10
戦いが終わり、また生き残れた事。それは真田の体から全ての力を抜くのには充分過ぎる安心感だった。意思の力である炎は消え、地面に根を張らんばかりに力強く踏み込んだ足はもはや立つ事もできずに尻餅をつくように倒れる。
「真田君! 大丈夫かい!」
「それ……さっきも言ってましたよね……ははは」
駆け寄りながら麻生が言った言葉は、薄れていた意識の中で聞こえてきたものと同じだ。力の抜けた真田は笑い出してしまうのだが、それを見た麻生はキョトンとしてしまう。恐らく、この脱力感は本人以外には絶対に分からない事だろう。
「ごめんなさい、その……大丈夫です。怪我とかは、はい、無いです」
「それなら良いんだが、何と言うか……」
言葉に詰まる麻生。その視線は少し下げられ、自らの手を見ている事に気付いた時、ようやく思い出したように真田が慌て始める。
「いや! その……さっきのは違うんです! えー……だから、そのぉ……」
誰にも知られないようにしようと決めていた魔法を早速知られてしまった。何とか言い訳しようとまず否定から入ったのだが、その後が続かない。目の前で炎を出したり怪我を治したりと、手品やワイヤーアクションなどとよくある誤魔化し方をしようにも明らかにやり過ぎている。
今でも充分過ぎるほどに疑われているのに、ここで言葉に詰まってしまったらどう考えても怪しすぎる。そう考えてとにかく何か言おうと思ったその時だった。
「――まぁ、良いさ」
「……はい?」
訝しむような表情から一変、そこには再び穏やかに微笑む麻生の顔があった。
「君には事情があるんだろう。それは私は知らないし、相談されても困る。だが……面白いじゃないか」
「面白い、ですか?」
「言ってしまうとだね、夢や希望を叶える事は本物の魔法でもない限りはほぼ不可能なんだよ。こうして会社勤めで転勤もしている私もその魔法を使えなかった人間だ。……ああ、一応言っておくけれど、会社勤めが悪いと言っているんじゃない。これもなかなか良いものだし、そもそも勤める事を夢としている人だっている。私に少し夢があっただけという話だ」
麻生は過去を振り返って話しているようだった。しかし、その顔はどこか前向きなようにも見える。過ぎ去ってしまった過去に思いを馳せて悔いている、そんな訳では無いようだ。しかし、この男の過去など知るはずもない真田はただただ黙って聞いている事しかできない。
「人生は魔法だ、叶わない夢は無い。……これは『そうであると思っていたい』だけのただの自己暗示的なモットーでしかない。けれどね、魔法は確かに存在するんだよ。魔法を不可能の象徴だと思うかい? いいや、魔法は存在する! ならば、自分の人生を賭けて夢を叶える魔法だって存在するんだ」
「魔法……」
「ああ、いやいや。皆まで言わなくても良い。あくまで私にとって魔法のように見えた何か、の話さ」
そう口にした麻生は店の方へと戻っていった。立て掛けたままの扉を持ち上げ、元の場所にはめ直す。そうしてから何を思ったか唐突に扉に向かって両手をかざし、何かを念じるようにしてから「やはり直らないか」と小さく笑う。
「その、一つだけ……聞いて良いですか?」
「何だい?」
勇気を振り絞って口を開く。相手が魔法に理解があると判断しての事だ。この男の事は信じたい、そんな願望もあった。だから真田は問う。極めて根本的なその疑問を。
「魔法って……何だと思いますか?」
「気持ちさ。何かを成そうとする気持ち。それは間違いなく世界を、自分を変えるものだ」
少しの迷いも無く麻生は答えた。真っ直ぐに目を見ながら。
魔法が何であるか、その答えがハッキリと理解できた訳ではなかったが、「自分を変えるもの」という言葉は気に入った。ならば確かにこの力はきっと、自分の願いを叶えるために存在している。
「その……あ、ありがとうございました!」
「なぁに、それはこちらの台詞だよ。ありがとう。今日は良い日だった。ライフ・イズ・マジック、人生は魔法だ! いつかまた会おう、真田君。はっはっはっはっは!」
実に楽しそうに高らかに笑う麻生はひとしきりの挨拶をして片手を挙げ、颯爽と去って行った。真田はしばし呆然とした後にお辞儀をして見送る。しかし、その後にふと呟くのだった。
「あれ……一人で帰れるのかな……」
とうの昔に闇に紛れて見えなくなった麻生の行く末を案じながらももはや手遅れ、このように別れた以上は追いかけて案内をするのもどうにも気恥ずかしい。彼も良い大人だ、何とかなるだろう、何とかするだろうと気にしないようにして、一人頷いて真田も自らの家へ帰ろうと鞄を拾い上げるのだった。




