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そうして機械的に正答だけを書いていると結局頭は使わない。それでは他の事を考えてしまう。本末転倒だ。しかし今は別に何か物事を悪く考えてしまった訳ではないと言うのが救いか。
何を考え始めてしまったかと言えば、先程も名前が出てきた《宮村》という人物について。
宮村という名前にも憶えがある。雪野が良い意味で有名な生徒だと言うならば、宮村は主に悪い意味で有名だ。校内規模でも有名な不良生徒などと言った、まるで漫画のような特徴を持った男であり、ほとんど学校には来ていない。事実、ここ数日も欠席していた。学校で荒れるタイプの不良ではなく、そもそも学校に来ないタイプの不良という事だ。
しかしどうやら出席日数のためか、今日は登校しているらしい。律儀と言うべきか真面目と言うべきか、どうやらそのような面もあるらしい。チラリと宮村の席に視線を向ける。
窓際の一番後ろ、これまたやはり漫画の主人公のような席を獲得しているその男は、机の上に日誌を広げたまま頬杖をついて窓の方に顔を向けている。真田とは違った方向でクラスには馴染めていない様子だ。
一昨日の夜に出会った《海坊主》と呼ばれた坊主頭の男であるような少々柄の悪い人間や分かりやすい不良のような人間は真田が最も苦手とするジャンルだ。もっとも、今ならば不良ごときは腕輪の力でどうとでもなるのかもしれないが。そう考えた瞬間に右腕が疼いている事に気付く。慣れ過ぎたあまりに意識を向けなければ疼きも気にならなくなってきていた。これは真田にとって良い傾向だ。
(うーん、でも、改めて考えるとこの腕輪って凄いな……動きはゆっくりに見えるし、力は付いてる、足も速くなった、体力も……今、僕、凄いかも。今からでも運動部に入ってみようかな)
どうにも宮村の事から思考が逸れているような気がしないでもないが、この時は素直にそう思ってしまった。この腕輪の恐ろしいほどの万能な力があればスポーツで活躍する事など簡単だ。野球でもしてみようものなら打って走って守る、投げる事はコントロールなどの問題もあって得意ではないが、それでも大いに活躍が出来るだろう。
そうしてスポーツで、部活で活躍すれば周囲の見る目が変わる、見る目が変われば自信もつくだろう。自信がつけば周囲に対してもっと明るく接する事もできるかもしれない。それはつまり、自分が変われるという事だ。
(アリ、だな。むしろこれが一番分かりやすくて腕輪の力も活かした変わるための最善の方法なんじゃ……!)
思考は留まる所を知らない。この学校にある運動部は野球、サッカー、バスケ、バレー、陸上、卓球、テニス、剣道、柔道、相撲、水泳、山岳。他にもあっただろうか。こうした分かりやすい所は一通り揃っている。部活動は人数と顧問さえ揃えば発足できるため割といつの間にか増えていたりする事があって全容は把握しきれないが、この辺りが大会前の壮行式で見かける部だ。
水泳はできるかどうか分からないが、それ以外は何とかなりそうだ。剣道などは相手の動きも見切れる、勇敢な人間ではない真田にとっては防具もあって気持ちとしては一安心の実にちょうど良い競技なのではないだろうか。
部活に入って活躍して、それから自分が変わっていく。そしてそれから……。
(――いや、でもそれってあんまり意味無いような……)
ふと、答えを書き写す手と同時に思考も停止した。冷静に考えてみれば考えてみるほどに腕輪の力で変わる事に意味を感じられなくなる。
腕輪が存在する限りはその力を使って変わったままでいられる。つまり、その腕輪が無くなってしまえば変わった自分は存在できなくなる。そして腕輪は不滅の物ではないのだ。
これまでも目の前で二つもの腕輪が消えている。戦闘に巻き込まれる限りは自分の腕輪が消失しないという保証は無く、腕輪がある限りは戦闘から逃れられないのだ。最後の一人になった時、この腕輪はどうなるのだろう。もしかすると願いを叶える時になって腕輪を失う事になるかもしれない。確実に腕輪を持ち続けるには、生涯をかけて勝敗をつける事なく逃げ回るしかない。そんな人生が待っている。
腕輪の力に頼って自分を変える事はできるかもしれない。しかし、それには未来が無い。自分と言う人間を変えたはずなのに、自分の《今》しか変えられていないのだ。
(嫌だなぁ……やっぱりそんな簡単にはいかないのかな)
本質的に面倒が嫌いな人間である真田は、結果的に意味を成さない行動はあまりしたがらない。運動部に入ると言う考えは人生を変える事はできない、結果的に意味が無いのだ。だから、その考えを捨てる。
腕輪の力をそのような形で使用する事に抵抗を覚えるよりも、その先の面倒が理由で考えを捨てるのは真田らしいと言えるかもしれない。
そうして考え事をしている間に一限の教科担当がやって来てしまった。今日の一限は現代文、厳しい顔つきの中年男性教諭が担当だ。しかし、その表情は授業を面倒臭がっているためであり、性格が厳しいわけではない。それどころか仮に内職が見付かっても何も言及されない事は昨年からの経験で分かっている。つまり、こういった状況において非常にありがたい存在なのである。
起立、礼、着席。その直後から授業など一切聞く気も無く再び手を動かし始める。聞く気があろうとそもそも授業をしている声などほとんど耳には届かない。
この現代文の授業は生徒の指名など行なわれた例が無い、絶望的につまらない授業なのである。聞いていなくても問題は無い。だが一応、周囲は話を聞く姿勢で静まっている。あまりノートにペンを走らせる音が発生しないように細心の注意は払った。
本当は授業が始まる前に宿題を終わらせてしまおうと思っていたのだが、おかしな考えを持ってしまったせいで授業までずれ込んでしまった。考え事をするのは真田の癖だが、それを意識的に遮断して続ける。
考え事が浮かび、それを打ち消し、解答を書き写し、耳からは授業の内容が入ってくる。もう頭の中は地獄絵図だ。何が何やら分からない。




