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宮村 暁は集中していた。
軽く握った拳は、その瞬間まで力を入れ過ぎない。最も力を込めるのはインパクトの瞬間。この拳が空気以外の何かを打つ事は基本的には無いが、そのイメージを持つ事が何よりも大事だ。
動作は流れるようにスムーズに。体重の移動、体の回転。イメージ次第で体は勝手に動き出すが、そのイメージと完璧に重なるよう自らの意思を持って体を動かせたならば完璧。
「だぁらっしゃぁっ!」
「――はい」
「あああっ!?」
上手く放ったつもりの一撃はしかし、気合も込められていないようなノリで振られた竹刀によって掻き消される。しかも魔法を使われた訳でもない。何とも悲痛な叫びである。
「迷いがありましたね、宮村先輩」
「ぐぬぬ……」
「世の中、本当に『ぐぬぬ』って言う人が居るんですね……」
竹刀の柄と、それを握る手を一体化させるよう何度か素振りをしながら日下が笑った。夜の索敵、その途中と言うべきか終着点と言うべきか、いつものグラウンドでまたしても二人は向かい合って立っていた。
昨夜はそのまま解散して索敵は行なわなかった宮村であったが、だからこそ今夜はその分も索敵を行なっておきたかった。……と言うよりも、特訓をしておきたかったのだ。
「この俺の拳に、迷いがあるだと……っ!」
「そういうノリは良いですから。もう一本、ほら、いきましょう」
言いながらさらに何度か竹刀を振る日下。相手にはさほど旨味の無い、宮村の宮村による宮村のための特訓だ。それでも乗ってきてくれているのは助かるが、流石に不思議に思えて仕方ない。
「……なんか、今日はお前、妙に機嫌良いな……」
「分かります? ふふふ、分かりますか? 実は、ほら! 竹刀、新しいの買ったんですよ!」
「いや、分からん」
まるで宝箱か何かからアイテムを入手したように竹刀を掲げて見せている、それは分かるのだが、この距離でしかも興味を持った事など少しも無い竹刀を見せられた所で「新しいから何なのだ」「そもそもそれが新しいのかも区別がつかない」としか返しようがない。
「どうですか? カーボン製ですよ? いや、俺としては竹が好きなんですけどね? 戦いに使うとすぐ使い物にならなくなって……でもほら、カーボン丈夫ですから。これである程度は魔法を使わないで防御できますよ。ほらほら、宮村先輩のパンチだって防いじゃいますから!」
「ああ……そう……」
大人びているように思っていた我らが日下君もウキウキである。新しい道具には気持ちを向上させる魔力があるのだ。
「でも、まだイマイチ慣れてないので実戦だと普通の竹刀か竹光を使います……」
「はあ……そう……」
急に落ち込んでしまった。急激にテンションが上がった分、下がり方も急だ。何でも、竹刀は家にある物を持ち出しているのであまりに消耗が激しいと誤魔化しが効かないのだそう。竹光は金を貯めて自分で買った大切な物らしい。どうも武器を使うのも大変だ。
「――なんて、話してるのも聞かれてるんでしょうか」
そう呟かれた言葉の意味は、わざわざ詳しく言わなくとも理解できる。今は非戦闘時、そして日常的に行なっている訳ではない特別な時間。戦闘に使いやすいこの場所はフリーパス、誰でも潜んで様子を窺う事が出来るのだが、大きな声を出さない限り話している内容までは伝わらないだろう。ただ、すぐ近くに姿を消した謎の魔法使いが居ないとは言い切れない。この場は恐ろしいほどパブリック。
「まあ、聞かれてると思ってた方が良いだろ」
「簡単に言いますけど……そもそもここで特訓してる段階で公開練習みたいなものですよ? 意味あるんですか?」
「良いんだよ、俺は真田を驚かしてやれりゃ」
「そりゃあ驚くでしょうね、自分の知らない技を敵が当たり前みたいに対処してたら」
味方だけが驚くというあまりに画期的な効果を持った技がここに誕生してしまいそうだった。
「それで、迷ってたみたいですけど、何かヒントみたいなものは掴めたんですか?」
「そう、それだよ……」
