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こうしてクラスメイト三人が何も得られるものが無い他愛ない会話を繰り広げる内に時間は過ぎる。もう誰が来てもおかしくない時間だ。今にも他の仲間が集まってくるはず。
そう思うや否や、扉が開いて熱気と冷気が混じり合う。その姿を見てもいないのに一般の客ではなく仲間だとすぐに確信したのは心が通じ合っているからか、あるいはやはり客など来るはずないと思っているからか。来たのはもちろん仲間の二人。
「こんにちは、暑いですね」
「おう、日下と海人。悪いな、呼んじまって」
「鴨井さんだっつーの……」
当たり前のように呼び捨てられてテンション低く言い返す鴨井。暑さにやられているのか随分と元気が無い。涼しげな頭部だが、あるいは日光がダイレクトに当たって大変なのかもしれない。適度な毛量、適度な長さ。夏場において宮村の髪が最適解という事か。
「やっほ、青葉君。鴨さんどしたの? すっごい落ちてるけど」
「さあ、さっき会ったばかりなんですけど、その時からずっとこんな感じで……」
座ってすぐにグッタリとしてしまった鴨井を指差しながら問うた吉井だが、他者から出された答えでは理由が分かりそうにない。「今日はみんなこんな感じかい?」などと呆れ声で呟きながら木戸が飲み物を用意する中でもピクリともしない。体勢は僅かほども変わらない中、口だけが小さく開き、まるで地獄の底から聞こえてくるような苦しげな声が漏れる。
「コンビニのバイト、落ちたんだよ……うるっせぇな……」
「ええっと……私は別に、接客のお仕事にこだわる必要は無いと思いますよ? 失礼かもしれませんけど」
「俺は接客が良いんだよ……好きなんだよ……」
「だよなぁ海人! 適当に色々と大変で楽しいよなぁ、接客サイコー」
「テメェは黙ってろ!」
嫌われたものである。下手すれば本来敵視しているはずの真田よりも今となっては宮村の方を敵視している可能性すらある。全力で拒絶されてシュンと萎れる宮村を生温かい苦笑が包む。そんな空気を破るように、再び扉の音。思った通り、続々と集まってくる。真田の言った通り、暇人ばかりとも言えるかもしれないが。
「典子ちゃん、ジュース!」
「やあ、遅れたかな?」
「…………はぁ」
それぞれ勝手に言葉を発しながら(一人は完全に溜め息だが)店に入ってくる三人。とても元気なマリアと、完全に平常運転の梶谷と、宮村や鴨井もビックリなテンションの低さの篁。とりあえず喋る事は出来た二人とは違ってただ溜息をつく事しか出来ていない分、その元気の無さが窺える。溌剌とした美人と言った印象の彼女だったが、今や隠し切れない隈と淀んだ目によって枯れて落ちる寸前、瀕死状態の花といった様子だ。疲労困憊、絶体絶命、青息吐息。四字熟語の良い教材になりそうな人である。
「まーたこんなのが……ほら、オレンジジュース飲んで元気出しな!」
「篁さん、レポートの調子はどうですか?」
「目処は立った……目処は立ったのよ……でもまだ、直せる気がして……」
比喩も四字熟語も必要無い、『死にそう』の一言が何よりも正確に状態を表現できる。素早く提供されたジュースを燃料補給でもするかのようにストローで吸い上げるも、それだけで一気に回復! とはいかないようで肩を落としている。こんな姿を見ると、進学を捨てた判断は経済状況を抜きに考えても正解だったのではないかと思わされる。学生は大変だ。
その隣に座って同じくジュースを飲みながら足をプラプラ揺らしているマリアは子供らしく実に上機嫌……かと思いきや、その顔は不満で染め上げられている。
「優介はー?」
「だから居ないっての」
ここにも真田派閥。この子の場合はあまり相手にされていない、と言うよりも相手の仕方に困ってほぼ放置されている状態なのだが。態度をもっと分かりやすくすれば真田もしっかりと(適度な距離感を保つため)対応するだろうに。などと提言しようものならそれはそれは恐ろしい目で睨みながら罵倒されてしまう。それで喜ぶ趣味は無いのでただ萎縮するばかりだ。
「マリアさんは宿題は終わったんですか?」
「終わった! カナちゃんのおかげ。だから遊んであげようと思ったのに……キセーだか知らないけど、優介のくせに居ないなんて意味分かんない! 優介なんて虫さんになっちゃえば良いのに!」
「……寄生虫?」
帰省を知らないこの子はどこで虫と結び付ける発想を得たのだろう。すぐ隣で疲労に喘いでいるお姉さんからあまり良くない影響を受けている可能性が高い。
「――どうも、今日はみんな調子が良くなさそうだね。とは言っても、このままでは話が始まりそうにない。話をしながら調子を取り戻していこうじゃないか。宮村君、私達を呼び出した用事は何だい?」
「あ、ああ……そうだそうだ。ヤバい、普通にダラダラしてた」
呼び出した事とその時間は覚えていたが、その目的が完全に頭から抜け落ちていた。やはり一晩置いたためか焦りの現実感が薄れてしまっているようだ。こうしている間にも自分の知らない所で何かの陰謀的なものが動いているかもしれないという考えが働かなくなっている。ここで梶谷が軌道修正をしてくれなければ、本当に日が落ちるまで中身の無い、他人が聞けば面白くもないトークにただ浸かっていた事だろう。感謝感謝である。
「えー、注目。悪いね、呼び出しちまって。今日はこの俺、宮村 暁に迫る危機について話し合いたい!」
「おぉー……」
「…………はぁ」
