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「俺はさあ、頑張ったワケだよ。それをアイツは完っっっ全に無視するんだこれが!」
(声おっきいなぁ……)
この日の昼食は教室にて、メンバーはレージとショーゴの三人。何だかんだで話せるようになった相手であり、昼食に誘われてももはや殊更に断るような事はないのであるが、改めて今日は三人で食べよう! などという話になると少しばかり困るものである。困ると言うよりも二の足を踏むと言うべきか。
その結果、ここ数日の宮村に対する不満を吐き出す様を無視しながら、真田はただひたすら黙々とチキンバーガーにかぶりつく。あまりの話し声の大きさに少し視線が集まっているのを感じた。非常に居心地が悪い。帰りたい。少なくともこの場からは消えたい。
「そもそも、アイツは盛り上げようとする俺のありがたみってのを分かってないんだよなー!」
「へいへい、もう良いっつーの。うるさい」
「あぁーい……」
ショーゴが軽く頭を叩いて黙らせる。完全に手綱を握っている、とても良い関係だと思った。どこかの腐った妹に影響されかかっている目線を強引に切り替えて極めて一般的でノーマルな見方をすれば、この対等な関係でありながらやんわりと上下関係があるというのは面白い。仮に二人が揉める事があったとしても、当たり前のようにショーゴが主導で話し合いの場を設ける事が出来るだろう。何故なら、二人の間でショーゴが主導権を握る事が当たり前だからだ。その認識を共有している限り、レージの側も喧嘩中だと言うのに話し合いをする事に疑問を挟まない、挟めない、挟む発想が無い。つまり、今の真田達のような「さて、どうしよう」状態にならずに済む。どちらがどんな動きをするのか最初から決まっているのだから。
(あー、羨ましい。そんで現状めんどくさっ)
人間関係の難しさである。もちろん明確にどちらが上であるか定めてしまうのは友人としては間違っているかもしれないが、とりあえず現状は真田が立ち位置を曖昧にしている所にも原因があると言って良いだろう。宮村に対してハッキリとものを言っているようであるが、こういう時に本来の人間性が出る。亀裂の入りかかった人間関係に敢えて踏み込む事が出来ないのだ。友人であるとは思っているが、友人関係の強さを信用できていない。そんな立ち位置。
「そんでさ、暁との事をどうにかする的なのを言ってたけど、この感じじゃまだダメっぽい?」
「ああ……まあ、本当は今日どうにかしようと思ってたんですけどねぇ……」
「だっちゃん、間ぁ悪りぃなー」
「ぐぅっ……」
まったく返す言葉も無い。最近は真面目に、と言うより前向きに学校に来ていたはずの宮村がどうしてこのタイミングで欠席するのか。普通に考えれば体調を崩したのだろうが、どうしてこのタイミングなのか。本当にどうしようもない間の悪さだ。正直もはや頭を抱える事しか出来そうにない。
「どうするん?」
「体調悪いなら電話もアレですし……メールでする話でもないですし……延期、かなぁ」
「タイムリミット間際で延期する痛さったらないね」
「良いんですよ、どうせ今日は喧嘩してる相手とも仲直り出来ちゃわない日ですから」
「なにそれ」
理解されにくいジンクスである。真田としては宮村の欠席を知った段階でこのジンクスの効果を痛感して半ばこの日の解決は諦めていたのだ。「明日は二位くらいだったら良いなぁ」とぼんやりしながら食べるチキンバーガーは美味しい。鶏肉は常に美味しいけれど。そんなチキンバーガーをもう少しゆっくり食べたい気持ちはあったのだが、今日ばかりはそんな事をしている訳にはいかない理由が存在していた。
再び不満を口にするレージと、それを宥めるショーゴを尻目に包装と空になって畳んだお茶の紙パックをレジ袋に突っ込み席を立つ。
「あれ? どうかした?」
「いえ、ちょっと先生に呼ばれてまして」
「――退学、か……」
「え、急にそんな重いイベント来ます?」
そもそもそんな処分を喰らう心当たりが無い。基本的には。一応。夜中の色々な諸々を除けば。一般的な感覚に当てはめれば余裕で暴行罪やら決闘罪、魔法使いは反社会的。
