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暁降ちを望む  作者: コウ
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 真田 優介は集中していた。


 手の中にあるのは一冊の文庫本。その内容を必要以上にじっくりと吟味するように読み進めている。内容は特に変哲もない推理小説だ。密室で人が死んだかと思えば容疑者と目されていた人物が謎の変死を遂げる。どこにでもあるような物語。読み終えていないのでここから大きなどんでん返しが待っているのかもしれないが、とりあえず今の所は驚きも無い。死にそうな登場人物が死に、探偵役は露骨なまでに手掛かりに食い付く。手垢の付いた不可能殺人に欠伸が出そうな解決編が待っている事は想像に難くない。三分の二ほど読み進めていて、ここから想像も出来ないような事態が起こったらそれはそれで超展開と言うものだ。これが古典ならまだしも新作なのだと言うのだから、正直に言ってそれが一番驚いた。


 こちらに滞在している間に読んでしまおうと思って持ち込んだ本だったが、買ったことを後悔し始めている。ネットで評判でも確かめれば良かったかもしれないが、うっかりネタバレを踏んでしまう可能性もあるので危険だ。後生だから叙述トリックの作品をそういうものだと書いて推薦しないでほしい。そして叙述トリックでお勧めの作品は何かと質問しないでほしい。


 とは言え、そのような退屈な作品でも集中して読む。頭の中で映像化しながら、登場人物たちの一挙手一投足に至るまでを思い浮かべるのはなかなか忙しくて悪くない行為だ。


 真田は今、密室の中。扉も窓も、内側から施錠してある。他に出入りが可能な場所は無く、隠された通路などももちろん存在しない。だが、中に居る人物が生きて普通に歩き回れているのでミステリー的な密室の要素は満たしていないかもしれない。このまま真田が死んでいれば密室死事件の完成だ。あるいは外部との連絡を一切取れないようにして中の様子も確認できない状態を作り出し犯人が虚偽の死亡確認、宣告をしても良いかもしれない。現場を偽れば犯人しか目撃していない死体が消失する、なんて事も出来る。


 いずれにせよ、密室殺人なんて大変だ。しかし常に一定の需要があるのだから、見覚えがあるようなものが生まれても仕方のない事かもしれない。その舞台が謎の建築家の建てた奇妙な館ならば「隠し通路も謎の仕掛けもありえる」という前提を持って事件捜査が出来るので風変りな事件も起こし放題だろうが。いや、それはそれで気苦労が多いのかもしれない。推理作家も大変だ。


 ただ、密室と言うと人が死にそうなイメージをしてしまうが、そんな事はまず起きやしない日常生活においては城壁となんら変わりはない。部屋を閉ざす鍵も、抜け穴の存在しない壁や床も、全てが中に居る者の心の平穏を守る盾となる。


(何からも乱されずに、得るものも少ない本を読む……はぁ、凄く怠惰で素敵な時間……)


 真田もご満悦である。味方のような敵のような、そんな存在に囲まれたこの戦場で、こうして一人を保障されて過ごすこの時間は幸せで仕方がない。仲間が居ない状況で身の安全が確保できる空間ほどありがたいものは無いのだから。


 この実家(・・)に心の休まる場所は無い。こうして何度か眠った部屋に鍵を掛けてようやく、そこが自分の場所となる。それ以外の場所では常に心が掻き乱されてしまう。いや、この状況ですら部屋の外から一声掛けられるだけで心臓が跳ね上がり平静ではいられなくなるかもしれない。真田の精神は着実に蝕まれている。


(何してんだろ、こんなとこで……)


 本に人差し指を挟んで閉じ、溜まりに溜まった精神的疲労を溜息と共に盛大に吐き出す。何をしているのか、そんな自問に対する答えはあまりに簡単で、分かり切っている。だから今もここに居る。

 我に返ったのはほんの一瞬。それでも再び怠惰の世界に沈むには果てしなく多くの時を必要とするだろう。本を読んでも空想しても、何をしていても頭のどこかで暗い感情がこちらを見ている。そして飲み込んで押し潰そうと狙っているのだ。


 何か楽しい事を、つまらない事を考えないでも済むような楽しい事を思い出そう。そんな風に思っても簡単にはいかない。どんな事を考えてもどこか暗い影が掛かって心が騒ぐ。激しくではない、絶妙に気持ち悪いくらい微かに、だ。この胸を強く強く、裂けるほど掻きむしれば止まってくれるのではないか。そんな小さな希望を与えては取り上げる不愉快なざわめき。


 どうか収まってくれるようにと願いながら目を閉じる。心を鎮めて、いっそこのまま眠ってしまえたら。そんな気持ちを抱いたまま、意識は途絶える事も無く幾何かの時間が流れた。



「優介君? ご飯だから降りてきてね」

「!」


 扉をノックする音と共に声が掛けられる。落ち着いていたはずの心臓が騒ぎ始めた。閉じ込められた部屋から出ようと扉を強く叩いているような感覚。押さえ込まないと心臓が胸から飛び出してしまいそうだ。


(じ、時間、は……そうか、七時くらいか)


 久し振りに目を開いて見ればいつの間にか部屋は全体が薄暗い闇に覆われていた。そこそこ長い時間が経過したという事は感覚で分かるが、具体的な時間は分からない。携帯で時間を確認しようと思ってパタパタと周囲を叩いて探し始めたところで冷静に考えればすぐ時間が分かる事に気付いた。夕飯時なのだから七時くらいなのだろう。大体そんなものだ。


 呼ばれたからにはすぐに行動しなければならない。円滑に生活を送りたい、送らなければならないという気持ちはあるのだ。こうして部屋に閉じこもっていたのもそのため、心を揺さぶられ続けると爆発してしまいそうだった。


 真田は少し物覚えが良いという特技はあるが、その他は大抵の事が苦手であると言って良い。料理は中の上から上の下くらいの腕、特技と呼べるものではない。単純な暗記で解決できる訳ではない科目の勉強は苦手だし、体育などもっての外。人付き合いは苦手なんてレベルを超えている。ついでに聴力検査も非常に苦手だ。魔法使いになって身体能力が上がっても、友達や仲間ができて人と話す機会が増えても、色々な事が苦手である事には変わりがない。


 そんな苦手な物事の中で、最も苦手なもの。苦手を通り越して弱点とでも表現できる存在が、この家族だ。


 理性と感情のせめぎ合い、理解はしても納得は出来ない。包み隠す事なく記してしまおう。


 真田 優介はこの家族が嫌いだった。

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