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暁降ちを望む  作者: コウ
気付けない
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 さなだゆうすけはねむっていたそしてねむることもできないでいたこのこまくをつきさすようなせいじゃくはせかいからすべてのおとがきえさったのかそれともただじぶんがこころとともにみみもとざしてしまっているせいなのかそれはもうわからないただなにもみないなにもきかないなにもかんじないかんぜんなるむにしずんだそんざいがそこにはよこたわっていたいつかこころがめざめるそのときをじっとまっていますいつになればこころはめをさましてくれるのでしょうだれかがおこしてくれるときをまっていますけれどもうまてそうにありません




 出来るかもしれない、そう思っても、実際に頭を真っ白に心を無にする事は非常に難しい。簡単に出来るようならばこの世の誰もが悟りを開いているだろう。真田は俗人だ、本当の意味で心を無にする事は出来ない。ただ、何となくその境地に近付く事くらいは出来たと思う。


 自分の心、その核のような部分は自分にも他の何にも触れられない不可侵の領域。揺らめく事も無く汚される事も無く、真っ白で凪いだ無の心。ただその上空を多くの言葉や光景が流れていったような、そんな気がした。流れる雲の如く、実態の掴めない色々な想い。


 人間はどれだけの間だったら飲まず食わずで生きていけるのだろう。少し興味を持って調べた事があるような気もするが、少しは自信のある記憶力もこんな状況ではまったく機能しない。断食などという行為がある。宗教的なもの、ダイエット目的のもの。一日だけであったり飲み物は可であったり、とにかく精神的に、あるいは肉体的にもっと健康なものだろうと推測する。今の真田ほど両方が不健全な行為ではないだろう。飢えと渇きに苛まれ、曖昧だった意識は今やむしろ覚醒状態に近付きつつある。


 苦しみに喘ぎ、硬直した体がギシギシと音を立てながら小刻みに震える。何かをしようとしている訳ではないが、ただ体が動く事を求め始めた。動き出そうとする体、覚醒しつつある意識、そしてそれでも目覚めようとはしない心。バランスの崩れた真田の体は完全に自分の意識の外で、確かに動く。ゆっくり、ゆっくりと。まるで天井から釣り上げられているかのように上がっていく左手は痺れているみたいに重く、感覚が無い。そして、力尽きてベッドの上に再び投げ出される。それだけだ。起こった事はそれだけ。


 しかし、枕の横の辺りに落ちた手が何かに触れた。偶然、奇跡。冷たくて硬い何か。


「ぁ…………」


 思わず、声が出た。渇いた喉から久し振りに発せられたその声は掠れていて小さい。

 触れたのは携帯電話だ。このベッドに倒れ込んだ時に見付けて、そしてそのまま放置されていた。これ以上は動けないと思っていた左手が、縋り付くかのように蠢いて携帯電話を握る。壊れてしまいそうなほどに込められた力を何とか冷静を装いながら緩めて、パキッというような音を立てながら開く。


「ぅぁ……ぁぁ……」


 その画面は真っ暗だった。暗闇に慣れた目を刺してくるだろうと思っていた光は少しも存在していない。もう何年も使い続けている携帯電話の電池はかなり弱くなっている。使用していなくとも、頻繁に充電しなければ少なくとも一日以上は経過しているであろう時間には耐えられないのだ。


 この電話の先には彼の心を目覚めさせてくれるようなものが居るはずだった。だからそれに向かって手を伸ばした。そして、希望は断たれた。これで本当に絶望の闇に消えてしまう。だが、その淵に手を掛けるように心は最後の最後まで救いを求める。


(そうだ……帰ろう……そう、そうだ。ずっとここに居なくて良い、僕の居場所はちゃんとあるんだから……)


 戦いにおいて大切な事は作戦だ。弱い力であっても、それを相手の心臓に一度叩き込む事が出来れば勝ちなのだ。状況に応じて様々なパターンを用意する。そして何より大切だと考えているのは失敗した時の事。作戦が失敗した時、如何にして逃げるのか。そこがしっかりしているから大胆に戦う事が出来る。真田は今、この戦場における戦いで敗北したと言って良い。だから逃げるのだ。自分の身を守るため、そのために。


 けれど彼は忘れている。自分のこんな嫌な所を仲間達に見せたくないと思ったという事実を。


 さらに彼は忘れている。一線を越えた時、仲間達に会いたくなくなるだろうという事実を。


 そして彼は気付いていない。そうなれば、もう居場所も逃げ場所も存在しないという事実を。



 頭から完全に抜け落ちているから仕方のない事ではあるのだが、この場から逃げ出そうと決めた瞬間から、彼の心は今までが嘘だったかのように軽くなった。ここから逃げても良いのだ、解放されても良いのだ。逃避は最高の対症療法である。


 高速バスのチケットは取れるだろうか。直近の便じゃなくても良い、バスが出る駅の近くには宿泊施設もあったはずだ。携帯電話を使って予約、コンビニで軍資金を下ろしてから発券。しばらく風呂に入っていない、最低限のマナーとして身は清めるべきだろう。その間に携帯を充電。コンビニに行くのだからそこで食料も手に入る。完璧だ。一切の無駄が無い流れでここから逃げ出す事が出来る。

 物事に終わりが見えてきた時、人はそれに向かって限界を超えて活動する事が出来る。ゴールとはそう言ったような引力を持っているのかもしれない。真田の頭も、その来たるべきゴールに向けて瞬間的に、かつ盲目的に動き始める。最も厳しい事実からは目を逸らして、後ろ向きに全速力で走り出した真田にブレーキは無い。ここには仲間も居なければもう客観視する自分すら居ないのだから。


 右腕に力が入る。ベッドを床に押し付けるように押して無理矢理に上体を起こす。目眩がする。頭は澄んで活性化したと思っていたが、少し躁状態になっていただけだ。一皮めくれば何も変わっていない。霧の掛かった脳内で目的だけが大声で叫んでいる。

 ふらつきながら、その勢いのまま携帯電話をスタンドにガシャンと乱暴に叩き込む。充電中を示す赤いランプが点灯した事を確認すれば、次は着替えの準備だ。とにかく風呂に入りたい。特別に潔癖ではないが、その辺りの感覚は人並みであるつもりだ。このような状態でなければ日に一度は入りたい。時間とやる気が許すなら朝晩の二度でも良いが。


 もう同じ事を何度考えたか分からないが、今は何時だろう。この部屋の外に出るという事は、外部といつでも接触する可能性があるという事。出来れば変な時間であってほしい。


 音を立てないよう細心の注意を払って、静かに部屋を出る。暗い。夜だ。根が夜行性なのだろうか、動くのはいつも夜。階段をゆっくりと降りれば、ギシギシと軋む音がする。感覚的にはそう大きな音ではないのだろうが、今だけはどうにも耳障りだ。体の内側を通って耳の中で鳴り響いているような大音声。


 ほとんど動いていないとは言え真夏の締め切った屋内。よくも脱水で死ななかったものだと感心するが、思い返してみればそれほど暑さを感じなかった気がする。真田の体に今さら真夏の室温ですらさほどの影響は無いという事か。とはいえ気持ちは悪い。体中がジトジトしているように感じる。シャワーだけとなるだろうが、体を洗う事は念入りにしたい。しかし気付かれないよう手早く終わらせたい。この矛盾のギリギリを突くようなスピードが必要だ。


 そう意を決して風呂場に入ろうとしたその時、突然、廊下が白い光に照らされた。


「優介君……?」

「っ!」


 背後に立って静かに声を掛けてきたのは、今だけはこの世の誰よりも会いたくないと思っていた人物であった。

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