出てきた個人的に魔法について研究をしている大学教授。その特徴、梶谷の近しい知人と思われる用件。その二つを合わせると導き出せる答えはそう多くない。
そして男は、無関係なただの客だと思っていた子供達が自分の事を話しているを分かって怪しみながら表情を歪めた。
「どうして、僕の事を知っている……?」




