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その日の授業が全て終わるとその内、ホームルームのために担任の教師が教室に入ってくる。騒がしかった教室がそれを見るなりすぐさま大人しくなった。
「えー、明日の午前中は俺は居ないから、ホームルームは副担が来てくれる事になってる。ちょっと忙しくしてたけど、これで落ち着きそうだからこれからは色々とやっていくからな?」
などと連絡などだけをサラリと話す教師の言葉を聞き流しているとすぐにこの時間は終わり、にわかにざわつく放課後となった。
当然のように真田は部活には入っていない。入っていればまだ会話の機会も知り合いも増えているだろう。しかし、教室という空間でクラスメイトと一日を過ごす事ですら大いに精神的苦痛を感じるほどに人が苦手な彼が放課後にまで誰かと一緒に活動しようなどと考える事はありえなかった。
今日も今日とて、真田は誰と会話をする事もなく学校で過ごす一日を終えた。手早く荷物を纏めてすぐ近くにある扉を開けるのと同時に立ち上がる。すると教室内のざわめきが一瞬静まった。視線が集まっている事に気付きつつも彼は出来るだけ目立たぬように体を小さくしてそそくさと出て行く。
廊下を少し歩くと再び、教室からは賑やかな話し声が聞こえてきた。どうやら他のクラスはまだ終礼の途中らしい、静かな廊下にいると騒がしさはハッキリと耳に届いてくる。何か自分の事を言われているかもしれない、陰口を叩かれているかもしれない、それが聞こえてきたらどうしよう。そんな風に悪く考えてしまう癖を持っている真田は否応にも耳に届く声を振り払うように足早に昇降口へと向かった。
真田の家は学校から少しだけ離れている。校則で決められている自転車通学を許可される距離をギリギリで満たす距離、二キロ強。自転車通学が認められているにも関わらず、彼は徒歩で通学している。もちろん運動が苦手とは言っても自転車にくらいは乗れるのだが、まだ眠い朝早くに自転車に乗っていると事故に遭うのではないかと心配したためだ。幸いな事に徒歩でも少し早くに家を出れば遅刻はしないくらいの距離なので特別に問題は感じていない。
少しだけ長めの通学路を遡って、彼は自宅へと辿り着いた。その帰り道にも何かが起こる事は無い。一緒に帰る相手がいないのなら目的の無い寄り道も面白くない。用が無ければ真っ直ぐに家へ帰る姿勢は何も問題無いのだろうが、強いて問題があるとするならば、距離が長いので体力の無い彼にとっては少々大変であるという事くらいか。
階段を上がって自分の部屋へ。すると扉の前に何かが置いてある。小さな白い段ボール箱。
「何これ、宅配便……?」
朝起きてから初めて発する言葉と共に首を捻ってしゃがみ込む。その箱が何故こんな所に置いてあるのかがサッパリ分からない。箱の上部には紙が貼り付けられていた。何と言う事はない宅配伝票のようだったが、よく見るとどこかの運送業者の物ではない。届け先の住所が書かれているだけのシンプルな物だった。そして書かれている住所や名前からは間違いなく、それが自分、《真田 優介》に宛てて送られた物だと分かる。
「僕宛て、か」
少しばかり不信感を露わにしながらも彼はその箱を持って自分の部屋の鍵を開け、中へと入った。ベッドに鞄と脱いだ制服の上着を放り投げ、床に箱を置いて座り込む。胡坐をかいて箱と向き合った後、ためらいがちにそっと伸ばした手が梱包用のテープに触れると、やはり中身が気になるのか今度は迷う素振りも見せずにカッターナイフを持ち出した。
妙な所で几帳面な性格の持ち主である真田らしく可能な限り箱には傷を付けないように慎重にテープを切断して箱を開ける。一瞬、中から白い煙が出てきて老人にでもなるのではないかと変な考えが頭をよぎるが、当然そんな事は無く、代わりに出てきたのは一通の白い封筒。そして、鈍く銀色に輝く腕輪。シンプルなデザインの物だ。装飾が施されているのでもない。病院で喉の奥を見る時に舌を押さえるために使うヘラ、舌圧子を円形に曲げたような腕輪で、申し訳程度に小指の爪サイズの白い石が埋め込まれている。
「何だこれ。こんなの買って……ないな、いくらなんでも。通販サイトのアカウントでも乗っ取られたかな……」
もちろんそんな事はありえないだろうとは分かりながらも適当に理由付けた。そうする事で身に覚えも無く送り主の正体さえ不明の荷物が送られてくるという不思議な現象を自分に少しでも理解できる現象に変換したかったのだろう。
そうして適当に理由を付けたおかげで見事に警戒心は薄れる。ある意味、自分の思い通りだ。その結果、腕輪をためしに着けてみようという気分になったらしく裸で入っていたそれを手に取る。何かあれば返品すれば良いと、《クーリングオフ》などという魔法の言葉を覚えた少し賢しい頭だったからこそ、このような愚かな考えに至ってしまった。
どこに返品するのか、そんな当然の事が頭から抜け落ちているのだから本当に愚かな事だ。
派手な装飾の無いシンプルな腕輪は光を浴びてもあまり反射しない。真田はワイシャツの袖を捲り上げて右の拳を通す。さほど大きくないように見えた腕輪だが、案外すんなりと入った。
そのまま部屋の隅にある姿見の前に立つ。珍しくアクセサリーの類を着けた彼の姿が曇りの無い鏡に鮮明に映し出された。整髪料の類を嫌った黒い髪はしばらく切っていないせいで伸びて、前髪がすっかり目を隠してしまっているのがまた彼の暗さを一段と引き立てている。人と変わっている点があるとするならばそれだけだ。体型はと言えばは太っているのでも痩せているのでもなく、目に見えて筋肉が付いているのでもない。服装は制服のままだが、私服に着替えても特に個性的な服を着る事は無い。わざわざ会うような人がいないのでファッションなどに気を遣う必要性を感じていないのだ。
そんな地味で暗い男である真田には腕輪はあまり似合っていないと言っても良かった。地味という点では共通していても相手は装飾品だ。真田には縁遠い。しかしそのせいか、アクセサリーなどろくに着けた事がない彼は似合っていなくても少し新鮮で気分が良かったのだろう、せめて今日くらいはと着けたまま過ごす事に決めて、着替えるためシャツのボタンに手をかけた。