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暁降ちを望む  作者: コウ
白の魔女
221/333

「は……注目、ですか……」


 荒木と梶谷の話だと思っていたら自分の名前が出てきたので少し驚く。考えてみれば真田の側に立った理由を説明しているので不自然な事ではないが、それにしても自分にお鉢が回ってくるとは思っていなかったのだ。


 魔法使いと言う、広いんだか狭いんだかどうにも規模の掴みにくい業界において、真田は着実に有名な目立つ存在となっている。本人としては非常に不本意な事であるのだが。それにしても面と向かってこのような事を言われると狼狽してしまう。


「ゆ、優介を見てて良いのはマリアだけだから! ……あ、ちがっ……マリアが見ててあげないと優介は危ないことするんだもん!」

(割と真面目な話になりそうなタイミングでぶち込んで来る子だなぁ……)


 どのタイミングから何を聞いていたのか、黙々と真面目に宿題と格闘していたはずのマリアが唐突に接近して何事か主張している。実に可愛いお子様である。なんとなく空気は和んだが、今は決してその空気を求めている訳ではない。話を聞いておくべき時だろうと、ここまで話に加わっていなかった人物に救いを求める。


「日下君、マリアちゃんお願いできる? 日下君?」

「えっ……あ、はいっ! えっと、すみません、ボーっとしてて……」


 日下の返事は遅かった。真田が店に顔を出した時からずっとボンヤリし続けている。飲んでいるはずのコーヒーもそれほど量が減っている様子には見えない。なかなかどうして珍しい光景だと感じた。普段はもっと真面目で、関係ない話でもしっかりと耳を傾けているようなタイプだ。それもそれで気疲れしそうだが。

 ともかく、それだけ真面目なのだから気疲れもそうだが、何かに深く悩んでしまう事もあるだろう。悩みがあるのかと問い掛けはしない。経験上、溢れ出すまでは自分の中で答えを出せるよう悩み続ける事が大切だ。真田の場合は溢れ出させる場所が存在していなかっただけなのだが。


「いや、良いけど……マリアちゃんの子守をお願い」

「ちょっとぉ! マリアをコドモだと思わないでよ!」


「はい! 分かりました、任せてください真田先輩!」

「あ、うん……張り切ってるね……」


 引き渡されたマリアは元気いっぱいで不満を発している。本当に可愛いお子様である。そして日下はと言えばこちらも妙に元気。これは空元気と言うものだろうか。ボンヤリと沈んでいた状態から反転した躁状態かもしれない。少し不安ではあるが、苦笑しながらマリアを託す。小学生の勉強でも見ていれば少しは気がまぎれるかもしれない。


 長い時間ではないが荒木を放置してしまっていた事を思い出し、頭を掻きながら向き直ってみたが荒木はやはり気にしたような素振りを見せない。それどころか、真田の事を一層興味深そうに眺めている。


「やはり……」

「はい?」


「真田さんは聞いていたよりも以前にお会いした時よりも違っています」

「えっと……? えー、すみません、本人に自覚が……その、あまり無いんですけど……」


 荒木は話しながら一人で勝手に納得したように頷いている。対して真田、思い切り首を捻っている。真田からしてみればほとんど何も変わっていないに等しいのだ。人は相変わらず苦手なまま、慣れた相手と話してみれば決して社会には適合できないような口を叩く。自他共に認める性格の悪さで、荒木と初めて会った時に比べて不思議な関係性の相手は増えても特別に友人が増えたという訳でもない。


「話は伺いました。真田さんは自分を変えたいのだと」

「なっ――」


 絶句しながらどこから話が漏れているのかと考えてみたら、答えはすぐ近くに居た。前髪の奥から睨み付けると木戸が露骨に顔を逸らす。知らない相手ではないし話の流れと言うものもあっただろうが、よくも人の内面的な事を本人の居ない場所で話したものである。今の話の流れから察するに、そこから興味を持って味方になってくれたようなので取り敢えず置いておくが。


 カウンターテーブルの上で両手の指を組んで、何から話そうかと悩むように声も無く微かに口を動かしてから声帯を震わせ始める。


「――僕は、人生は苦しいものだと思っています。いえ、誰にとっても人生は苦しいんです。中には人生は楽しい事ばかりだと言う方も居るかもしれません。ですが、その方は苦難から目を背けて楽しさだけを見る事が出来る、得難い才能を持ったごく少数の方なんです。つまり厳然たる事実として、誰の前にも苦難は存在しているんです」


