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『情報屋? ああ、まだその話してたんですか……』
「まだって言うなよ、当事者にとっちゃ大事なんだからな?」
『僕も当事者ですよ』
まさに危機が迫っているかもしれない宮村はもちろんだが、既に危機に見舞われた真田もまた当事者である事は確かだった。だが、その割には真田のテンションはどうも他人事の話か何かをしているかのように上がっていないと感じられる。
本人としては終わった話であるかもしれないが、全体としてはまだ終わっていない。それ故に宮村としては少し不満に思う。
「お前さ、もうちょいノッてきても良いんじゃね? もうちょっとでも真面目っつーか何つーか、付き合ってくれてもさぁ……」
『そんなに知りたいですか? その情報屋の正体』
「ったり前だろ? 俺からすりゃ今そこにある危険なんだよ」
『――じゃあ、ヒントくらいはあげます』
「は?」
それは何とも不思議な言い方だった。妙に上から目線。そう、まるで「既に答えを知っている問題を他の人に解かせている」ような――
「お前、何を……」
『僕を呼び出した手紙について話しましょうか。アレ、流石に絶妙過ぎるんですよ。雪野さんを名乗ったあの手紙じゃなければまず僕の事は呼び出せなかったでしょうね……無数の名前の中で唯一、つまり、その名前を選んだのは偶然ではありえません。確信を持って雪野さんの名前を使ったんです』
「確信たって、お前」
話を聞き、その内容を理解しながらも宮村は未だ困惑の中に居た。真田の口振りには淀みが無い。当たり前の事を当たり前に話している、そんな様子だった。どこに向かっているのかも分からない車に乗せられているような気分にさせられる。運転手に一切の迷いが無いのがまた妙な不安を掻き立てるのだ。
『さて手紙の差出人について考えてみましょうか。あー……それは情報屋とか叶さんとかって意味じゃなくて。結果的に雪野さんの名前を選べるほど情報を集めたワケですから、僕の性質みたいな部分も調べてあると思った方が自然ですよね』
「性質?」
『誰だか分からない人に呼び出されても僕は行かないって事です』
真田の人に対する心の壁は非常に強固だ。わざわざ情報を集めようと思わなくても見ていればすぐに分かる。真田を呼び出す事が出来る人物というのはかなり限られてくるのだ。
『手紙に名前が無ければ僕は出向きません。署名がマストなんです。じゃあ名前を書くとして、三つのパターンがあります。まずは知らない人のパターン。これは名前が書いてないのと同じです、僕は行きませんよ。二つ目は親しい相手のパターン。宮村君や吉井さん辺りですね。この場合も僕は不審に思います。わざわざ手紙を書く意味分かりませんし、何だったら僕から何の用か確認しますし。ここまで分かりますよね?』
「…………おう」
確認されなくとも難しい話ではない。簡単に言えば、基本的に手紙で呼ばれても真田は行かないという事だ。知らない相手、親しい相手。どちらにしても手紙という連絡手段を真田は受け入れない。ただ、手紙が狭い狭い隙間を縫うようにして真田の心の中にまで届く可能性が皆無であるとは決して言っていない。
『もう一つのパターンは、その中間です。知っている相手、けど凄く親しいワケでもない相手。そこに属するのは三人。雪野さん、ショーゴさん、レージさんです。……まあ、後の二人には非常に良くしてもらってますからここに入れるのは心苦しい所ですが。ともかく、この三人の中からじゃない限り僕は手紙に反応しません』
「だから、その中から雪野を偶然……」
『それは違います』
即答、そして断言。こうなれば宮村も確信を持つ。真田は間違いなく、情報屋について詳しく知っている。たった一つの結論に向かって真っ直ぐに話を進めているのだ。
その論を止める事は出来ない。あの真田がこれほどまでに堂々と言い切っているのだ、情報屋の正体について推測の域を超えて突き止めたと言っても過言ではないほど確かな自信を持っている。ならば宮村に出来る事と言えば相槌を打ちながら真田を乗せて上手く話を前に進める事だけ。
「何が違うんだ? 三人の中から雪野を選ぶんだったら可能性は充分だろ?」
『僕はショーゴさん、レージさんの二人は除外できると考えています。ある前提に基いて考えると、二人を除外して雪野さん一択に絞る事が出来ます。そして同時に、とても簡単に僕と関係無い人を区別する事が可能になります。そして、その前提を満たす事が出来る可能性がある人物は極めて少ない』
「そいつぁ……至れり尽くせりだな」
真田の言う所の前提、それを信用すれば無数の可能性のほとんどを消し去り、雪野の名前を使った理由も分かった上に情報屋の正体に近付けると言うのだからありがたいものだ。なんとも守備範囲の広い。どうやら真田はそうして考えた結果として至った答えに確信を持っているようだ。それだけ少なくとも自分の中では筋が通っているらしい。
