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暁降ちを望む  作者: コウ
気付けない
199/333

 無言の食卓。蛍光灯の明かりに照らされながら座る三人。時刻は二十三時。遅い事は遅いが、遅すぎるという訳ではない。極めて中途半端という意味なら、これは間違いなく変な時間だった。


 どうやら伯父はトイレに行こうとしていたところで真田の姿を見掛けたらしい。まったく、最高に最低なタイミングだ。見付かっただけでも気分が重い上に、伯母まで出てきてお話合いが始まるのだから最悪だ。気分も、そして食卓のこの空気も。


「……僕は……帰ります」

「そうか……うん、分かったよ」


 絞り出すような声で告げた言葉は受け止められる。残念そうな声色のように聞こえるが、本当の所はどう思っているのか、それが真田には分からない。そして分からない事を当然だと思えない。


「じゃあ、そうだね……少し遅いけど、今の内に話しておこうか」

「…………」


 真田は警戒心を剥き出しにしている。今から一体どのような話をする事となるのか、不安で不安で仕方がない。チラリと前髪の隙間から様子を窺うも甲斐無し。今、真田に出来る事と言えばただひたすらにジッと待つ事だけだった。さながら死刑の執行を待っているかのような心持ち。心臓を掴まれているよう、などと言うが、もう少し間接的にジワジワと圧力を掛けられているような嫌な重さが胸に去来する。


 しかし、その気分の重苦しさとはまるで違った言葉が発せられるとはあまりに意外であった。


「――僕と妻……まあ、伯母さんだね。僕達が会ったのは会社の飲み会だったんだ」

「は? ……はぁ」


 まさかの馴れ初めである。だがそれを遮る勇気は無い。


「同僚で、存在は前から知ってたけどね、話したのはその時が初めてくらいだった。僕達はあまりそんな場が得意じゃなくて、端の方で飲んでたんだ。それで、何となく話している内に、ある話題で凄く意気投合したのがきっかけだった」


 これは本格的な馴れ初め話だ。こんな空気の中で聞く話とは絶対に違う。だからこそ、このミスマッチがどのような方向に転がって行くのかが恐ろしくて仕方がない。完全なる死角から殴り掛かられる事を警戒しているような気分。


「その話題というのがね? ……結婚しても子供は欲しくない、って話なんだ」

「は……あぁ?」


 話はやはり見えないが、正直に言って意外であった。この夫婦と過ごした時間は真田の人生の中でもほんの一部分だけだ。しかしそれでも、二人揃って子供が欲しくないと思っていたなどとは考えられないような接し方をしていた事はよく分かる。自分の子供ですらない人間を育てようとしてくれているのだ、何大抵の気持ちでは出来るはずがない。


「子供は金が掛かる、何を考えているのか分からない、それなのに良好な関係みたいなものを強要される……まったくくだらない」

「――なんて事を、二人で話してたの。お酒に任せてね」


 今も酒を入れているのではないかと思うほどブツブツと言い始めた伯父の目付きがスッと変わったように感じる。本気だ。フォローする伯母の諦めたような苦笑いがこの場限りの冗談などではないのであろう事を物語っている。


「ただ、それでも君を引き取ったのは……まあ、そうだね、弟が……君のお父さんが君の事を大切にしていたからかな? だったら代わりとして僕達が面倒を見ようと、そう思ったんだ」

「それは…………その、ありがとうございます」


 これだけは何度でも心の底から思う事が出来る。本当に感謝しているのだ。あんな事は言ってしまったが、そこは変わらない。すると、鋭くなっていた伯父の目が今度は不意に柔らかくなった。


「そうしていざ、子供と生活してみたらやっぱり金は掛かる、何を考えているのかは特に分からない……けど、意外と悪くなかった。もう子供と言うには大きかった事もあったかもしれないけど思っていたよりも楽しかったんだ。新しい刺激って言うのかな、そんなのがあった。優介君が家を出て一人で暮らしたいと言ってきた時も、色々と言ってるけど本心は分からない、本当の所は何を考えているんだろうって考えるのは……うん、楽しかった」


 ただ新しい場所に行きたいと思って、何も知らない伯父夫婦なら何とか説得できるかもと台本を作り上げた。必死に頑張ったのだ。それによって上手く言い包める事が出来たと思っていたのだが、最初から裏がある事は見抜かれていた。真田にとって衝撃だ。考えの根っこの方までは分からないようであったが、口にしない考えがある事は分かった上で家を出る事を認めたと言うのだ。しかも楽しいとまで感じながら。


