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暁降ちを望む  作者: コウ
新たなる敵か味方か
208/333

(ああ、帰りたくないなぁ……)


 ほんの少し前とは正反対の主張が真田の頭の中を占めている。どう考えてもどう見ても面倒な二人と別れて暫し歩き、すっかり住み慣れたアパートの姿が見えてきた時の事であった。


 《リヴェール旧杜》という名のアパート。リヴェールとは夢見る人などという意味があるらしいとはいつかに記しただろうか。なかなかの物件だ。割と広くて設備もしっかりしている、それでいて家賃が安い。お金に余裕の無い芸術家志望もゆったりと制作に打ち込める。まさに夢見る人のための家である。

 ここは夢を追う者の集う場所だ。もっとも、真田のように別に夢も何もあったものじゃない人間が居たりもするだろうが、基本的にはそういうコンセプトなのだろう。


 少なくとも、謎の怪物が塀に寄り掛かって体育座りをしていて良い場所などではない。


(うわぁ……もう、うわぁ……)


 どこかの妹もビックリの急激なボキャブラリー低下っぷりである。

 時間も時間であるためか、誰も出歩いていないのが良かった。こんな光景を見られたら悪評が出かねない。一応、敷地に入らないという良識は持っているらしい桜色の怪物が座り込んでいるのだから。


 UFO型の大きな頭、ウサギのような耳、指が無駄に鋭く尖った手。極めて見覚えのある特徴であった。そんな怪物……もとい、着ぐるみをきた人間が夜中に道端に座っていたら、それはきっと変態と呼んでも差し支えないのではないだろうか。そう、それは以前、宮村と二人で死ぬほど追い掛けられた《変態》だった。


(なんっで、こんな所に居るかなぁぁぁぁぁ!)


 たったの一晩でイライラも限界値だ。表面的には冷静な真田も、頭の中は大爆発。そんな場所に座られていると、アパートに入ろうとする時にどうしても隣を通る必要がある。確実に、あの謎の着ぐるみに見付かってしまうのだ。言葉を交わす事も無く追いかけて来た事のあるあの着ぐるみに。


 帰りたくない、けれども立ち尽くすのも勘弁だ。なので解決法は一つ。


(――よし、引き返そう。逆走して……それでもまだ居たらコンビニで時間潰そう)


 決心したら早かった。その判断が正しいのか、その方法でやり過ごせるのか、そんな風に迷う事も無く、すぐさま回れ右して後退しようとする。

 ただ、そこに焦りや力みがあったのは確かだった。内面までもっと冷静に居られたならきっと、ザッと地面を踏み鳴らしてしまう事など無かっただろう。


「!?」

「っ!」


 着ぐるみの頭が凄まじい速度で真田の方を向いた。胴体は微動だにしていない。ホラー映画か何かで人の頭がグラリゴトリと落ちた時のような首から上の独立行動だ。正直に言って凄く怖い。言葉も発する事が出来ないくらいに。


 逃走しようとしていたはずの真田の動きが完全に止まる。まさに蛇に睨まれた蛙と言ったような構図だ。あの謎生物を指して蛇と表現すると少し話は複雑化するが。


 無言で見詰め合う一人と一匹。正確には(きっと)二人。動けない人間と、動かない(恐らく)人間。時間が止まったような錯覚すら覚える。何せ、相手が着ぐるみのせいで表情が変わらないどころか瞬きすらしないのだ。少し身じろぎしたとしても謎生物の皮に阻まれてその様子が窺えない。真田の視界の中では何も動かないのである。


 だが相手は、その静寂を勝手に打ち破る。恐ろしいスピードだった。両手両足をシャカシャカ空振りさせつつ、目にも留まらぬ速度で真田の懐までその生物は入り込んでくる。


「ひぃっ!」


 本当に怖い時は声など出ない、そう思っていたが、それすら超えると流石に悲鳴が出てしまうものらしい。その悲鳴も「わあ」であるとか「きゃあ」であるならまだしも、潰れた蛙の断末魔の如し。


「……! ……!」


 間違いなく魔法使いだと思わせる速度で完璧に隙を突いて接近を果たした着ぐるみであるが、しかし、決して攻撃しようとはしなかった。それどころか縋り付いて無言で何かを訴えかけているような気がする。無駄につぶらな瞳が悲しげに揺らいでいるように見えるのだから不思議だ。


「えっ……とぉ?」

「! っ!」


 やはり何かしらを訴えている。この着ぐるみ姿の相手には敵意が無い、そんな風に感じた。もっとも、素人に毛が生えたような真田がそんな玄人全開の判断方法を用いたところで信用できるかどうかは別だが、とりあえず今は真田一人なのでそれしか判断材料が無い。


「オッケ、分かりました。冷静に話し合いましょう。何を言いたいんです?」

「!」


 今の「!」は何となく嬉しそうだったような感じがした。割と感情表現が豊かなのかもしれない。感受性を試されているような気分になるが。

 着ぐるみは唐突に体中をポンポンと軽く叩き始めた。少しだけドラミングを想起したが、この行動を人間に当てはめて考えると、どこにしまったか分からなくなった物を探しているのだと分かる。ああ、人間なんだなぁと今さら思った。


 その探し物が見つかったのはポケットの中だったようだ。ポケットと言っても内側ではない、外側に付いているポケットだ。黄色い腹部にあるポケット。いわゆる四次元某のようなタイプではなく、切れ込みが入っているような感じだ。


(有袋類……っ!)