 何の話が始まったのか、少し理解に苦しむ内容だ。言わんとしている事は分かる。苦難の無い人生はありえない、当然の事しか言っていないのだから。だが、今までの話のどこからもここに繋がってくるとは思えない。話がどこかから急に飛んで来たようにしか思えないのだ。


 そんな真田の困惑を放って、話は続く。


「人生の八割は苦難が占めています。常に人生は、幸せの四倍の苦難があるんです。幸せが大きくなっても苦難の割合は減りません。その分だけ苦難も大きくなるんです。趣味に傾倒すればその分だけお金を稼ぐ必要があります。家族が増えれば当然」


 ただ生きていくだけでも金は必要だ。完全に金から解放されて生きるには自給自足、物々交換によって成り立っているような場所に移住する必要があるだろう。そんな世の中、人生を彩ろうと思えばより多くの金が要る。まだ生かしてもらっている状態の真田にはその苦しさが正確に分かる訳ではないが。


「僕には妻がいます。二人がある程度豊かに暮らせるだけのお金が、ローンが、家賃が、貯蓄が、まだまだ他にも……それらを支えられるだけのお金を稼がなくてはならない。僕は仕事が嫌いです。辛く、苦しく、心が削り取られているように思います。でも、何とか耐えられなくもない」


 そう話しながら、指を組んでいたはずの両手は色が変わるほどに力が込められているのが見えた。耐えられなくもない、そう表現したのは正しいのだろう。平気では決してなく、耐え難いが最後の一線だけは踏み越えないでいられる、そんな限界の状態が窺える。


「分かりますか? 今の僕は幸せと苦難のバランスが取れている状態なんですよ。あとは子供が一人と言ったところですか。これ以上の苦難には耐えられませんが、これ以上の幸せも僕には過ぎたものなんです。僕は大人になった、僕は理想を見ない、僕は現実を見る……子供が一人生まれてくれたなら、後は何も望みません。新たな幸せもなく、新たな苦難もなく」


 恐ろしくなってくるほどに感情の無い声色であった。口を挟む事も憚られる。ありとあらゆる気持ちを自分の内側、その奥の奥に押し込めたような語り口が場を完全に支配している。上手い話し方ではないだろう。だけれども、だからこそ、飲み込まれてしまったかのように『聞かされる』話だ。


「辛く、苦しく、少しだけ幸せな日々がいつまでも続きますように……僕は、何も変わらない事(・・・・・・・・)を望んだ」

「変わらない、事……」


 いつの間にか少しだけ開いていた真田の口から掠れた声が漏れる。まったくの無意識であった。ここでようやく、話の繋がりが見えたような気がしたから。何も変わらない事を望んだ荒木と、自分を変えたいと願った真田はまさに正反対の人間なのだ。表面的に似ているようで、その内側には似ても似つかない思想を持っている。


「だから、僕にはもう無い若さを持って未来の可能性を見つめ変わろうとする、真田さんの事はとても注目しています。僕が大人になった事は正しいのだと確かめるために。あなたはこれからもっと変わっていくでしょう。その先に、それがどれだけ無意味であるか思い知った姿を僕は見たい。あるいは、子供を突き通して可能性を開く姿を僕は見たい。どちらにせよ、まだ真田さんが変わっていくための城を落とされてほしくはありません。それが二点目の理由です」


 ここに、話は着地を果たした。荒木という男の思想、闇、あるいは光か。抱え込んだものを吐露する事によって、当初の話題であるところの理由の説明は終了する。言うべき事を言えた達成感、安堵感か、荒木の身に纏う雰囲気は僅かに和らいだように感じられる。他人よりももう少し踏み込んだような気安さもあるだろうか。


 彼は立ち上がり、背広のポケットから数枚の硬貨を直に取り出してカウンターの上に置いた。そして真田の顔は見ないままに告げる。


「僕は敵ではありません。少なくとも今は。――お喋りが過ぎたかもしれませんね。すみません、あまり、自由に喋る事は苦手なので。今日はこれで失礼します。木戸さん、お会計はこちらに……ご馳走様でした」

「あ、はい……ありがとうございましたー」


 店を出る前に一礼だけして、その姿を消す。店内には木戸の声が未だに残された空気に響いているような気がする。それだけの沈黙。

 真田と木戸と鴨井。三人が無言のままで顔を見合わせる。これ以上はここで平和に休んでいられるような気がしない。言葉少なく、今日はこのままお開きとなった。


 しかし、ここまで自分を曝け出した荒木の事を、真田は言われたように本当に敵とは思えないだろう。何かがあれば相談するであろうという程度には信頼し始めている。果たして真田は単純なのであろうか。


 分からない。

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