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暁降ちを望む  作者: コウ
気付けない
201/333

10

 宮村 暁は脱力していた。


 蒸し暑く気怠い夜、昨日も今日も、明日からもまだ暫し続く事だろう。そんな粘着質な暑さを振り切るように涼を求めてみんながいつも通りカフェに集まる事は、街灯に虫が集まるくらいに当然の事だろう。若干、例えとしては良くない気がするが。


 さて、「みんな」と記したが、ここで「みんな」がどれだけ「みんな」であるかを明確にしておきたい。まずは宮村、そして木戸店長。日下と梶谷、吉井と雪野、篁とマリア、そして鴨井。さらには何故か荒木までもがここに居る。それくらいの「みんな」である。


「妻の母の体調が思わしくないようで、実家に行ってもらいました。ですので今夜はここが開いていれば食事でもさせていただこうかと」


 などと言って荒木がやって来た時には驚いたものだ。宮村はそう何度も会っている訳ではないが、少なくとも日が昇っている間にやって来る人の印象だった。いや、店長までその姿を見た時に驚いていたのだから実際にそうだったのだろう。どうやら夜はちゃんと家で過ごすタイプらしい。あまり社交的、行動的にも見えないし話してみてもその印象を受けないので推して知るべしと言った所か。


「ああ、そうだ……」


 あまり食が太い方ではないのか、軽く用意された食事に手を付けて満足したらしくコーヒーで一服していた荒木が不意に立ち上がる。誰もがあまり動こうとしない恐ろしいほど怠惰で静かなタイミングだったせいもあってか、何となく視線はそちらの方を向く。立った荒木はそのままゆっくりと歩いて、一人本を読んでいた梶谷の元へと向かった。


「先日は、きちんと挨拶も出来ず申し訳ありませんでした。荒木知之と申します。梶谷社長にお会いできて大変光栄に思います」

「これはこれは……社長ではないんだけれどもね。OA機器か……残念ながら私には協力できそうにないかな」


 受け取った名刺を眺めながら梶谷が肩を竦める。そんな目の前に手が差し出された。


「……握手を、していただけたら」


 梶谷栄治といえば知っている者からすれば大人物だ。カジヤ社がその地位を高めたのは彼の手腕による所が非常に大きいと言われている。一線を退いた今でもその影響力は大きい。もはやちょっとした神のような存在だ。握手を求められるのも必然だろう。しかし梶谷は固辞するような向きで手の平を見せて返す。


「生憎だが、軽々に握手なんかはしないようにしているんだ。君を信用しない訳ではないんだが……まあ、当然の自衛だと理解してほしい。すまないね」


 立場が大きくなるとより大きな力を行使できるようになるが、同時に自由な行動は制限されるようにもなる。挨拶としての握手一つ取ってもその光景を目撃した人物の解釈によっては何かしらの企みであるとされてしまうかもしれない。厄介な事だ。その言には一定以上の理があると判断したのか、荒木も少し間を置いてから「分かりました、こちらこそ配慮が足りず申し訳ありません」と差し出していた手を引っ込める。


 荒木が座っていたカウンターの席に戻ると、そこで話は完全に終わる。様子を窺っていた全員が再び自分の時間に戻った。まるで短編作品の出来の悪い寄せ集めだ。何かが起こってもすぐに終わり、そして後にも続かない。全ての出来事が独立していて、互いに無関心。もっとも、それが悪いと言う訳でもない。同じ空間で勝手気ままな時間を過ごしているという薄い連帯感で繋がっているのは割と心地よい。こんなにも出来の悪い短編集なのに何故だかたまに読みたくなっている不思議な気持ち。


 ただその不思議な気持ちで終われないのが宮村という男だ。落ち着きが無いと言うべきか、落ち着く事に飽きてしまったと言うべきか。まあ一番は、渋々やっている夏休みの課題に飽きた事が原因なのだろう。


「あー、今日もあっちぃよなー」


 少しわざとらしいくらいに声を張って話題を周囲に振るのだった。


「そうかい? 確かに冷房は抑えてあるけど、涼しいものだと思うけれどね」

「……梶谷さん、さっきからたまにハンカチ凍らせて当ててるの見えてます」


「む、不覚」


 日下も含めた何とも気の抜けたやり取りであるが、それで注目を集める事が出来たようだ。話を続けるとそこに他の面々も加わってくるようになる。


「おっちゃん良いよなぁ、地味にスゲェ便利じゃん、それ」

「夏場はな」


「水とかすぐ凍らせられるんでしょ? 梶谷のおじさん、かき氷いつでも食べ放題だ。すごいすごーい」

「もう……香澄、さっきからかき氷の食べ過ぎよ?」

「暑い時だけな」

「海人クンうるさい! いちいち茶々入れない!」


「かき氷食べたい!」

「マリアちゃんはダメ、歯ぁ磨いたでしょ」


 混沌である。あれだけ静かな空間だったのが、一瞬にしてこの有り様だ。潜在的に騒がしさ、纏まりの無さというものを持っている集団なのである。「無さを持っている」というのも妙な言葉であるが。


「こんなに暑いと特訓の熱の方は冷めるっつーの? 流石にちょっとダラッとしちゃうわなぁ」

「まあ別に良いですけど、特訓する時はちゃんとやりますからね? まだまだコントロール甘いですよ」


 などと言われようが、少なくとも今日はあまりやる気が起きないのだから仕方がない。最も精度の高い右ストレートはなかなかのものだと自負しているが、それ以外はまだまだ枠を素通りとはいかない。相当集中して特訓を続けなければ道のりはまだ遠い。


