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宮村 暁は欠伸をしていた。
朝は少し早かったが、眠いと言うほどでもない。まだ時間は二十三時、健全な男子高校生としてはまだまだこれから。そして今居るのは自分の部屋ではなく出先だ。仮に丁度良い疲労感があったとしても眠気を感じる事はほとんど無いだろう。
そんなパブリックな場所においてもすっかり眠そうな者は存在しているのだが。
「――ぁふ……ったく、アクビ移っちまった。マリア、眠みぃなら寝ろって……店長か篁さんあたりがどうにかしてくれんだろ?」
「ねむくないもん! んんっ……んー……」
「すっげぇ眠そうじゃねぇか……」
相も変らぬ溜まり場《Lilion Cafe》は日曜の夜も普段と何ら変わりのない姿を見せていた。即ち、客は居ない。本来は開店していない時間なので当然ではあるが。そしてそれなのに明かりが点いていて、中には複数人がダラダラと過ごしている。下手をすれば金を落としもしないような連中のために電気やガスが使われる、商売は一切考慮されていない状況。
もちろん全員集合ではない。真田に加えて日下、吉井、鴨井の姿も無い。各々に用事というものがあるのだ。何でも、鴨井は朝一でバイトの面接があるらしい。その場で判断されて採用ならその日から働けるらしいのだが、やはり選んだのは接客業らしいので恐らく不採用だろう。可哀想な事だ。
しかし用事があるとは言ってもこうして半数近くも居ないとなると随分と静かに感じられる。単純に人数が少ない事もあるのだが、こうして集まったメンバーがどうにも大盛り上がりとはいかない事も理由の一つだろう。宮村も絡む相手やテンションを上げる状況が無いと、空気感を無視してまで明るさを維持しようとはしない。そのため、本来ならば絡む相手となるはずのマリアが睡魔と必死に戦っている今はまったりムード。
「アレだろ? 今日はマリアも篁さんも店長の所に泊まるんだろ? 仲良いねぇ」
「まったく、こっちの迷惑も考えてほしいもんだよ」
そんな具合で文句を言いながらも眠気に揺れるマリアの頭を撫でる手付きは優しい。簡単に言うとそんな人間なのだ。荒っぽくいう事はあるが、それを真に受けるべきではない。
「……と言うか、アンタ達は単純に邪魔だからさっさと帰ってくれると助かるんだけどね」
冷房よりも冷ややかなこの言葉も真に受ける必要など無いのだ。彼女は素直じゃないけれど愛に溢れたとっても優しい人物です。
「それより、暁クンの方の仲良い人はどうなの?」
携帯電話を手の中で特に意味も無く触っていた宮村に対しての問いが篁から飛ぶ。その質問の意図するところは一つだ。
「全っ然、メールも返事ねぇし電話も出やしねぇ。気付いてないんだか無視してるんだかは知らねぇけど」
「真田君?」
「おう。ちょっと前……八時くらいか? そんくらいから相談があって連絡してたんだけどな? でも全然」
携帯電話の画面を何度見てもメールの返事が来た通知は無く、折り返しの電話も掛かってこない。最初に連絡を取ろうとしてから五時間ほど経過している。その間に一度も携帯電話を手にも取らなかった、そんな可能性はあるだろうか。どのような環境で過ごしているかは分からないが、時間の確認やちょっとした調べ事、暇潰しでも何でも携帯電話を手に取る動機は色々とある。
「ふむ……真田君なら敢えて連絡を無視するかも……いや、渋々でも連絡は返すか。気付いてない、あるいは寝ている可能性は無いのかい?」
「気付いてない可能性はあるけど、こんな時間にもう寝てるような殊勝な子だとは思わないけどねぇ」
梶谷も木戸も、それぞれ好き勝手に言っている。とは言えその評には宮村も同意しか出来ないが。冗談のような事を思ってはいるが、心配ではあった。それと同時に心配する必要は無いとも感じていた。矛盾している二つの気持ち。
「真田君、何かあったのかしら……」
「まあ、真田ならわざわざ危ない真似はしないだろうし、何かあっても上手くやるだろ。きっとな」
宮村の中で真田の評価は決して低くない。それどころか大抵のトラブルに対して何らかの解決策を思い付くだろうと信じてさえいる。真田自身の自己評価と比較するとその差はまさに月とすっぽん、その両者の実際の高低差くらいはあるかもしれない。地球から月までおよそ三十八万キロ、遥かなる旅路。人類の偉大な飛躍。
「つっても連絡は取ってみるんだが……話もしたいし」
「んー……ゆーすけとおはなしするのぉ……」
「はいはい、今日は無理っぽいから寝ちゃいなさい」
言葉の端に反応したかのようなマリアのうわ言に思わず笑いが漏れる。そして篁に寄り掛かるようにして寝息を立て始めるまで一同が息を殺して見守ると、何となく安堵したような空気が流れた。まるでぐずった赤ん坊が眠ったようだ。
子供が寝静まれば後は大人の時間――と言う訳でもないが、これを機に話の流れが切り替わるのは確かだった。具体的にはのんびりとした空気がもう少し中身のある話を求めるような方向へと動き始める。
「ところで暁クン、優介クンへの相談事ってなぁに?」
「そう言えばそうね。宮村君が相談するほど悩むなんて……って言ったら失礼だけど。あっ、もしかして課題の相談?」
「んなワケねぇだろ、アイツ絶対そんな相談乗らねぇし……クッソ」
それはそれは不満そうだ。夏休みの残り期間を足掻くのではなく提出しない覚悟を決めるために使おうとし始めたらしい宮村には誰も同情も応援もしないだろうが。
「まあアレだ、この前話したろ? 狙われやすい俺が気を付けるって。それって結局、何をどうすりゃ良いんだろうなーって思って。それをちょっと、話に加わってない真田に相談してみようかな、と」
「あっきれた、勢い付いたと思ったけど勢いだけで言ってたの。そんな気もしてたけど」
「そんな勢いだけのつもりも無かったんだけどなぁ……ちょっと冷静に考え始めたらよく分からなくなってきた」
折れんばかりに首を捻る。自分の周囲に注意を払うつもりであったが、闇雲に注意しているのではただひたすらに精神を摩耗するだけであると気付いたのはその日解散して少し経ってからであった。わざわざ真田に相談しようとしたのも、実は啖呵を切っておいてこれでは妙に不安にさせてしまうかもしれないと考えたからであるのだが、こうして聞かれたならば敢えて隠すつもりも無い。
「それでは、せっかくだからこの場で少し検討してみないかい? 宮村君が何を考え、何に気を付けるべきか」
梶谷にそんな提案をされては誰も断る理由など持たない。どうせ暇を良い事に集まっている面々だ、そもそも目的も無かった所で何か得られるものがありそうな話し合いを始められるならば、そこに異論などあるはずもないのだ。
「まったく世話が焼けるわね……でも、あたしらのリーダーの安全のためだから、ちょっと付き合ってあげますか!」
「へっへっへ、ありがてぇ。よっしゃ、今夜はじゃんじゃん飲んでくれ! いや、奢る金はねぇけども!」
そのあまりに威勢の良い情けない宣言にみんなが苦笑したものの、ここに再び会議の幕が上がった。