 謎生物の生態が少し明らかになったところで着ぐるみが取り出した物。一瞬カンガルーの子供でも取り出すのかとも思ったが、そこから出てきたのは携帯電話だった。二つ折りの携帯電話、ゴールドだと思われるその色はくすんでいて、よく見れば傷も多い。かなり使い込んでいるのが窺える。


「……! ……っ!?」


 その携帯を、着ぐるみはもたもたと触っている。やたら大きくてフカフカの手では上手く扱えないのだろう、開く事すら出来ない苦戦ぶり。どうしたものか、何がしたいのか分からないから手出しも出来ない真田を尻目に、着ぐるみはとうとう堪忍袋の緒が切れたようだった。


ズボァ!


「ひぃっ!」


 着ぐるみの右手、その手首の辺りから急に人間の手が突き出してきたのだ。どこぞのアメコミヒーローが糸を放つシューターを付けているポイントだ。出たのが糸ではなく手なのが問題であるが。肩慣らしとばかりに不気味に蠢く五本の指。ちょうどお化け屋敷で障子を突き破って手が伸びてきたのと同じような感覚だった。即ち恐怖。


(か、隠し腕……?)


 謎生物、驚異の生態。そんな見出しを頭の片隅で考える真田の目の前で、左手首からも手を出した着ぐるみはしっかりと携帯を握り、そして開いて真田に画面を見せ付けてきた。


「ん……ん? ……ああ、電池切れてるんですね」


 ただの暗い画面、最初はそう思ったが、それは正確に言うと明るくならない画面であると分かる。見せたかった物の答えに辿り着くと、先程の様子と合わせて着ぐるみがどのような状況に置かれているか何となく分かった気がする。


「もしかして、道が分からないんですか?」

「!」


 凄まじい勢いで何度も何度も頷く着ぐるみ。そんなに揺らすと頭が落ちてしまう、危険だ。いつの間にかマスコットキャラ感覚で見ている自分に気付く。

 どうやら帰り道の分からない所まで来てしまったが携帯電話を使えば何とかなるだろう、と思っていたら電池が切れてしまってどうしましょう、そんな状況らしい。携帯電話が無ければどうしようもない、現代文明の影響の強さをこんな意味不明な生物から教えられるとは。


 着ぐるみは目を輝かせているように見えた――と思ったら、本当にチカチカ点滅していた。緑色に。まさかの発光LED搭載である。不必要な技術が使われていて少し腹が立つ。


「その無駄ギミックをさっさと消してください。さて……」


 頼られたからには放置する事も出来ない。携帯電話を受け取った真田は、いい加減に疲れ果てた頭を働かせながらそれを観察する。すると、いくつかの事が分かった。


 まず、この携帯電話は随分長く使っている物である事。

 次に、コンビニはあるが、今時ガラケーに対して有効な手段があるか分からない事。

 また、この不審者をコンビニにリリースするのは危険であるという事。

 更に、真田の長く使っている携帯電話とキャリアが同じである事。


「…………地図ですか? 連絡ですか?」


 真田の問いに対し、着ぐるみは最初は首を振って、その次に頷いて見せた。どうやら帰るための方法は地図で調べるのではなく誰かに連絡をするらしい。


「連絡先を覚えていますか?」


 この問いには首を振る。アドレス帳という機能は親しい相手だからこそ逆に連絡先を忘れさせてしまうものらしい。残念ながら想定内の答え。



 真田は帰りたいのだ。妙な障壁さえ無ければ、やっぱり帰りたい。今すぐ帰りたい。何を犠牲にしても帰りたい。


 何を主張したいのかと言うと、道が分からなくなるほど離れているらしい家まで着いて行きたくなどない。だが、現実的に考えるとそれしか方法がない。連絡先を覚えていないのなら、電話を借りる事は不可能。携帯を貸し与えて一人で帰らせるのは自分が不便。つまり真田が自分で地図で調べながら送り届けるのが最善。


 それに対して、何が何でもすぐ帰りたいという強い気持ちが反発する。


 見捨てるという選択肢は無い。仮に選択しても物理的に縋り付いて粘着されるのがオチだろう。存在していても選ぶ事が出来ない選択肢だ。という事はそもそも送り届ける以外の選択肢など用意されていない。

 しかし、色々あってとても疲れた今晩の真田は、とてつもなく大胆なもう一つの選択肢を強引に作り上げてしまうのであった。


「…………ここ、僕の家なんで。僕の使ってる充電コードが使えると思いますから、充電しましょうか」

「っ!」


 着ぐるみの目が点灯した。高速で頷き、縦線二本の緑色の光の軌跡が宙に描かれる。どうやら喜んでいる様子だ。


 それならば良かった。相手も嬉しい、真田も帰れて嬉しい。


 これまでいくつもの出会いがあった。こんなものもまた、真田の今後の人生に大きな影響を与える出会いである事を、彼はまだ知らない。


 真田 優介、謎の生物一匹お持ち帰り。

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