12
「おじ様、なんで……」
「何故、か……愚問だと思わないかな? 勝者は一人、つまり僕達はそもそもいつか雌雄を決する必要があった。それが少し早くなっただけの事だろう? 毒殺も辞さないと言っていた君らしくもない」
「ぐ、ぅ……っ!」
宮村が見た光景は不思議なものであった。初めて訪れてからもう何度も何度も見てきた、日常の一部分となってきた店内にまるで生きているような氷の像が何体も存在しているのだ。それはこの日常の風景によく溶け込んだ、よくよく見覚えのある人物達の姿をしている。そしてまさに今、氷の像はさらに一体完成してしまう。
確かにここに居るのは仲間ではあっても、生き残っていればいつか戦う必要がある相手だ。ただ、力を合わせてきたはずだ。戦う時が訪れたとしても、それは正面から向かい合って。いや、各々スタイルと言うものがあるのでそうでなくても構わないが、少なくともこのような形になるとは思っていなかった。
もちろんそれは甘い考えに違いない。だからこそ篁も返す言葉を失ったのだ。その気持ちが、最後に完成したまるで篁を内側から凍らせたような氷像の顔にとてもよく表れている。
もはや氷像などという言葉に変換する事が宮村の頭では出来そうになかった。吉井が、雪野が、日下が、マリアが店長が鴨井が篁が、儚く冷気を纏った人形のように凍結させられている。
「テメェ……!」
「安心すると良い、実験済みだ。どうもこの方法では殺せないみたいでね……もちろん、凍った頭を破壊でもすれば別だが、今はそうするつもりは無い。僕が解除すれば嘘みたいに元通りだ。腕輪が無くても凍傷だって負わないよ。君達とは少し話をしておこうと思って速度を遅らせてる。疲れるから用件は早く終わらせようか」
君達? その表現に疑問を持った宮村が目だけで周囲を探ると、意識まで凍ったように完全に動けない氷像とまではなっていないが、体はほぼ凍って動かない宮村と同じような状況にある荒木の姿が見えた。今残っているのはこの二人だけ。
梶谷は荒木の方に顔を向ける。角度がついて宮村には少し分かりにくいが、その顔には笑みが湛えられていた。
「さあ……荒木君とやら、何か出来る事はあるかい? 僕に触れる事には失敗したようだが」
などと言いながら梶谷は右手を差し出す真似をして見せる。
(あの握手、何か企んでたのか……!?)
何かしらの考えに基き、梶谷だけを狙って行動した荒木と、その企みの匂いを嗅ぎつけて握手を拒否した梶谷。宮村の与り知らぬところで二人は戦いを繰り広げていたのだ。
「……こんなに早く動くとは思いませんでした」
「宮村君が殊更に気にしなければいつか消える話だと思っていたんだがね……正体が判明してしまったなら仕方がない。――ただ、早い遅いなどと言う話ではないんだよ。僕は最初から、こんな形になる事を想定して仕掛けはしていたからね」
「まさか、バレそうになるきっかけも存在しない内から……? それは……参りましたね」
荒木の声に動揺が走ったように感じられる。ずっと用意していたと言うのだ。いつか訪れるであろう裏切りの時まで、ずっとずっと。
「どうやら打つ手は無さそうだ。君の能力はよく分からないから調べておきたかったが……触れなければ使えないようだね。不安は残るが、接触には気を付けさせてもらおう」
一人で結論を出した梶谷が指をパチンと鳴らすと、荒木は苦しそうに首を逸らし、そしてそのまま動かなくなってしまった。あまり表情の動かない人だと思っていた。少なくともこのような苦悶の表情を浮かべるような人ではないと。
残るは一人。腕は動かず戦う事の出来ない、口だけ残された、たった一人。
「おっちゃん……」
「君を残したのは、そうだな……伝言役のようなものだ。実験とは言っても意思の疎通が出来る相手では試した事が無いんでね、この話がみんなに聞こえているかどうか分からないんだよ」
宮村の方に歩み寄って来た梶谷は飄々と言った。宮村の能力は把握されている、そして確実に手は動かない。まるで恐れる必要が無いと言わんばかりのその様子が堪らなく悔しい。
「何でだ……」
「うん? さっきも言っただろう? いつか雌雄を決する必要が――」
「そうじゃねぇよ……何でこんなやり方が出来るのかって聞いてんだよ!」
ただひたすら、その方法が気に入らなかった。無関係な人間を騙し討ちした事が宮村はある。そして、その事については反省している。だからこそ、無関係の人間に対してでも無感情ではいられないのに、何故共に戦った仲間にこのような事が出来るのかが分からない。
しかし、それに対する答えは実にシンプルなものだ。
「……僕がそれを出来る人間だからじゃないかな?」
「なっ……」
「君は何故、呼吸が出来る? 分からない。君は何故、心臓を動かせる? 分からない。僕は何故、君の理解が及ばない行動が出来る? 分からない、そういうものだから説明なんて出来やしない。簡単な話だよ。僕がそういう人間だと知らずに、一体どれだけ油断していた? だから君達は気付けない。今そこにある、本当の危機というものに」
