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「――ああぁっ!」
振り絞った声と共に左手に炎を発生させ、石を振り下ろそうとしていた男の手を焼く。
「なっ! コイツ、起きてやがった! クソッ……あぁっちぃ!」
もがくように立ち上がる。目に映った光景は想定通り、逆転の光景だ。
男の右手が燃えている。二人の魔法の差がここに生まれていた。相手の攻撃は風を使って物を飛ばす。例の杭状の木材が当たっていたらかなりの痛手だっただろうが、ここまで当たったのは全て石だ。防御のしようもあり、耐えられないものではない。
しかし、真田の魔法である炎は違う。例えば腕で防御しようとしても、その腕に炎は燃え移るのだ。その炎は消えるまで相手を焼き続け、ダメージを与え続ける。つまり、炎の魔法に防御は不可能という事になる。一度当ててしまえばそれだけで大きなアドバンテージとなるのだ。
「よし……!」
「野郎、やぁりやがって……」
そう言って男は燃え続ける右手にもう一方の手を向けた。そこから燃える炎を飛ばそうと強い風が吹く。風は炎を強くするが、しかしそれも少しの間だけだ。強すぎる風はその内に燃え盛る炎を散らし、完全に消していた。しかし、その手には紛れも無い、痛々しい火傷の跡が残っている。あまり見たいものではないが、ダメージの証だ。
「クソが……ずっと熱いし超痛てぇ……ああもう、ムカつくなぁ!」
男は苛立ちを隠す事も無く焼けてしまった右手をブンブンと振っている。そうして風が当たるだけでも痛むのか一瞬だけビシッと眉間に皺が寄っていた。
「む、無駄ですよ。痛いんですよね……み、右手は貰いました」
「ああ? 無駄? 馬鹿な事を言ってんじゃねぇよ、シロウト魔法使いが! 良いか、ガキ。テメェに魔法の使い方ってのを見せてやらぁ!」
ギンギンに見開かれた目で射抜かれた真田はどうしても体を竦ませてしまう。人と触れ合わない事は、このように直接的に悪意を向けられた経験も無いという事だ。
そうして男は再び右手を振り、小さく舌打ちをする。そしてその手の動きが止まった時、火傷の痕は綺麗サッパリと消えてしまっていた。
「な、なんで!」
「さぁ、なんでだろうなぁ?」
すっかり火傷の消えた手の甲を見せびらかすようにしながら言う男の口振りからはやはりまだ若干の苛立ちこそは感じさせるが、先程のダメージをまるで感じさせない余裕そのものと言った様子だ。
(どうして……回復する魔法? いや、そんな訳ない。じゃあ腕輪の力……違う、手紙にはそんなの書いてなかった。じゃあどうして……魔法、腕輪、回復……?)
考えを巡らせている間も敵からは目を離さない。男は完全に回復してはいるもののまだ熱いような気がするのか不快そうな顔で手に息を吹きかけている。
(もっと考えろ……そう言えば昨日、あの人の怪我も戦い終わった時には治ってた。あの時は確か……)
思い出されるのは昨夜の光景。全身が燃えていたかと思えば炎は突然、腕輪に吸い込まれるようにして消えた。そしてその後には火傷すら残ってはいなかった。これは今の状況と同じなのではないか。
考えれば考えるほど、それしか考えられないように思える。恐らく、相手の火傷は昨夜の男と同じく腕輪に吸収されて消えた。何故か。そこに辿り着けば、もはや答えは明らかだ。
(戦闘によるあなたの肉体への被害はすべて腕輪が請け負います……致死量のダメージを受けた時に腕輪が代わりに壊れる事だと思ってたけど、違うんだ。いつでも自分の意思で怪我を腕輪に肩代わりさせられる。じゃあ、これも僕にもできるのか……?)
男は取り落としていた石を拾い直して距離を取る。真田の魔法はこの距離では届かない。倒すためには何としても接近する必要があった。
(近付く。どうやって! 思い切って走ってみるか? ……迎え撃たれるかもしれないな。お互いの手の内
は割れてるんだ、焦る必要は無い……余裕を持って、迎撃されても冷静に対処できるようにしよう。大丈夫、問題無い、やれる、僕は魔法の使い方を教えてもらったばかりじゃないか……)
歩く。できるだけ余裕があると思わせるように。
歩く。できるだけ自信満々に見えるように。
真田は、生きたいという意思と勝ちたいという意思を集中させながらゆっくりと、相手に向かって歩き始めた。
「おっと、こっち来るんじゃねぇよ!」
思えばここまで真田が自ら相手に接近しようとはしていなかった。どうやら相手は接近戦に持ち込まれる事を嫌うらしい。物を飛ばす事で攻撃をするのだから当然とも言えるが。
男が再び発生させた強風は真田にとって向かい風。何かを飛ばすためではなく足止め、あるいは真田を後方へ飛ばそうと言う意思を込めた風だ。
「んんっ……」
上げようとしていた足を止める。普通に歩いたのでは確実に前へ進めない、そう理解する。なので真田は足に力を込めた。
腕輪を身に着けてからまだおよそ二十四時間、たったそれだけしか経っていないにも拘らず、真田の体は随分と腕輪の力に頼ってしまっていたようだった。腕輪を着けたからと言っても体力が増えるわけではない。ほとんど力を使わないため、体力の消費量が極端に減っているだけなのだ。だから昨夜はあれだけ長く走り続ける事ができた。
歩こうとする意思に反応して体が動く。その時、腕輪からもたらされる魔力が行動をアシストする。ほとんど足の筋肉を使わずに歩いているのだが、そこに真田は自分の力を加えた。本当に微々たる力ではあるが。意志力を伴った行動アシスト、そして真田の本来の脚力。それらが合わさる事によって再び足は風に対抗するだけの力を得る。
「お、おい……何だよ、こっち来るんじゃねぇよ……」
狙いと反してか、それとも一度は狙い通りに足を止められたと思ったからか。男は動揺を隠せていない。右足、そして左足。順番に踏み出す足はしかし、ほとんど地面から離れていない。それも風に対抗しようとする真田の意思だ。前傾姿勢で、摺り足に近い状態で進むその姿は、這いつくばってでも前進しようとしているようにも見える。




