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「どっちかと……ですか」
「はい。真田さんと宮村さん、どっちかと」
「あ、片方は僕なんですね」
本人の目の前で堂々と言い切る胆力たるや。表面的に面倒ではあるものの完成度が甘い兄よりも図太いメンタルが完成しているこちらの方が実は厄介である可能性が出てきた。
「えーっとぉ……リアクションには大いに困るんですけど……何故?」
「お二人に近付く事で、私は私の中の世界を深めたいんです」
「あ?」
考えが読めないので口に出してもらったのだが、結果としてもっと分からなくなると言う状況。真田の相槌も口が悪くなるというものだ。遠回りな言い回しの妙など要らないので内容をシンプルな形に直してほしい。ただそんな真田の思いはきっと届いていないのだろう。実和はさらに自分勝手に世界を展開させていくのだ。
「――互いに愛し合いながらも最後の一線を越えられないユウスケとアキラ。いつかは、いつかは……そう思いながらも今日もまた変わらない。そんな折、ミワと名乗る女が現れる……」
「とりあえず実名で妄想垂れ流すの止めましょっか」
考えるまでもなく話が危険領域に入り始めている事が分かる。これはアレである。敢えて正確に表現はしないが、アレである。そして登場人物の顔が片っ端から頭に思い浮かぶ。描写が巧みであるとかそう言った方向とはまったくもって異なるが。しかし随分とイキイキしている。表情はさほど変わっていないが、そんなオーラがひしひしと伝わってくるのだ。
「ミワの巧みな話術に接近を許してしまうユウスケ!」
「おおっと止まる気配が無いぞ」
まるで暴走特急。止まるどころかさらに熱を帯び始めている。何が彼女をここまで駆り立てるのか。それはきっと愛(主に男同士の)なのだろう。
ただ、真田は別にジャンル自体を否定しているのではないのだ。真田は本を読む。一番多く読むジャンルは本格ミステリーだろうか。次点でライトノベル、気楽に読めるラブコメならなお良し。三位はホラー、スプラッタでも文字なら普通に楽しめる。もちろん漫画もよく読む。何だったら読む本の半分くらいは漫画だと言っても良いだろう。とにかく、真田はジャンルにこだわらずどんな本でも読むのだ。一時期はエッセイ本をひたすら読み漁った事もあった。読めれば、面白ければ良いのである。その中にはいわゆる男同士、女同士のような作品まで含まれる。ゲームだって面白そうであればそちらのジャンルにも手を出す。
改めて、真田はジャンルを否定するつもりは欠片も無いのだ。そこは明確にしておきたい。今、真田がどうにかしたいのは別の事。
「未だ汚れを知らなかったユウスケは、強引に与えられた快楽に戸惑いながらも次第にミワを求め始める……っ!」
「公共の場で何を語ってんですか、あなた」
そう、エンジン全開の実和が止まらないのである。最初の落ち着いた様子と比べると明らかに声が大きくなりつつある。この店の構造上の問題か近くに他の客の姿は見られないが、この穏やかでない会話を誰かに聞かれるのもそう遠くはないだろう。よくよく考えてみればこれはもはや会話ですらないが。言葉では止まらない、ならばここは実力行使しかないだろう。そんな自然な流れで戦闘開始のようなノリで(可能な限り穏便に)口を塞ぐ事を決意する真田。
「そしてさらに――」
「はい、もう駄目です」
なおも口を閉ざそうとはしない実和。その顔面に持っていた鞄を押し付ける。すると彼女は「ムギュゥ」と何とも言えない声を発した。これが穏便かどうかは各々の判断。一応とは言え敵対している相手なのだからこれで済むなら穏便だろうと真田は考える。
「ああっ! この後に「やっぱり女が良いのか」と嫉妬に駆られたアキラがユウスケを襲い、そのまま二人は互いの体に溺れて堕ちていく展開が残っているのに……」