『ショーゴさん、レージさんが差出人になれない理由は……宮村君、手紙を書くとして、自分の名前はどう書きます?』
「あ? あー……フルネームか、普段の呼ばれ方とかか?」
『……正直、僕の感覚がガッツリ一般から離れてないみたいで安心しました。さて、つまり手紙を書くためには普段の呼び方かフルネームを把握する必要があります。それじゃあもう一つ質問、僕は二人の事をなんて呼びますか?』
「えーっと、章吾さんと礼治さん……だろ?」
『違います、ショーゴさんとレージさんです』
「今なんか違ったか!?」
『大違いですよ。偽の手紙を信じ込ませるためには徹底的にリアリティが必要です。でも、僕の中での呼び方を本人達が正確に知る事は出来ません。だから普段の呼ばれ方は署名として使えません。知らない情報は使えませんからね。じゃあフルネームはどうか。僕は確かに二人のフルネームを知っています。……まあ、正確に覚えているかと聞かれたら微妙ですけど。でも、僕が二人のフルネームを知ったのは手紙を受け取った直後なんですよ。知らない情報は、使えません。二人の名前ではどうやっても僕に手紙を出す事が出来ないんです』
「なる、ほ……や、いやいやいやいや、ちょっと待てよ。考えてみたら、お前が知ってるかどうかなんて関係無いだろ? 二人のフルネームなんかいくらでも調べようがあるだろ」
少し納得しかけたが、宮村の直感が話の中の違和感に気付いた。真田は知らない情報は使えないと繰り返すが、「真田の頭の中」もまた知り得ない情報のはずだ。普通に考えてみれば、真田が知っているか否か、そんな事には一切関係なくフルネームを使う事が可能であるはず。少し手間を掛ければクラス全員の名前を調べ上げる事くらいは出来るのだから、真田の言う事はまったく筋が通らない。
しかし真田は、そんな発言を受けても動じたような様子が声からは窺えなかった。しかも、指摘を受けた問題点について説明する事も無く話を続けようとする。
『その時の僕と雪野さんの関係性については調べようがありませんね。ちょっと、こう……複雑な色々が諸々で少し険悪な感じになってたワケなんですけど、その原因を雪野さんは絶対に他には漏らしません。傍から情報を集めると、原因不明だけどとにかく僕を嫌っている。当時の雪野さんは僕に手紙を出すような人では決してなかったんですよ』
「じゃあ雪野も除外されるんじゃねぇか?」
『そこで、さっきの二人の名前の件と合わせて考えましょう。雪野さんと険悪になった原因、呼び出される心当たり、そして二人の名前を知らないという事。これらは全部、僕の頭の中にある事です。だから誰にも分からない……普通は。けど、頭の中が覗けたら、全部が一気に繋がって成立します。僕の言いたい事、そろそろ分かりましたか?』
「え? …………あぁ?」
どうやら、真田としてはそろそろ察しても良いと思っているらしい。確かに答えではなくあくまでヒントだと言っていた。だから途中で考えを委ねられるのは当然の事だろう。むしろヒントを与えるだけ与えて電話を切るなどという事をしてこなくて良かったと思いたい。
だが、委ねられた宮村の脳内は空転を続ける。とにかく話を聞こうとしていたせいか、頭の中では真田の言葉がグルグルと回って、そして溶け合い形を失って淀んだ渦が出来上がっていくようだった。その渦の中に答えはあるのか、そう思っても中を見通す事はどうしても出来ない。
「み、宮村先輩? 凄い顔ですよ?」
その渦に飲み込まれてもがいているような顔でもしていたのだろうか、横から日下が心配そうに覗き込んでくる。口を挟まないでいてくれた他の面々からすれば、主に喋っている真田の声は聞こえずに宮村の返す言葉ばかりを聞いている。それでは状況がちゃんと分かるような事は無いだろう。そして宮村も状況を上手く説明する事が出来そうにない。だから考えるのは宮村一人の仕事だ。
「えっと……宮村君、私がどうかしたの?」
「二人でカナの悪口言ってたら怒るからね」
「考えて、どうしても分からない事があれば考えるのを止める事も手だよ」
「説明してくれるなら知恵くらいは貸してあげるんだけどねぇ」
雪野、吉井、梶谷、篁と口々に声を掛けてくる。それは分かっているし頭に入ってきているのだが、頭は変わらずグルグルモヤモヤ、何か返事をしようという発想すら浮かんでこない。
そんな様子を感じ取ったのか、それとも設けていたシンキングタイムが終わったのか、電話の向こうから真田が息を吐き出す小さな音が聞こえてきた。
『ふぅ……最後のヒントです。宮村君は、僕の書いてる日記を読みましたか?』
「はぁ? そんなの、興味はあるけど勝手にこっそり読むワケないだろ」
『そうでしょうね、そういう人だと思います。あの日記は僕の頭の中と言っても良い。――そんな日記を読んだ可能性がある人が二人居ます。そして、その内の一人は読んでいない事を僕が確認しました。……以上です』
(日記? 読んだ可能性……?)