「特訓か……頑張ってるみたいじゃないか。しっかり励みなさい」

「へいへい、せいぜい頑張るよ」


「だいじょーぶかなー? 宮村、宿題も頑張れないのにー」

「お前も雪野に頼りまくってるじゃねぇか!」


「ごめんなさい、宮村君も手伝いたいんだけど、真田君との約束で……」

「そこの約束スゲェ守るのは何なんだよ!」


 心の底からの叫びである。真田からの要請を完璧に守っていて雪野は宮村にだけは一切協力をしようとしない。それでいて顔を合わせるたびに課題は終わらせろと口を酸っぱくして言うのだから堪ったものではない、


「香澄、かき氷ちょーだい!」

「へっへーん、ダメ。さえちゃんは大人しく我慢してなさい」


「人に教わっただけの連中がどうしてあんなに楽しそうにしてるんだ……」


 世の中は不条理である。もちろん一部の課題はやらずに提出しないでも良いと思っている宮村が言えた台詞ではないのだが。


「つーかテメェ、いつまで手ぇ止めてんだよ。やれよ、それ」


 などと、鴨井もいい加減気になっていたのだろう、取り組む気持ちが表れているかのようにとうとう閉じられてしまった問題集を指差しながら指摘する。もう課題には飽きた、この気持ちは少なくとも今日の内は変わらないだろう。続かぬ集中力、これでは課題はもちろん特訓も先は明るくない。


 ペンを置いて空になり何となく寂しかった手の中にはいつの間にか携帯電話が握られていた。無意識の内にポケットから取り出していたのだろう。ここ数日は持っている事が多かった物だ、体が勝手に探し求めているのも無理からぬ事かもしれない。


「やー、もう宿題もしたくねぇし」

「おい」

「今日も真田に鬼電すっかなぁ」


「こんな時間に暇潰し感覚で電話するんですか……」


 一応、こんな言い方も心配の裏返しだ。軽く言わなければ不安になってくる。いくら何でも暇潰しで何度も何度も繋がる気配の無い電話を掛けるような悪い趣味は持ち合わせていない。一応。一応。

 電話を好まない相手とは言え、よりリアルタイム性の高い連絡方法はやはり電話だ。何度も何度も、電話を掛け過ぎて慣れてしまった動作を行なう。画面も見ていないのに後はもう発信ボタンを押すだけだ。


「……ん?」


 電話を耳に当てて、少し違和感。最近はどうやら電源が切れていたようですぐにアナウンスが流れてきていたのだが、今回は違った。コール音が聞こえてくる。間違いなく繋がっているのだ。


 そして、何度目かのコールの後、その時は訪れた。


『――ども、こんばんは』

「わ、出た……」


 本来は喜ばしい事のはずなのだが、思わず電話を顔から離して呟く。あまりに突然だと驚くほど無感情になるものだ。しかし、すぐに喜びや安堵、同時に驚きも押し寄せる。


「真田か!? お前、何してたんだよぉ……」

『ははは……すみません、ちょっと見失ってて』


 見失っていた、という事はどこかで携帯電話を失くしていたのだろう。それなら途中から電源が切れた事にも納得だ。必要以上に心配する事も無かったらしい事にまた安心。

 ただその安心によって油断してしまったせいか、それとも単純に宮村の意識が電話の方に集中していたせいか、横の方から伸びてくる手の気配に気付くのが遅れてしまう。


「ゆーすけ出たの? 話したい話したーい!」

「!」


 その手に気付いた瞬間、まるでひったくりに強奪されそうになっているくらいの勢いで電話を抱え込む。


「ああもう、うるっせぇなぁ!」


 どうも吉井も気にせず過ごしているようで真田と連絡が取れない事にはかなり心が乱れていたのだろう、まるで戦闘中であるかのような迫力をその手から感じ取った。思わず声が大きくなっても仕方がないだろう、割と本当にそこそこビビったのだ。


 強奪に失敗した吉井は少し腰を落としていつでも飛び掛かれるように準備をしている。遊びゼロ、まさに獲物を狙う野獣の目だ。本気で話したがっている様子、それを日下が何とかして宥めようとしている。


「また後でゆっくり話せる時間がありますよ……」

「……ホント?」


「本当です、本当。でも今日はもう遅いから明日にでも電話してあげましょう、真田先輩も喜びますよ」

「むぅ……」


 どうやら何とか納得したらしい。これで明日は吉井から真田へ鬼電がある事だろう。それで喜ぶかどうかは甚だ疑問ではあるが。

 こんな会話はどうやら電話の向こうにも届いていたのだろう、少し笑いの混じったような声で話し掛けてくる。


『もうすぐ帰ります。お土産は特に無いですけど、心配かけちゃったみたいですから何か軽く奢りますよ』

「おっと、へっへっへ……そりゃありがたい」


『何にするか考えといてください。……で、この電話は何かしらの用があってのものなんですか?』


 今この場は特別に用があった訳ではない。電話には出ないだろうと言う保険を掛けながらとりあえず電話をしてみただけだ。だが、そもそも連絡が取れないと気付くきっかけとなった連絡にはちゃんとした用件があった。今となってはきっとその時に話したかった事とは少し内容が変わっているだろうが、今こそようやく話せる時。


「ああ、それなんだけどな? 実は……例の情報屋について相談しておこうと思ってたんだよ」

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