「うるせえ! ゴチャゴチャ言いやがって、つまり人を騙しても何とも思わねぇクソ野郎って事だろうが!」
睨みを利かせて叫んでも、それが影響を及ぼす事を「届く」と言うのならば、梶谷には一切届いていない。もはやそんな事しか出来ない無力な存在が感情に任せて吠えているだけなのだ。心に届いて響くはずもない。
「騙す。騙す、か……それは子供の甘さだな、宮村君。君には大切な目的があったはずだろう? そのために切り捨てるのさ、必要な事だよ」
「黙れよ! 大人みてぇな事ばっか言いやがって……子供の言う事は間違ってるとでも言う気かよ! 子供の言う事を聞きやがれ!」
ジタバタ、ギシギシ。思い切りもがこうとしてもやはり体は動かない。そんな不自由さが相手の言動に対する苛立ちと重なって、さらに言葉を熱く荒くさせる。目を剥き牙剥き、怒りを言葉に乗せて吐き出す。
そんな発言が今度こそ届いたのかは分からないが、梶谷は深く息を吐いて口を開いた。
「大人が正しいとは限らない、確かにその通りだ。世の中には間違った大人がたくさん居る。なるほど確かにその通りだよ、大人と言うのは決して正しい存在じゃない」
「…………」
返ってきた肯定の言葉。まさかこんな状況で同調する返事が来るとは思わなかった宮村は思わず毒気を抜かれてしまいそうになる。
「しかし、だから逆に子供が正しいのかと問われたらそれもまた違う。間違う子供もたくさん居る。そう、子供も大人も関係ない。言葉の重さ、個々人の思想は人間という種の名の元に公平なんだよ」
「だから……何だってんだよ」
何の話をしているのか分からなくなってきたが、悪くないような事を言っていると理解した。どんな言葉を返せば良いのか分からない事もあるが、あれだけ強かった語気もすっかり弱まってしまう。
ズイ、と、そんな宮村の顔に梶谷の顔が寄せられる。ギラリと強く輝く目をしていた。驚くものの顔は動かせない。
「公平だが、子供と大人で決定的に違う所が一つある。それは……経験だ。この世界でより長く生きてきた、その経験量が違う、違い過ぎる。正しいものではないかもしれないが、聞く価値はあるはずだ。君達よりも長く生きて多くの経験をして違う目線を持っている。君にそれを拒絶する資格はあるのか? 子供の言う事を聞けと強要するのは横暴ではないか? 大人と子供と言う立場を利用して喋っているのは君の方ではないか?」
「っ……」
迫力だ。言葉の圧力だけでどこまでも押し込まれていくよう。足は動かず少しも移動していないのに精神はジリジリ後退させられている。押し潰されそうな圧はしかし、クリーンブレイクの如く解放される事となる。
「――などと、捻くれた僕は思う訳だが、これは別に必要な話ではないね。少しムキになってしまったみたいだ」
体を引いて距離を取る梶谷。本当にそれだけで体の上に乗っていた大岩が無くなったかのように天に昇るような軽さを感じるのだから、それだけの圧を目の前の一人から掛けられていたという事だ。宮村は梶谷と戦った事は無い。真っ向から本格的に向き合った事が無いのだ。これほどの恐ろしさがあるとは思わなかった。
「さて、みんなと真田君に伝言を頼むよ。ここまで付き合ってくれたお礼だ、この場は見逃す事にしよう。その気があるなら僕を殺しに来ると良い、僕が直々に皆殺しにしてあげるよ。それでは……以上だ」
一方的に用件を伝えて梶谷は背を向ける。もうこれ以上の話をする気は無いと言う意思表示だ。完全に閉じている。説得して心変わりさせるどころか、もう引き止める事すら出来る気がしない。
それでも、今の宮村に出来る事と言えばただ声を上げる、たったそれだけだった。
「待てよ! おい、待――」
言い切るのを待たず、宮村は声すら出せなくなってしまった。体の凍結。意識はあった、しかし、頭の奥の奥まで凍り付いたように思考は纏まらない。生きながらにして氷像となった、これがその感覚。二度と元には戻れないのではないか、そんな恐怖が思考によって防御する事の出来ない剥き出しの心を責め立てる。ガラス玉のような目が、店を後にする梶谷の姿を捉えたような気がした。もう届かない、もう止められない。
背後から味方に撃たれて、手も足も出せず、挙句に見逃される。こんな屈辱があるというのか。恐怖が責め立て、無念が締め上げる。
声を出す事も出来ない宮村の心は、たった一つの言葉で埋め尽くされた。
(クソ……クソッ! クソ野郎ォォォォォォ!)
満たされた心で帰る者が居る。
穴の開いた心で叫ぶ者が居る。
固く結んだ心で往く者が居る。
誰もがそれぞれ自分の人生という名の道を進む。その道は曲がって、分かれて、時に重なり時に離れる。それは当然の事。だからきっとこれも、当然の別れ。
この日、彼らの仲間が一人欠けた。