「オッケー、超寂しい」
あまりに調子が良くなさ過ぎた。宮村が立ち上がりながら威勢よく宣言したにもかかわらず、反応はこんなものだ。張り合いが無い。誰も話を聞いてくれていないのではないかと不安に襲われる。泣きそうだ。
ただ、だからと言ってこれで落ち込んでいては話が進まない。時には無理にでも話を進める事が必要だ。調子も無理矢理に引っ張り上げてみせる。
そして集まった面々に、時に日下が注釈を挟みながらこの場に集めた理由を説明した。このチームが目立ち始めた事、その中でも宮村の存在が思った以上に目立ってしまった事、真田の個人情報を入手できるような者が今も活動しているに違いない事、情報を探られる可能性が一番高いのは宮村である事。話せば話すほど、自分の中の焦り、危機感が復活していくのを感じる。背筋が冷える。
そうだ、勢いを付けようと妙に大仰に話し始めたのが良くなかったのだ。そのせいでまるで冗談を言い始めたかのように受け取られてしまった。今はみんな、調子が上がらないなりにきちんと聞いてくれている。真面目に話せば真面目に聞いてくれる、これは世の中の真理というものだろう。
「なるほど……確かに、暁クンの言う事も分かるわね」
「でもさ、その情報屋? ホントに居るの?」
すっかり話について行けるようになっている吉井の疑問も分からないでもない。それに答えたのは日下だ。最初に情報屋の存在について口に出した人物でもある。
「俺は確信してます。いくら何でも、あの時に手に入れてた情報は細かすぎるんですよ。相当頑張って集めないと手に入りそうにないくらい……でも、雪野先輩や吉井先輩、他の人達の周囲にその様子は無かったですよね?」
「そうね……誰にも不審に思われずに個人情報を集めるのは難しいと思うわ」
「ふむ、インターネットを駆使しても集められる情報ではないね。例えば魔法の力で姿を消せれば不審に思われる事なくこっそりと人間関係などの情報収集が出来るかもしれないが、彼の魔法はそうではなかった。即ち、彼が自分で手に入れた情報ではない」
「魔法を使って情報を集めて流した情報屋が居る……って事になるワケだな」
雪野、梶谷、宮村とリレーを続けて結論に至る。透明人間とは、何とも男のロマンに満ちたフレーズではないだろうか。そんなものが相手となるとプライバシーも何もあったものではない。あったものではないからこそ、情報が非常に大切なこの戦いにおいてはとても強力な能力だと言える。
その恐ろしさときたら、本当に気が休まらない。今この店内に居るのは真田を除いた九人。だが、『目に見えない相手が居るかもしれない』という前提を頭の中に置くだけで、本当に九人しか存在していないのかと問われたならば返答に困る事となってしまうのだ。店の扉は何度も開いた。その間に入ってきたのは目に見える人物だけであると、どうして確信を持って言えようか。
いつしか自然に出来るようになっていた、魔力を感じ取らないようにするための精神の離脱。自分というものを内に内に、極限まで内側に集中させる事によって肉体の存在を忘れ、逆に解放される。そして腕輪への意識を完全に断つ。日常生活を送るためには必要な行為だ。宮村も苦手ではあったが、今では何をしていても魔力を感じずにいられる。朝、起きた直後から無意識に腕輪への意識の切断をする習慣が出来ている。それはきっとこの場に居る腕輪を持った全員が出来る事だろう。
それを、試しに一度、解除してみる。肉体を取り戻したような感覚。血の流れ、全身を駆け巡る魔力を感じる。それと同時に周囲の魔力も。魔力の感知は閉ざしていた感覚だ。だからこそ、取り戻した時にはより鋭敏になる。肌を刺すような、肩に圧し掛かるような、地の底に足を引き込むような、とにかく空気が一段二段と重くなった気がする。
自分達以外の誰かがこの場に居るのではないか、そんな考えが浮かんだために試してみたが、残念ながら効果を得られそうにない。客こそ少ないが、この店には宮村達が何度も足を運んでいる。いくら慣れ親しんだ間柄とは言え、六人の濃密な魔力が混ざり合い渦巻いていると、それを紐解いて「これはコイツの魔力だ」などと判別する事は出来そうにない。いつの間にかこの店は魔界になっていた。自分達の他にも荒木などを始め、他にも未知の魔法使いが足を運んでいる事があるかもしれない。異物が混じっていたとしても気付く事は出来そうにない。
諦めて再び精神を解き放つ。全身への負荷が一気に消え去り、まるで宙に浮き上がるかのような錯覚をする。戦闘が始まるともちろん解除するし、終われば再び離脱する。しかしその時は精神的、肉体的な疲労もあってこの解放感に浸る余裕が無い。つまりは久し振りの快感だ。一度は過剰な負荷を掛ける事となるが、たまにはこんなのも良いかもしれない。
解放感によるリフレッシュ効果はあった。が、情報的には何も得られていない。短い時間ではあるが、急に喋らなくなった事は不自然だろうが、誰も(少なくとも腕輪を持っている面々は)気にしていない。みんなが同じように考えて、魔力を探っているのだ。
チラリと日下と梶谷の方を見る。少なくともこの二人は宮村よりも魔力を感知する能力は上のはずだ。しかし、その表情は特に変わらない。強いて言うならば魔力の圧に微かに顔をしかめている程度だ。つまり、収穫は誰にも無さそうという事だろう。
「――はぁ……話、進めっか」
宮村がそう言った直後、五人の魔法使いが一斉に気を取り直すかのように手元の飲み物を口にした。