ともあれ、そんな発言はもちろん冗談。笑いながら見送ってもらう。しかし、真田には呼ばれるような心当たりが基本的には無いというのは事実。わざわざ職員室まで呼ぶのだからそれなりに理由があるのだろうが、悪目立ちを良しとしない真田の学校生活における態度は決して悪くはない。夏休みの課題も全て終わらせて提出した。授業でもクラスの欠席情報を仕入れられるようになったので以前のような失態を演じる事は滅多に無い。話し相手も居るのだから、真田は少なくとも表面的には極めて一般的な善良な生徒に近付いているのは間違いないのだ。ちなみに体育の授業に関しては元から積極的ではないので身体能力を隠すため手を抜いても違和感が少ない。
そんなこんなで疑問を抱えながらも職員室まで辿り着いた真田。妙な緊張感と共に、何か書き物をしているクラス担任の安本の席まで向かう。
「ん? おおー、来たかぁ。悪いな、真田」
「いえ……何の用でしょう」
担任なので平日はほぼ毎日顔を見る相手なのだが、その度に自分とは合わない相手だと思う。「体育会系でござい!」と言わんばかりの活気、その爽やか熱さ。相変わらず苦手ではあるが、人間としては好ましい部類に入るのだろうと思えるようにはなった。ただその苦手な活気も、今回ばかりは機嫌の指標となっていてありがたい。笑いながらあまり申し訳ないと思っていなそうな様子で言う姿からは怒りの感情は感じられない。なので真田も警戒レベルを下げて話を促した。
しかし、安本の様子が少しだけおかしくなる。促したのに、口を開かずにジッと真田の顔を見詰めているのだ。すわフェイクであったかと途端に再び緊張が走る。ただ、さらに数秒ほど真田を見てから、安本は漸く口を開いてこのような事を言い出すのである。
「お前……接しやすくなったよなぁ。いや前はさ、暗くて話しにくいから用がある時は変な気合入れなきゃ駄目だったんだよ、これが。それが今はどうだ、かなりマシになってるじゃないか!」
(スゲェこと言うなぁ)
むしろちょっと感心した。以前にも暗いだなどと、事実には違いないが正直に口にしなくても良いだろうというような事を言ってきた男だ。このご時世、出る所に出れば教員から降ろせそうな気がする発言である。そんな発言をここで繰り返した上に、「明るくなった」ではなく「マシになった」と言うのだからここまで来ると尊敬すら芽生えそうになる。普通はもう少しお世辞というか良い表現を使うだろうに。
「さて、そんなマシになった真田君に雑用を頼みたい訳なんだが――」
「よくその枕詞で雑用を押し付けられると思いましたね」
流れで聞くと尊敬しそうになったが、改めて単体で聞かされて冷静に考えるとそれなりにイラッとした。どうやら真田はわざわざ昼休みに雑用を押し付けるために呼び出されたらしい。その事実がまた真田の神経を逆撫でする。真田は無表情のままながらも気分を害した気配は伝わったのだろう、笑いながら「ほんのジョークだ」と弁解してくる。なお、ジョークなのは呼び方だけであり、雑用のために呼び出したのはマジらしい。
(ヤベェなこの人)
クラス委員という制度は存在していないが、雪野は実質的にクラスの代表に君臨している。それは担任である安本はもちろん授業などで訪れる各教員も認識済みだ。用事ならばそちらに必要そうな人数を集めさせて頼むのがいわばベタな選択肢だ。その他にも選択肢はある、それこそレージとショーゴだって二人でセットのようなもの、頼めば自動的に二人分の戦力が得られるのだから、例えば教材の運搬などであれば男子という事もあって良い選択と言える。ならば逆に悪い選択とは何か。それが真田である。見た目は明らかにひ弱で、マシになったと言っても対人能力は低く、宮村が欠席しているので最も有効な人脈も塞がれている。考えられる限りワースト。現実世界においてネタ選択肢をチョイスしていく精神性は本格的にヤバい。
「頼む! 難しい事じゃないんだ。俺はこの後ちょっと忙しくてな、誰かに頼まにゃならんのだ。な、な、な。頼む!」
間違いなく向いていない。そうは思うのだが、考えてみればいくらなんでも絶対に出来ない事は頼まないだろう。真田であっても勝算があるから安本は頼んでいるのだ。それに、一人しか呼んでいないのだから本当にどうという事も無いちょっとした雑用である可能性も高い。それならば、ここはほんの僅かであってもポイントを稼いでおくのは悪手ではない。何とも打算的ではあるが、真田は降参とばかりに両手を肩まで挙げながら溜息混じりに言うのであった。
「はいはい……分かりました、分かりましたよ。やります」




