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「ああ……こちらは裏口ですか」
「ふむ、こんな所に案内するつもりはなかったんだが……まあ、私もまだ慣れていなくてね。こんな場所でも良ければ見学してみるかい?」
「……ええ、喜んで」
あまりに分かりやすい嘘であった。つまりはこの裏口から先に繋がる道があるという事なのだろう。ルートを把握しない事には従う事も外れる事も出来ない。
「それでは、こちらの方を見せていただいても?」
「もちろん。面白い物も何も無いだろうがね」
「構いませんよ、何も無くて」
そうして、二人は何も無い方へと歩き出す。面白い物も、目新しい物も、そして監視カメラも存在しない方向。建物の内部を案内しているという体は決して崩さず、梶谷は警備室がどうであるとか、この建物にまつわる話などをしているが荒木は聞いているようないないような状態で目だけを忙しなく動かしてカメラ位置を把握しようと努める。
細心の注意が必要である。無い物を無いと断ずる事ほど難しい行為は存在しないだろう。それを容易にやってのける人物が居るとすれば、それはとんでもない自信過剰の無能だと荒木は思っている。本当に出来る人間は退き際が良いのだ。本当に無いのか、それを疑い、疑い、疑い、そして見切りをつける。そのタイミング。短くはないが無駄に長くもない絶妙な退き際。荒木自身は退き際を見極められずに無駄な時間を浪費するタイプの駄目な人間であると自覚しているのだが、今ばかりはそうは言っていられない。今の状況は梶谷による試しでもあるはずなのだ。一つの場所にどれだけの時間を費やす事を許してくれるのかは梶谷の胸三寸。最短の時間でカメラを発見し、最高のタイミングで存在しない事を認める必要がある。
「――あちらの方には何が?」
「ああ、向こうには休憩用のスペースがある。近くに扉があって、そこから外に出ると喫煙所になっていてね……」
もちろんそんな説明が聞きたい訳ではない。誘導ルートは休憩所があるらしい方向へ続いているのだ。そちらに体を向けても不自然ではない話の流れに持っていくための質問だった。
これは茶番だ。極端な話、「潜入するための情報を見せてほしい」とでも言えば梶谷は何かと条件を付けながらも許してくれるだろう。不自然ではない話の流れも、何だったら営業という理由付けすら必要ない。ただ、これもまた戦いの一つなのだ。茶番だと知りつつもこうして腹を探り合っている。探る事を許すのか否か、何をどれだけ観察して行くのか。
(無い……無い……無い、のか? 観葉植物、人も居ないのにこんな所に?)
果たして隠してあるのか、それともブラフなのか。何とかして観葉植物に触れてみる流れを作り出すべきか。荒木は頭を悩ませ続ける。梶谷に背を向けた状態で、もはや何も聞こえていないほどの集中。
ゆっくりと、気配を完全に消しながら腕が伸ばされる。僅かほどの魔力も漏れないように。梶谷の腕が荒木の背中に向かって行く。少しずつ、少しずつ。荒木は気付かない。まだ考え続けている途中だ。しかし梶谷の動きも遅い。暗く淀んだ目を向けながらジワジワと手が近付く。
(あの位置、カメラの有無でルートが変わる……確実に確認しておきたいが……)
梶谷の手が迫る。その距離わずか数センチ。
(もう少し、もう少しで届く、が……)
荒木は動かない。背後の動きにも一切気付いている素振りを見せていない。
(どうする!?)
この時、二人の思考は完全に重なった。そして、先に行動を示したのは――
「梶谷さん、こちらの扉は作業エリアになるんですか?」
荒木の方だった。観葉植物ではなく、もう一方のルートを確認する事で消去法にてカメラの存在を確定させようと振り返りながら質問をぶつける。すると当然、視界に入るのは梶谷の手。不審に伸ばされ、そして動きを止めたそれに目を向けてから視線を梶谷の顔に向けると、彼は緩やかに口角を上げて背中に触れる。
「糸くずが、付いていたのでね。気を付けた方が良い」
「……そうですか、すみません」
交錯した視線。火花が散るような緊張感が一瞬走った。直後、互いに薄い笑みを浮かべ合ったむしろ空恐ろしい穏やかな空気が流れ始める。嵐の前、まさにそんな言葉がよく似合う。
「さっきの質問だが、確かにそこは作業エリアだったらしい。案内しよう……」
だが、嵐はまだ訪れない。今はまだその時ではないのだ。嵐はまた、その内に……。