突然、妙にシリアスな顔付きに変わった宮村。そんな様子を見ると、何かあったのかと日下も思わず神妙な表情になってしまう。
「俺は球威のある直球をバンバン投げ込む事が出来るし変化球もあるし、緩急を付けるようなテクニックもある。けど俺には少し欠けてるものが……」
「待った、待って。ちょっと待ってください」
「ん?」
いきなりよく分からない話が始まったものだから止めずにはいられない。自分達は今、何の話してしていたのだろうか。日下が忘れているだけで、実は草野球の約束でもしていただろうか。
「結論だけじゃなくて経緯の部分から話してもらえると嬉しいです」
「? 別に良いけど……まず、俺は今日テレビを観ていた。すると野球をやってたんだ。高校野球。真田が野球好きだって言ってたのを思い出して、何となくチャンネルをそのままにした」
「意外……って言ったらアレかもしれませんけど、真田先輩って野球とかスポーツみたいなの好きなんですね」
「観る専らしいけどな。――んで、観てる時に思ったんだ。俺は球威のある直球をバンバン投げ込む事が……」
「ああー、駄目だ、戻った」
「んあ?」
結局、どんな風に聞いても同じ文が何度も何度も巡ってくるだけだと判明した。ならばもう、諦めて自分の頭の中で何とか理解するしかない。
「すみません、俺の聞き方が悪かったです。とりあえず球威の件から、深く聞かせてもらって良いですか?」
「まあ、良いけどよ……球威のある直球、変化球、緩急。でも俺はコントロールがイマイチだと思ったんだ。いや、悪くはないつもりなんだよ。枠の中には入るんだよ。でも、それを武器に勝負できるほどのコントロールじゃないんだ。俺のコントロールはまだまだ磨く余地があるんだよ」
「…………あぁー……」
本当に何となく、言っている事が理解できたような気がした。宮村の風弾は単純に威力がある。心身共に万全ならば、先程のように簡単に防ぐ事は出来ないだろう。変化球、スイングから放たれる曲線を描く軌道の風弾はタイミングが読めなければ厄介な事この上ない。緩急、真田との特訓で身に付けたその技術には日下も手を焼かされた。
そしてコントロールだ。直に殴りつけるならば必要は無いが、宮村の場合はそうはいかない。この要素だけはまだ磨いていない。底上げのためにはコントロールを伸ばす事が必須。
つまるところ、宮村は野球にかなり引っ張られながらも自分の能力について話していたという事だ。きっとそうなのだろう。
「先輩は狙った所に攻撃できるようになりたいんですか?」
「そーゆーこったな。動いてない相手だったら狙ったとこピタリで当てたい。お前が動くなら今日はその竹刀の先っぽの白いとこだけに当てる」
「そんな無茶な……」
竹刀の先端、先革の部分にだけ当てる事がどれだけ難しいか。もちろんピタリと止まる時は止まっているが、ちょっとした動作だけでその位置も動く。攻防が始まったら瞬く間に元の位置からは消えてしまっている。それを、しかも遠距離から狙おうとするならば必要なのはコントロールだけではない。出来るだけ速く相手に到達するスピード、そしてそのスピードの正確な認識、さらに動きを先読みする洞察力までもが試される事となる。これは控えめに言って不可能というものだ。
「いや、それはどう……」
「やると言ったらやる」
「あ、聞いてももらえませんか」
一刀両断であった。これは何を言ってもとりあえず気が済むまで付き合わされるに違いない。そして日下には諦めて従う以外の選択肢が存在していない。
(あーあー……真田先輩が居ればなぁ……)
などと顔には出さず考えていた日下だが、真田は止めるどころか自分に面倒が無ければむしろ積極的に宮村を乗せて面白がる人間である。そして飽きたら勝手に帰る。即ち、日下にはもはや逃げ場が無い。
「さあ、構えろ日下! 俺達の特訓はまだ始まったばかりだ!」
「いや、俺の特訓は一切関係ないんですけど……」
まるで打ち切りにでもなったかのような台詞を吐きながら、宮村の発する魔力が爆発するのであった。日下の苦労は続く。