「一緒に暮らし始める時、僕は僕自身が子供を持つという覚悟を決める意味で『本当の親だと思って』なんて言った。それで暮らしてみたら楽しくて、少し調子に乗って君の家族になった、なろうとした」


 覚悟を決めて受け入れようとした側と、覚悟が決まらず心を閉ざし続けた側。非があったという訳ではない。距離を縮めようとした事は悪い事ではない。そして親を失い環境が変わり、それを受け入れる事が難しいのも仕方のない事だ。また別の理由で真田が家を離れ、接する機会が失われてしまった事もある。それらが埋めがたい溝となって、今がある。


「けど、考えてみればね? 子供なんてのは他人なんだよ。血の繋がっただけの他人。何をどうしても付き合いは人生の一部分でしかない。妻となる相手、夫となる相手より基本的に付き合いは短い。まして僕達はただの親戚同士、ちゃんと会ってからまだ二年くらいのものだ。通じ合えるはずがないんだよ。それなのに分かり合おうとする段階を飛ばして距離を縮めようとした事は僕達の落ち度だ、申し訳ない」


「いや、そんな! そんな事は……そんな事は、ないんですよ……」


 謝られる意味が分からない。向こうは近付いて来てくれていたのだ。自分は心を閉ざしたのだ。改善の余地があるとするなら、それはどう考えても自分の方だ。それなのにどうして、目の前でその人は頭を下げて謝っているのか。


 大人とは悩まないものだと心のどこかで思っていた。知識と経験と経済力を持って、それに基づいてあらゆる事を自分で決められる。あるいは、仕事に溺れて悩む暇すら持っていない。それが大人だと何となく思っていた。


 けれど今、真田の目の前に居る大人は子供は欲しくない気持ちと行き場の無い甥の存在に悩み、覚悟を決め、そしてその子供との付き合い方にも悩んでいる。目の前の大人は、あまりにもただの人間だった。自分と同じ存在だった。だから、真田はそれに応える義務がある。真っ直ぐにぶつかる必要がある。


「僕は……僕は、今から家族だとは思えません。どうしても。……その、ごめんなさい」

「うん。そうだと思う。僕達は君を家族だと思えるようになったけれど、君にも同じように思えるとはずだと言う事は出来ない。だから……僕達はゆっくりと変わっていこう。関係も、気持ちも。その先にきっと、僕達なりの家族があると、そう思うんだ」


「ゆっくり、変わる……」


 それは奇しくも、真田の信念と同じ考えであった。未だ通じ合う事の出来ない両者に、確かに繋がる気持ちが、同じ感覚が存在しているのだ。


「僕は…………僕はっ、まだ家族にはなれません……でも、僕は帰ります。また、帰ってきますっ! ここを、自分の帰る場所だと思って、絶対に帰りますから……っ」

「うん……待ってるよ。この、君の家で」


 今、確かに通じ合った。微かに、本当に微かにではあるが心が共鳴した。壁を割る楔を打ち込んだ、溝に橋を掛けるためのロープを渡した。ここから始まる、家族に向かっての一歩。足を上げて、そして下ろす。それだけで良い。歩みはどれだけ遅くても、前に進む事が出来たならば。


 俯いたらどうしてか口が痛い。自分でも気付かない内に、唇を噛み締めていた。昂ぶりにも気付けないほどの感情の奔流。


「――さ、お話はここまでにして、ご飯にしましょうか。優介君、お腹空いてるでしょ? こんな時間だけど、残り物もあるし今から腕によりを掛けるから!」

「……はい、楽しみにしてます」


 唇に滲んだ血をこっそりと拭い、顔を上げて真田は頷いた。もう大丈夫だ。真田はここから立ち上がる事が出来る。歩き出す事が出来る。しかし、それにはまずエネルギーというものが必要だ。気分は軽くなっても、何も入っていないはずの胃袋は鉛が入っているかのように重苦しい。けれど、それを和らげるための食事に舌鼓を打つ事は出来そうだ。


「…………あ」

「緊張の糸が、切れたみたいだね」


 いい加減に何か寄越せと唸りを上げる腹の虫。その間抜けな音に食卓は笑いで満たされるのであった。

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