何をどう考えれば良いのか、何も見えていないような状態からは最後のヒントによって抜け出す事が出来た。今は確かかどうかは分からないけれど何とか手掛かりを掴んでいるような、そんな状態。
(日記を読んだ? 二人? 誰だ? ……いや、日記と言えば……)
疑問ばかりが浮かぶ脳内に、ふと、いつかの光景が思い浮かんだ。いつも通りカフェに集まる面々。どんな用事で集まったのだったか。そんな中で一瞬だけ日記が話題に上がったような、そんな覚えがある。
―― って言うか、僕の家のパソコン勝手に使ってなかったでしょうね? あ、日記見てたりもしてないでしょうね! ――
―― 日記? ああ、あのノート? いくら私でもそんな事しないよっ! ――
そう確認だ。あの時、真田は既に確認していたのだ。一緒に暮らしている時期のあった吉井は、真田の居ないタイミングで日記を読む事が出来た可能性がある。それをあの段階から確認していた。
(二人の内、片方は吉井。でも読んでない。じゃああとはもう一人、それが情報屋? あと一人? 誰……)
頭の中で警鐘が鳴らされているようだった。内側で痛みを伴う大音声が響いているような気がする。何かを思い出せそうな、その何かを忘れさせるような。思考が一歩も前に進まない。
『考えてください。考えて分からなければもっと考えてください。僕が答えを言ったんじゃ意味が無いんです。自分で出した答えだから受け入れられるんです』
立ち止まった宮村の背を押すような静かな声。合成音の声でもそれには不思議と力強さを感じる事が出来た。少し会わない内に何かあったのかもしれない、そんな所から精神的な成長のようなものを感じさせられた。
(そうだ……考えろ……真田の日記に近付けるような人間もタイミングも嘘みたいに限られてるんだ……その中に答えがある)
そう、確かに居たはずなのだ。あまりに堂々と日記を手にする姿を宮村も見ていた。確かにその犯人はそこに居た。
―― ははは、いやいやすまない。いくつになっても好奇心は止められないものさ。なかなか面白い物も見られたしね ――
「……あ、ああ……っ!」
『……では、健闘を祈ります』
「あっ、おい! 真田! ちょっ――」
もはや語るべき事は無い。そう言っているかのような問答無用さで電話は切られてしまった。ただ、その切り方は先程思っていたような言う事だけ言って切るような感じではない。ゆっくりと、宮村が答えを出すのを待っていた。そして、その答えは合っていると、同じ考えだと、言葉なしで通じ合った。その上での納得した切り方だ。
だから、この答えはきっと正しいのだと思った。だから、この答えは口にするべきだと思った。
そうして携帯電話を閉じようとしたその時――
「っ!?」
世界は、否、宮村の体は止まった。いや、それも違う。この場に居る人間の動きが無理矢理、止められてしまったのだ。
「潮時、か。いや残念だよ……もう少し利用し合えると思っていたんだが」
動かない体を必死に動かして後方を見る。
梶谷 栄治。その男は、心の底から残念そうに首を振っていた。