「全部言ってるじゃないですか! というか何がしたいんですか、その趣味!」
とりあえず会話は出来るようになったようだが、それでもまだまだエンジンは回転したままらしい。ほんの少し前まで常識人だと思っていたはずの彼女は、どうやら同性愛を見守った挙句に片方を奪っては嫉妬に狂わせ……と、なかなかに倒錯した癖を持っているようだった。どうしよう、もう関わりたくない。
「何が……と問われると、今は真田さんとお会い出来たので……試しに実際落とそうかと」
「その話を聞かせた後でどうして落ちると思うんです」
「……落ちませんか?」
「仮に落ちそうになっても強めにブレーキが掛かります」
即答、断言。ある意味で彼女が一番恋愛のような感情から遠い場所に立っている。未だに出会っていない女性や、何だったら男性よりも遠い場所だ。もしかすると彼女の掌の上でこんな風に考えさせられているのだろうか。
とは言え、断言されてしまったのは寂しかったのか少し落ち込んでしまっていた。なお、感情の動きを何となく読み取ってはいるが、実際は表情はほとんど変わっていない。どれだけ無表情でも着ぐるみの相手をするよりは分かりやすいという独特な価値観が生まれてしまったような気がする。とにかくフォローは必要だ。上手く別れるためにも上手くこの場を収めるのだ。
「……ただ、中身自体は悪くなかったと思います。女性の方に一度傾く所に、性別に対しての繊細で複雑な悩みが窺えます」
「そ、そうですか……?」
批評を聞くと実和の雰囲気が上向きになる。もちろん表情はそのままだ。しかし声が少し高くなったので比較的分かりやすい。心なしか目が輝き始めたような気すらする。ライトとかではなく。
「はい。それだけに最後……強引な形であったとは言え繋がりを得た二人は肉欲に溺れるのではなく愛に浸ってほしいと思うワケですよ。同性で子供は生まれませんが、それを不毛な行為などと言うつもりは毛頭ありません。ただ、だからこそそこにあるのはただひたすら純粋な愛のみの行為であってほしいと僕は思うんです」
何を語っているのだろうとは真田自身も大いに思っているのだが、何故か熱が入り過ぎてしまって批評が止まらない。真田まで止まらない。謎の持論を展開し始める姿はもはや完全に仲間のそれだ。いつの間にか拳まで握り締めている。不思議な状況がそこでは繰り広げられていた。
真田の熱が上がれば上がるほど、表面的には冷静のようだった実和まで熱が上がり始める。感銘を受けたとばかりに胸の前で指を組んで、声にも俄然力が入る。
「真田さん……私、初心を忘れていましたかもしれません。男同士こそ真実の愛……っ!」
「や、そこまで言ってないです」
真田に当てられた実和に当てられ、真田の熱はスン……と急速に引いていく。騙し絵か何かのような不思議な関係性だ。一瞬の興奮であった。この場には冷め切った極寒の精神を持って立ち止まった真田と、完全に軌道に乗って止まる術を持たなくなった実和が居た。
「しかし真田さん、もしや……同士!」
「違います、偏見が無いんです」
「まさかこのような所で、しかも男性の同士に会えるなんて。嬉しいです、神様は居るんですね」
「あ、話を聞く気は無さそうですね」
「落とすなんてとんでもない、私はここで親友に出会えました!」
「僕のランク跳ね上がりましたね」
「いつか二人で業界に革命を起こしましょう!」
「もちろんお断りですよねー」
「私達の未来は明るいですよ、真田さん!」
「そうですか、僕は闇が深まった気がしますよ……はい、聞いてませんね」
どれだけ合間合間にツッコミを挟んでも彼女は止まらない。変に少しだけテンションを上げてしまった反動も込みで一気に疲労が溜まった真田は、抵抗する事も出来ずに固い握手を受け入れさせられてしまう。ここにとうとう、正式な真田の女友達が誕生したのである!
戦いにくくされてしまったような気がしないでもない。




